小説 | ナノ

 第6話:無口な下宿人さん


「ごちそうさまでしたー!もうなにも入らないよ、満腹だよ……」

キレイに完食した夕餉のお膳の前で両手を合わせながら、私はふぅと大きく息をつく。
本日の釣果であるお魚さんたちは、骨だけになって皿の上に寝そべっている。
魚は焼いて、鰻は蒲焼きにしていただいた。
やっぱり、自分で釣った魚の味は格別だ!

「お魚だけでお腹いっぱいになっちゃって、せっかくのうなぎが余っちゃったね」

「一切れずつしか食べられなかったもんねぇ……」

張り切って二人で作った鰻の蒲焼きはほかほかと湯気をただよわせ、焦げたタレの独特の香ばしさを鼻先まで運んでくる。
こんなに余るとは思っていなかったなぁ。鰻重二人前くらいの量はゆうにあるだろう。


「そうだ……!せっかくだから、おすそわけに行こうかな!」

ふと思い立った私は、顔を上げてかすみさんにお伺いを立てる。

「こんな時分に?鰻をとってくれたっていう、田中さんのところへ?」

「ううん。田中さんの住まいは知らないから、酢屋のお兄さんのところに!」

これまで何度かかすみさんにも話をしたことがあるから、酢屋のお兄さんのことは知っているはずだ。
いずみ屋からも近い場所にあるし、すぐに届けに行ける距離だから無理のある話ではない。
ちょうど夕餉の時間だし。

「そっか、酢屋さんの方。このお魚も一匹はその方に釣ってもらったのよね?……それだったら、お礼も兼ねて行ってみようか、おすそ分け」

「うん!行こう行こうっ!酢屋のお兄さん、すっごく気さくでいい人なんだよっ!!」

反対されると思いきや、すんなりと提案に乗ってもらえたのが嬉しくて、私は急かすようにかすみさんの手を引き、ぴょんぴょんとその場で跳ねる。

「ふふ、美湖ちゃん落ち着いて。鰻、食べやすいように一人前ずつ分けてお重によそうからちょっと待ってね」

「あ、うんっ!私も手伝う!!」


二人並んで、二段重ねの重箱に炊きたてのご飯と鰻の蒲焼きをよそう。
お店で出すにはちょっとだけ蒲焼きの量が足りないけれど、夕餉として出すならたいそうなご馳走だと思う。

「そういえば、二人前しかないけど大丈夫かしら?お店の人の分も何か用意した方がいいかな?」

「それは気にしなくていいんじゃないかなぁ。よくお客さんを招き入れてるみたいだったから、お兄さん目当てで酢屋に来る人も珍しくはないはずだよ」

いつ会っても『これから客が来る』『人に会いに出かける』と何かしら忙しそうに約束に追われていたお兄さんの姿を思い出す。

毎日のように、誰かと待ち合わせをしているみたいだったな。
話も上手で明るく人好きのする雰囲気だから、さぞかし顔が広いんだろう。

「でもせっかくだから、いくつかお菓子も包んでいこうか。明日からはお店を開けることもないし……」

「うんっ!」



他店舗から仕入れたものから、かすみさんの手作りのものまで、いずみ屋には豊富な種類の京菓子がそろえられている。
甘いもの好きで、なおかつ元来収集癖のあるかすみさんは、方々から珍しいお菓子を探して来ては、うきうきとお店の品書きに加えていた。

――少し、もったいないなぁ

ひとつひとつに可愛らしく細やかな細工がほどこされた菓子たち。
彩りも美しく、いくつか並べてお客さんに出せば、皆一様に目を細めて喜んでくれたのを思い出す。

……明日からは、そんな日常ともしばしのお別れになる。
そう考えるとやっぱり少し寂しく、じわりじわりとお店を閉めるという実感が強くなってくる。

あまり日持ちしない生菓子を中心に慣れた手つきでそれらを包むと、かすみさんはにこりとこちらに笑顔を向けて口をひらく。


「さ、行こうか。美湖ちゃん」

「うんっ!あ、鰻重は私が抱えていくね!」

風呂敷に包まれた重箱を持ち上げて懐に抱えこむ。
感傷に浸っていても仕方がない。
こんな気持ちは、酢屋のお兄さんの明るい笑顔が吹き飛ばしてくれるはずだ――。





高瀬川にかかる大黒橋を渡り少し歩くと、ほどなく西側に見えてくるのが材木屋の酢屋さんだ。
二階建てで裏には立派な納屋もあり、釣りをしながら側面から敷地を眺めると、その奥行きの広さがよく分かる。


