▼ 小さな彼女の可能性
「おーい、ワカメじゃねぇか!」
「あ、シンさんだ」
穏やかな午後の日差しを受ける屋敷の庭で、シンに声をかけられたワカメが嬉しそうに振り返った。
そのワカメの両腕は、芋がいっぱい入ったカゴを抱いている。
シンはしゃがんでワカメと視線を合わせてやった。
「炊事の仕事してんのか? 偉いなぁ」
「うん、今日の夕飯は、シチューなんだって。シンさんは、シチューすき?」
「あぁ、好きだぞ」
「ほんと? 今日はね、わたしがおイモをきるから、おイモたべてね」
「おー、お前包丁使えんのか。すげぇじゃねぇか」
シンはニッと笑いながら、ワカメの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でる。
ワカメはきゃーきゃーと声を上げて身をよじって逃げたりしながら喜んだ。
――ワカメが、このグルメヤクザの新入りという名目になってから、もう半年以上が経つ。
新入りと言っても、幼い彼女に出来る仕事は限られていて、掃除や洗濯、キッチンの手伝いなど、基本的に雑用ばかりだ。
しかし、ヘタで雑な男衆に比べれば、彼女の方が幾分か上手に仕事をこなしていた。
料理人を兼任してキッチンに入っている部下は、きちんと仕事をこなすワカメが可愛くて仕方がないらしい。
彼女をキッチン専属の手伝いにしたいとまで言いだしたほどだ。
もちろんそれは、マッチさんの
『てめぇはなぁ、ワカメも自分も本職はグルメヤクザってこと忘れんじゃねぇ』
……という言葉で無くなったのだが。
とにもかくにも、ワカメの存在はこの屋敷において当たり前の存在になっていた。
グルメヤクザの特性上、子どもを毛嫌いする人間がほぼ居ないのも、彼女にとって幸運だったのであろう。
――現に、今話しているシンも素直にワカメを可愛いと思っていた。
「じゃあ、仕込みのおしごとがあるから、いくね」
「頑張れよ!……あ、ちょっと待て」
「なぁに?」
「いいからよ、目ぇ瞑って口開けてみな」
ワカメは首を傾げつつも、素直に目を閉じて、口をパカッと開けた。
その次の瞬間、彼女の口の中にコロンと小さくて丸いものが入ってくる。
それは甘く苺の良い匂いがする飴玉だった。
「おいひぃ!」
パチッと目を開いたワカメの表情は嬉しそうで、シンは目尻が下がる。
「内緒だかんな? ほら、もう行け」
「うん、ありがとう!」
ワカメは口元を綻ばせながら、コロコロと飴玉を転がしてシンに礼を言った。
そして、軽い足取りで厨房へと向かう。
カゴの芋は重いが、口の中が幸せ一杯のワカメにとってみれば、なんの苦でもなかった。
「あれ? ワカメか?」
しばらく歩いて屋敷の中にワカメが入ろうとした時、突然どこからともなく声が降ってくる。
ワカメがキョロキョロしながら上を見上げると、屋敷の二階の窓から煙草をふかしたルイが志乃を見下ろしていた。
「ルイさんだ。そうだよ、ワカメだよ」
「俺はてっきり、カゴが一人で歩いて来てるのかと思った」
ルイの言葉は内容に反して、実に真面目なトーンであった。しかも、顔も真剣だ。
「わたしだよ」
「そっか、ワカメか。カゴのお化けじゃないんだな」
「ちがうよー」
それにワカメも怒ることなく真面目に返す。
その二人の真面目でどこか抜けた会話に、通りがかる他のグルメヤクザ達は小さく笑った。
「しかしまぁ、でけぇカゴだなぁ。重くないか」
「だいじょうぶ!」
「すげぇな。力あるんだな、ワカメは」
「うん!」
ルイの言葉に、ワカメは自慢げに胸を張る。
「じゃあ、ちょっと頼まれごとしてくんないか」
「いいよ、なぁに?」
「これ投げるから、カゴで受け止めろよ」
ルイはそう言うと、小さな麻袋をワカメに投げた。
ワカメは、わっ!と声を上げながら、自分のもつカゴに力を入れる。
パフッ、という軽い音と共に、麻袋がカゴの芋の上に落ちた。
なんとかカゴも麻袋も落とさなかったワカメは、ふぅっと息をついて、キッとルイに視線を向けた。
「ルイさん、あぶない!」
「あぁ、悪い。それ、ハーブが入ってるから、キッチンの奴に渡してくれ」
しかし、悪びれた様子のないルイは軽く謝るだけだった。それにワカメは少しだけ不満げに口を尖らせる。
「あ、そうだ、もう一個あるんだ」
「えー、まだ?」
「今度はお前にだ」
いくぞ、と言うが早く、ルイはまたポイッとワカメの持つカゴに何かを投げ入れた。
今度はゆっくりと落ちてくるそれは、カゴに乗ったのか解らないほどの軽さだった。
「……なぁに?」
「今日、町に出かけたからな。土産の髪留めだ。ちっこいゴムだけどな」
「わぁ、ありがとう!」
「せいぜい、いい女になれよ」
ルイはそれだけ言うと、すでに短くなった煙草を咥え直し、窓の奥へと引っ込んで行ってしまった。
ワカメはさっき怒ったことなど忘れてしまって、上機嫌だ。
早くカゴの中を見たくて仕方ない。
よいしょ、と声を出しながら一度カゴを地面に降ろして、中を覗きこむ。
