表通りから一本道を逸れた裏路地にある、ちょっとした隠れ家のような店。
Cafe〜黒猫〜
そこの看板娘。木咲黒兎の朝は遅い。
朝方まで喧嘩で暴れて浴びた血塗れのパーカーを脱ぎ、養父が買った無駄に高い洗濯機に放り込む。スイッチは押さない。朝の四時から洗濯機を回すのは、幾ら裏路地の自宅であろうとも憚られる。
「……ふぁ……ねむい」
タンタン、とあまり音を立てないように階段を上る。
自室に入ればそのままベッドに倒れこんだ。
黒猫の柄が描かれている可愛らしい掛布団とセットの黒猫の抱き枕を抱き締める。この部屋にあるものは基本的に養父の趣味だ。だがしかし黒兎は気にしたことはない。数分もしない内にふかふかの黒猫に顔を埋めてすよすよと寝息を立て始めた。
夢の中に入ってから約一時間。
突然、部屋にカンカンという甲高い音が鳴り響いた。
「くーろーとー! 起きろ! 朝飯だぞ!」
「……ん、……きょーさん……あと、にじかん……」
ついさっき帰って来たばかり。
ついさっき眠ったばかり。
だから零れ出た言葉に、けれど養父は許さない。
「くそ忙しいモーニングの時間に被せてくるんじゃねぇよ不良娘」
はあ、と呆れた溜息を吐きだした京は手に持っていた音の発生源であるお玉とフライパンを下ろして「あと十分待ってやる」とだけ言い残すと、黒兎の部屋を出ていった。
その際にカーテンを開けていくことを忘れない。
朝日の眩しさに黒兎は「うぅ〜…」と声を漏らす。それでも半分夢の中に居るせいか、なかなか起き上がることは出来ない。
案の定、十分待っても朝食が用意されたリビングに来ずに二度寝の体勢に入った黒兎を見た京が、布団を引っぺがしてから黒兎を投げ飛ばすまで、あと少し。
毎日の出来事だ。
それを知っていて、けれど黒兎はほんの少しの惰眠を貪る為に朝日から逃れるように黒猫に顔を埋めるのだ。
**
Cafe〜黒猫〜
そこの若店主。
木咲京の朝は早い。
毎朝五時に目覚ましなしで起床して、寝起きで少しぼやけた視界の焦点が合うまで少しだけぼーっとして。
「今日も一日頑張りますか」
毎朝言い聞かせるように放つ言葉を口から紡いで、黒いパジャマのままリビングに下りる前に一階の店に向かう。
料理の大体の仕込は昨晩済ませておいた。紅茶葉やコーヒー豆の在庫の確認をするのは毎朝の日課だ。
それらを済ませてから二階のリビングに戻り、キッチンに向かうと二人分の朝食を作り始めた。
昨晩は夕飯も食べてないだろう不良娘の為に、夕飯の残りである肉じゃがとサバの塩焼きとネギを入れた卵焼き作ると、今日も今日とて自分が起きてくる少し前に帰ってきたらしい不良娘を起こしに部屋に向かう。
どれだけ眠かろうが、寝たばかりであろうが、慈悲は与えない。
「起きろ黒兎ォ!」
Cafe〜黒猫〜の自宅部分で木霊する京の声に、愛娘は眠そうな声で「あと二時間」と宣う、いつもの風景。
二時間なんて待っていたら朝食が冷めてしまう。
自分とした『朝食は一緒に食べる』という約束を守らない娘ではないと分かっているので、元々すぐに食べられるように用意してしまっている。
けれど寝起きの悪い黒兎はそうそう起きないので、十分だけ慈悲を与えてやってから再度起こしに行った。
その途中で洗濯機に血塗れのパーカーが入っていることに気付いて、溜息を吐く。
店のモノも洗うようにと、かなり良い洗濯機を買ったお陰か、あの程度の汚れなら落ちてしまう。
――なんてわけはないので、漂白剤に突っ込んだあとに洗濯機を回した。
「さて、起きてッかなァ……」
起きてるわけないよなぁ、と確信しながら、スウ、と息を吸い、
「起きろ黒兎ォ!」
布団を引っぺがして腕を掴むと、そのまま背負い投げの要領でベッドの上に投げ飛ばした。
「ぐぇ」というカエルが潰れたような声を発した黒兎はその衝撃で目を覚ます。
柔らかい布団の上に落としてやっているだけ、京は優しさを表しているつもりだった。
「……きょーさん、いたい」
「うるせぇ。良いから飯、食うぞ」
京は「起こし方が荒い」と文句を垂れる黒兎を無視してリビングに向かう。
黒兎もそうしない内に来るだろう。
木咲家の一日は、こうして始まった――。
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