「ごめんくださぁい」

しっかりと戸締まりをしてある戸を、少し強めに叩きながら店の中へと声をかける。
ほどなくしてガタガタと目の前の戸が引かれ、中から現れたのはまだ面立ちに幼さを残した少年だった。

「はーい、何でしょう?お客さんじゃなさそうですねぇ……女の人だ」

こんな時分……それも女二人の突然の来訪に少年は驚いているようで、わずかに好奇心を含み、きらきらと澄んだまなざしでこちらを見つめる。

「こんばんは、えっと……二階に住むお兄さんに会いに来ました。取り次いでもらえますか?」

「お兄さんかぁ。どの兄さんかな?」

「えっ……?」

首を傾げる少年の目を見つめたまま、私はきょとんと目を丸くする。
どのお兄さんかと言われても、私が思い浮かべるのは一人だ。
まだ会ったことがないだけで、ここに下宿している人は他にもいるのかな?

「ええと……私が会いに来たのはこう――髪がピンピン跳ねてて、お洒落さんで、それから……」

「ああ!それは多分、ぜよぜよ言う兄さんかな?」

「そうですっっっ!!ぜよの人!!」

あまりにも分かりにくい私の説明をきちんと理解してくれた少年に心の底から感謝しつつ、大きくコクコクと頭を縦に振る。
隣に立つかすみさんは、始終苦笑いだ。

「そっちの兄さんは今留守ですよ。お姉さん方、どんな用事ですか?兄さんとデキてる感じかな?」

「ち、ちがいますっ……!あの、昼間釣りをしててお世話になって、それで鰻をおすそわけに……」

可愛い顔して、デキてるとかデキてないとかそんな妙にませくれた事を言ってほしくなかった……!
私は混乱しながら、抱えていた重箱を差しだして簡潔に要件を伝えようと頭をひねる。



「……あ、ちょっと待っててくださいねぇ……兄さん!ぜよの兄さんにお客さんが来てるけど、どうしよう?」

少年は私たち二人に両の手のひらを向けて『待った』のしぐさを見せると、店の中へと振り返り、誰かに話しかけはじめた。

そして、ひそひそと何やら言葉をかわしたのち、少年はぺこりと愛想良く頭を下げて奥へと引っ込んで行った。


代わりにのそりと戸口に姿を現したのは、気だるそうな表情でこちらを見下ろす男の人――。


「……要件は?」

さっぱりと切りそろえられた綺麗な短髪をかきあげるように、耳の上あたりを片手でおさえながら、彼は口をひらいた。

ぜよのお兄さんには及ばないものの、背が高い。
着物の胸元や袖口からは、お兄さん同様珍しい仕立ての見慣れない召し物がちらりとのぞく。

「お昼に、お兄さんから釣りを教えてもらって……それで、あの。よかったらこれ、食べてほしいなっておすそわけにきました」

「…………」

どこか面倒くさそうにこちらを見下ろす男の人は、無言のままぴくりとも動かない。

「えっと……すみません、わけわからないですよね……あのぅ……」

眠そうな半目をこちらに向けたまま、慌てる私の様子をぼうっと見つめていた彼は、ふと思い出したように『ああ』と低い声で呟いた。

「そこの川で、よく釣りをしている奴か……」

「そ、そうですっ!釣りしてます、毎日!良かった。もしかしてお兄さんからお話聞いてましたか?」

やっと会話らしい会話ができそうだと、ほっと胸をなでおろす。

「いや、何度か見かけたことがあるだけだ」

さして興味もなさそうな淡々とした声色で、のっそりと気だるそうに喋る。
来訪者への対応が心底面倒くさいのか、はたまた単に眠たいだけなのか――独特の間をもつこの人の語り口に乗せられるように、私も自然に沈黙が多くなってくる。