するとコロコロした芋の上に、小さな黒いリボンのついたヘアゴムがあった。
「かわいい」
ワカメはそう一言小さく零しながら、そのヘアゴムを手に取ると、早速髪の毛を一つに纏める。
孤児施設でもヘアゴムなどは買ってもらえ無かったので、ワカメはいつも髪の毛を降ろしていた。
その為か、いざ縛ってみると毛先がしっぽのようにヒラヒラして感じる。
それが嬉しくて、くすぐったいと思った彼女は、クスクスと笑った。
そして、またカゴを抱えて、キッチンを目指して歩き出す。
スキップしたい気分だったが、それはちょっと無理だった。
――屋敷に入り、ワカメはポテポテと廊下を歩く。
そして、グルメヤクザ達とすれ違う度に、声をかけられていた。
「がんばってんな」
「転ぶなよ、気ぃつけろ」
「お疲れさん」
色々な言葉を投げかけられるが、ワカメは全てにちゃんと挨拶を返す。
グルメヤクザ達の多くは、この小さく勤勉で人懐っこい少女を気に入っていた。
時にからかって遊びはするが、基本的に暖かい目で見守っている。
そのおかげか、最初は警戒していた強面の男達を相手にしても、ワカメはもうちっとも怖いと思わなくなっていた。
そんな時、ワカメの前方から、よく見知った男が歩いて来た。
マッチさんの次に、彼女が懐いていると言っても良いかもしれない人物だ。
「ラムさん!」
ワカメは大きな声を上げて、その人物の名前を読んだ。
そして、小走りに近づいて行く。ラムはそんなワカメを軽く制した。
「おい、そんな大荷物で走るんじゃない。転ぶだろう?」
「あ、ごめんなさい」
「いや、気を付ければいいんだ。しかし……重そうだな」
「ううん、わたしは力持ちだから!」
だから、大丈夫なのだと訴えるワカメだが、少し息が上がっている。
そしてラムがその手に目を配ると、カゴの重さと摩擦で擦れた部分が赤く剥けていた。
恐らく、本人は無理をしていると思ってないのだろうが、これはちょっとなぁ……と、ラムは思う。
「どれ、少し俺も持ってやろう」
甘やかすつもりは無いが、そうでも言わないと彼女はいつまでも耐え続ける忍耐型なのだ。
ところが、ワカメはあっさりとその申し出を断った。
「だいじょうぶ! それに、これは私のおしごとだもん」
しっかりとしたその言葉に、ラムはサングラスの奥の目の丸くさせた。
そんなことは解らないワカメはどこか自慢げにニコニコしている。
ラムはそんなワカメに笑みを零した。
「じゃあ、何かお手伝いをさせてくれ」
「おてつだい?」
「あぁ、お前の仕事を奪ったりはしない。ちょっとした手伝いをさせてくれないか?」
そういうと、ワカメはうーんと声を出しながら考えた後、何か思いついたのかパッと明るい表情をラムに見せた。
――結果、ラムは小さな麻袋を持つことになった。
しかし、ラムの方手の平に収まるそれは、中身がハーブの為、まったくもって重くない。
だが、隣で
「ラムさんのおかげでかるい! ありがとう!」
……と笑うワカメを見ていると何も言えなかった。
ラムは苦笑いをしながら、キッチンまでの道をワカメと一緒に歩く。
キッチンの前まで着くと、調理人の男がワカメを褒めて迎えた。
「あぁ、ラムさんもすいません。ハーブなんか持って来てもらって」
「ラムさん、ありがとう」
「いや、俺のことは気にするな。それより、がんばるんだぞ」
ラムはワカメにそう優しく言うと、緩々と頭を撫でた。
ワカメは照れているのか、綻ぶように笑って、頭をぶんぶんと振り、ラムの手と戯れる。
その様子を調理人はニコやかな表情で見つめていたが、途中で何かを思い出したらしい。
あ、という声を零しながら、慌ててワカメに話しかけた。
「そうだ、ワカメ。マッチさんが仕事が終わったら部屋に来いって言っていたぞ!」
「え! マッチさんが!?」
途端に、彼女の背筋が伸び、目がキラキラと輝きだした。
「ほんと? ほんと?」
「ああ」
「じゃ、わたし今からおイモきるね。急いで、きるね!」
そう言うやいなや、ワカメは芋の入ったカゴを持ち上げて、キッチンの中へと飛んで行ってしまった。
そのあまりの素早さに、ラムと調理人はポカンとする。
「あれは、本当にマッチさんが好きですよねぇ」
「ああ、俺達と一緒で『一生ついて行く』らしいからな」
「はは、そりゃあいいですね……っと、すいません、ラムさん! 俺、ちょっと手伝ってきてやりますわ」
調理人はラムに軽く頭を下げると、そのまま厨房に姿を消した。
残されたラムは、ワカメを撫でていた手を引っ込めて、ポケットに入れる。
一瞬にして、頭の中がマッチ一色に染まってしまうワカメに対して、ラムは少し寂しい気もした。
しかし、厨房からワカメの明るいマシンガントークが聞こえてきて、どうでも良くなる。
“マッチさん、どれくらいのおイモの大きさが好きなんだろう……! そのまえに、マッチさんはおイモ好き? もし嫌いで食べてもらえなかったらどうしよう……。ねぇ、ねぇ、おへやに呼ばれたけど、なんなのかなぁ……!”
