▼ 紅茶に溶かして
※『お姫様のデザート』11話頃のお話
* * * * * * * * *
「あの、ココさん……」
「どうしたの?」
「実は、その、申し訳ないんですが……欲しいものがあるんです」
いつもどうり町の探索に出かけ、猛獣が出没する時間の前に僕の店に帰ってきた彼女が――至極申し訳なさそうにそう言った。
「欲しいもの?」
「あ、いえ、その……はい」
彼女の為に入れようとしていた紅茶の準備の手が止まってしまう。
僕は内心驚いていた。
彼女は今まで一度も『何かが欲しい』など言ったことがない。
こちらが『必要と思うものはなんでも買っておいで』と無理やりお金を渡しても、小さな紙袋程度の買い物で済ませてしまう。
謙虚過ぎるのも考えものだよ――なんて彼女に言ったことがある程だ。
そんな彼女が、自ら『欲しいものがある』と言った。
かなり申し訳なさそうな彼女だけど、僕からしてみればそんな顔をする必要など無い。
むしろ、僕の胸には、何故か喜びに似た感情が湧いていた。
僕は、気を取り直し、紅茶を入れる作業を再開する。
「かまわないよ。何が欲しいのかな」
「いいんですか……? その、日用品でも何でもないんですけど」
僕の返事に、彼女は僅かに頬を染めた。
彼女の電磁波は少し常人と違う為、今だ判断に迷う時がある。
しかしこの時ばかりは、彼女の嬉しそうな電磁波が見えた。
「珍しいね。そんなに素敵なものがあったの? お菓子?食材?」
「あ、いえ、違うんです」
「じゃあ、装飾品とかかな?」
「そんな、私がアクセサリーなんてめっそうもない」
彼女はぶんぶんと首を横に振る。
――お菓子でも食材でも、装飾品でもない。
だとすればなんだろうか。
彼女は日用品ではないと言った。
彼女の性格からいくと、あまり高価なものは考えられない。
いや、僕はかまわないんだけど。
その他に、彼女が欲しがりそうなものと言えば――。
「……本?」
僕はそうぽつり呟くと、彼女は目をくるりと大きくさせた。
あぁ、当たりか。
「はい、そうなんです! 欲しい本……というか雑誌があって」
彼女は今だに遠慮が抜けきれないのか、もじもじしている。
だけどその表情はどこか嬉しそうで、余程その雑誌が欲しいのだということがわかった。
「そう。そんなに欲しい雑誌があったんだね」
「はい」
「一体、なんの雑誌なのかな」
興味心で聞いてみる。
すると彼女は頬を赤くしたまま、首と上体を横にグィーッと倒した。
そんなに言うのが恥ずかしいんだろうか……?
「あ、あのですね」
彼女は言い淀みながらも言葉を続けた。
「グルメ雑誌なんです。それにすごく気になる特集があって」
「うん?」
「――『六つ星グルメホテルの若き料理人・小松シェフに迫る!』……って」
私、小松シェフの大ファンなんです――と、彼女はここまで言うと照れくさそうに笑った。
その表情は、どこか僕の女性客にも似ていて、少しだけ苦笑いしてしまう。
「そう……それは僕も興味があるな」
「あ! 本当ですか?」
「うん。帰りにその雑誌がある本屋に寄って帰ろう」
「はい! ありがとうございます、ココさん!」
僕の言葉に、彼女はようやく混じり気のない笑顔を浮かべる。
嬉しそうな彼女に、僕の中では素直に良かったと思える気持ちと、妙にわだかまる気持ちが二つ交差する。
――小松君の雑誌で彼女がこんなに喜ぶなら、好しとしないと。
その時、彼女が思い出したように口を開く。
「そうだ、他にも美食屋・四天王っていう特集の雑誌もいつかありましたよ」
特にトリコが表紙を飾っているものが多くて驚いたと、彼女は言った。
……まぁ、トリコはメディアを気にしない分、露出が多い方だからな。
「そっちの雑誌はいらないの?」
何気なく僕が聞くと、彼女はポカンとして、次にハッとした表情を浮かべた。
「いえ、わ、私は、小松さんの雑誌だけで十分です!トリコさんのは別に……あ!トリコさんに興味がないというわけでないんですよ……っ?」
突然慌てだした彼女に、今度は僕が呆気にとられてしまった。
――あぁ、彼女は自分がトリコの雑誌を強請ってしまったのではないか、と思ったのか。
そのせいで、トリコのフォローにまで回る羽目になっている。
「そんなに、慌てなくても良いよ」
あんまりに彼女が眉を下げて、困っているものだから、僕は堪らず噴き出してしまう。
すると、彼女は一瞬真っ赤になった後――眉を下げたままへにゃりと笑った。
その表情に、僕の胸は少し暖かくなる。
――とにかく、先程から作業が滞ってばかりの紅茶を入れないと。
そう思った僕は、椅子に座るよう彼女を諭した。
彼女が素直に椅子に座るのを確認した後、暖めたティーカップに紅茶を注ぐ。
彼女はそれを黙って見つめていたが、突然ぽつりと呟いた。
「……でも、残念です」
あまりに静かで自然なその声は、反対に感情が読み取れない。
だけど彼女は、注がれる紅茶を見つめたまま、そのトーンで言葉を漏らす。
「ココさんの特集があれば、絶対欲しかったんですけどね」
「……え?」
「だって、気になるじゃないですか――……って、ココさん紅茶零れちゃいますよっ」
「! あ、あぁ、ごめん」
彼女の驚きの声で、僕は紅茶を注ぐ手を止めた。
彼女はそんな僕に、「珍しいですね。どうしたんですか?」と首を傾げて聞いてくる。
――あぁ、そんなこと、僕が聞きたいくらいだ。
何故僕はこんなに慌ててしまったのか。
「気にしないで。……それより少し失敗してしまったけど、飲んでくれるかな?」
僕は誤魔化すように、ニコリと笑みを浮かべて彼女にそう聞いた。
すると彼女は、僕を気遣ってか、首を横にふって穏やかに微笑むと、「ぜひ、飲ませて下さい」と答えてくれる。
ああ、うん。
君が優しい子で良かった。
僕はひっそり胸をなで下ろした。
ついでに、その胸の奥に生まれた不思議な感情を撫でつけるように抑える。
この感情が一体なんなのか、気になる気もしたが――確かめる術もない。
それに、分かったからと言って、闇雲に感情を吐露するつもりもなかった。
「あれ、ココさん珍しいですね。お砂糖入れるんですか?」
「……うん。なんとなく、ね」
僕は紅茶のティーカップに角砂糖を二つ落とした。
そして、スプーンでその砂糖と感情を一緒に混ぜて溶かし――飲み込む。
それは、ひどく甘い気がした。
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