「……お留守だそうですので、こちら、ことづけておきたいのですが、よろしいでしょうか?」

一向に話の進まない私たちの会話に助け船を出すように、かすみさんは持っていた菓子の包みを軽く持ち上げながら、微笑んだ。

「構いません」

こくりと静かにうなずき、男の人はかすみさんの手から包みを受けとる。

「あ、これもどうぞ!鰻重です。そっちがお菓子で……よかったらみなさんで召し上がってくださいね!」

私があわてて押し付けるように重箱を差し出すと、彼は『分かった』とつぶやきながら抱え込むように片手でそれを受け止める。

「……念のため、そちらの名を」

男の人はふさがった両手を不便そうに見下ろしながら、かすみさんの方にちらりと視線を向けた。
そういえばさっきから、かすみさんに対しては言葉づかいが丁寧だな……何か彼なりの区別があるのかな。

「いずみ屋の、神楽木(かぐらぎ)かすみです」

ぺこりと、気品を漂わせながら丁寧に頭を下げるかすみさんの隣で、私も割り込むように声をあげる。

「私、天野美湖です!お兄さんによろしくお伝えくださいっ!」

『お前には聞いていない』といった風な、気だるく聞き流すような視線に若干胸を痛めながらも、私は念を押すように大きくお辞儀する。
酢屋のお兄さんに、ちゃんと私の名前も伝えておいてほしいと思ったからだ。

「……確かに預かりました」

小さくうなずくように頭を下げると、男の人は静かに戸を引いて店内へと引っ込み、そのままガタガタと戸締まりをはじめてしまう。
用件は済んだのだからこれで充分なんだとは思うけれど、あまりにバッサリとした対応にちょっぴり面食らってしまう。


……やっぱりこんな時分に約束もなく訪ねるのは迷惑だったかな?

「無事に渡せたし、帰ろうか」

「あ、うんっ!」




手ぶらになった私たちは、手をつないでそれを前後にぷらぷらと小さく揺らしながら、帰りの道を歩いてゆく。

むかし、私とかすみさんが出会ったばかりの頃――。
忙しくて構ってくれない父の背を叩き駄々をこねる私の手をひいて、かすみさんがよく散歩に連れ出してくれていたのを思い出す。


「あ、このあたりで田中さんに会ったんだよ」

「そう……でも、よかったね。こんなに早くほとがらの持ち主に出会えて」

「うんっ!私も驚いたよ。明日は橋本さんにも会えるし!お店は閉めてるかもしれないけど、いずみ屋に二人を連れてってもいいかな?」

「そうね……美湖ちゃんのお友達としてお招きする分には、かまわないわよ」

「お友達とはちょっと違うけどね……二人とも浪士さんみたいだから、いずみ屋としてはもうあんまり歓迎できないかな?」

浪士への対応に頭を悩ませ、彼らから距離をおくように店を閉める決意をしたばかりだ。
田中さんたちだけを例外視しろというのは、勝手な言い分かもしれない。

「浪士といっても、悪人だけではないでしょう?美湖ちゃんの目で見極めるといいわ」

「……うんっ!」

かすみさんは、いつものようにふわりと優しく笑ってうなずいてくれる。
この笑顔を見ていると、ほっと気持ちが安らいで、つられて頬がゆるんでしまう。



「あとね、ほとがらの話もいろいろ聞けたよ!お店の人は、写真って呼んでるみたい」

「しゃしん……そうなの?聞き慣れないね」

小さく小首を傾げるかすみさん。
昨夜は教えてもらう立場だった私が、今は教える側に立っている。
そのことがなんだかちょっと可笑しくて、そして少しだけ嬉しくなって……

「写真は、これからもっと流行るはずだよ!値段だって安くなってくみたいだし」

つい熱く拳を握って熱弁をふるってしまう。

「ふふ、嬉しそうねぇ美湖ちゃん。それじゃ、今度二人でとりに行こうか、写真」

「うんっ!行こう行こうっ!」

『やくそく!』と、つないでいた手をほどき、指切りをする。



私たちが生きる毎日は、つらいことばかりじゃない。
新しい出会いがあって、発見があって。
わくわくすることでいっぱいだ。
きっとかぐら屋に行ってもそれは変わらない。
苦しいことがあっても二人で乗り越えていこう。

私にとってかすみさんは、この世にたった一人の家族なんだから。





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