ワカメの怒涛のお喋りは、調理人を困らせているようで、少しすると調理人の怒鳴り声も聞こえてきた。
“ワカメ! 喋りながら切るな! 怪我すんぞ! ……おい、だからって黙って高速で切るのもやめろ!”
――堪らなくなったラムは、つい噴き出してしまい、口を押さえながら厨房を後にした。
ラムはそのまま廊下を歩いて、階段を上る。
そしてマッチの部屋の前まで着くと、自分の名前を言って、扉を数回ノックした。
中に居るマッチの入室許可がおりてから、扉を開けて入る。
すると、ラムの顔を見たマッチが――ひどく怪訝そうな表情を浮かべた。
「お前なんだその顔」
「なんですか?」
「緩み過ぎだ。グルメヤクザがなんて締りねぇ顔してんだ」
「あぁ、すいません」
ラムはそう謝りながら、サングラスを手で上げて表情を引き締め直す。
「で、何の用だ」
「……はい、E地区歓楽街の風俗店の件でお話が」
「勝手に店の女と麻薬食材を売って、逃げた野郎か。見つかったのか?」
「ええ、それで……」
先ほどまでの、緩い空気が嘘のように雰囲気が変わった。
だがそれは、社会の裏に生きるグルメヤクザにとって、むしろ当たり前の顔とも言える。
血生臭い金と憎悪が渦巻き、あまりにも残酷に命数が狂い、消える世界。
ただ、そこに残るのは、己らのみが信じる倫理のみだ。
例えそれが尋常ではなくも、彼らにとっては唯一の救いであり、生きる道に違いなかった。
――とは言え、こちらも別に地獄絵図を望んでいるわけではない。
ラムが一通りの報告を終えた後、マッチは苦い表情を浮かべた。
「わかった。そいつの処理はてめぇらに任せる」
「はい、了解しました」
ラムはそう言いながら、またサングラスを指先で押し上げる。
渋い顔のマッチは長い息を吐き出し、体の力を抜いた。
それによって、部屋の空気がほんの少し軽さを取り戻す。
ラムはそのタイミングを見計らって、別の話を始めた。
「そうだ、マッチさん。さっき、キッチンがえらいことになってましたよ」
「どうした? 料理包丁で誰か刺されたか?」
「いえ……ワカメがマッチさんに呼ばれとかなんとかで、芋が好きかどうか、騒いでました」
「なんだ、そりゃ」
「今日の夕飯の芋はワカメが切るそうですよ」
マッチは軽く鼻で笑うと、頬杖をついた。
しかし、その態度とは裏腹に、表情は渋いものから、柔らかいものに変化している。
――ラムは心の中でワカメに感謝した。
マッチは意外と気を消耗する気質があり、人知れずストレスや疲労を溜める。
しかし、ラムを含む部下達はその沸々したものを解放させる術を持っていない。
それはマッチ自身が、無意識に作る壁のせいでもあった。
上に立つ人間として、また彼の性格がそうさせている。
ラムや、シン、ルイはそのことに気がついていたが、どうにも出来ないことが歯がゆかった。
だが、そんな中でワカメだけがマッチの壁をすり抜ける――そんな素質がある。
元来、マッチが子どもに優しいというのもあるだろう。
しかし、きっとそれだけはなく、ワカメのマッチに対する無茶で無鉄砲で純粋なまでの想いによる所も大きい。
大人であり、下手に素直になれない自分達では出来ないことがワカメには出来るのだ……と、ラムは感じていた。
「……それで、何故ワカメを呼んだんですか?」
「今日出先で本を買った。あいつも、もう少し難しい字を覚えたほうがいいだろうと思ってな」
そう言いながらマッチは机から一冊の本を取り出して、ぺらぺらとめくる。
やはりどこか嬉しそうだ、とラムは思った。
「読んであげるんですか?」
「そうだな、読めねぇ所だけはな」
「きっと、ワカメ喜びますよ」
「そうか? 結局の所、勉強だぞ」
それでもラムの頭の中では、喜びはしゃぎ回るワカメの姿がありありと浮かんだ。
「いえ、ワカメはマッチさんならなんだって喜びますよ。それにあれは努力家ですから」
「……確かに、努力家には違いねぇな」
――その時。
廊下を走る騒がしい音が聞こえてくる。
騒がしいと言っても、その足音は短くて軽い。
そんな音を出すのは、間違いなく彼女一人しかいないだろう。
恐らく、彼女がこの部屋の扉を叩くまで、あと10秒。
マッチもラムも、顔を見合わせて笑った。
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