【一途な王子と鈍感な魔女】


魔女はその想いに気付かない。


クツクツと銅鍋の中で紫色の泡が立つ。
 様々な薬草が煮えて成分が煮え出る独特の匂いを感じ取りながら大きな木べらで銅鍋の中の液体を掻き混ぜれば、また少し色が変わった。
(もう少しかしらね)
 よしっ、と気合を入れ直す。
 この銅鍋と睨めっこし始めてから早数時間。
少しばかり疲れてきたが、今ここで一瞬でも目を離せば今までの数時間が全て泡となって消えてしまう。気なんて一瞬だって抜けはしない。
 ――けれどそんな私の思いとは裏腹に、どうしてか来ては欲しくないタイミングで闖入者というものは現れるのだ。
「生きているかセルリアン!」
「……」
 バタンッ! と大きな音を立てながら扉を開けた闖入者は、これまた大きな声を発した。
 そんな声には答えていられないと無視を返せば、何の遠慮もなくズカズカと部屋の中に入られた気配がした。
 その際に扉を閉めた闖入者は、部屋に入る時と変わらない無遠慮な力でも込めたのか、木製の扉がキィキィと情けない声を上げた。もしかしたら何処か壊れたのかもしれない。
 通算何度目かも分からない修復をしなければいけないようだと溜め息を吐いた。
それに気付いた闖入者が声を掛けてくる。先程とは違って落ち着いた声音だ。
「どうした? 溜息なんて吐いて。溜息を吐くと幸せが逃げるらしいぞ」
「……でしたら、もう少し静かに家の中に入ってきては頂けませんか?」
「ああ、悪いな。次からは気を付けよう」
 この言葉ももう何度目か。
全く気を付ける気なんてないなと、また溜息を吐き出した。
「……それで王子。今日は一体何の用事で私の家に?」
 闖入者、もといこの国の腐っても王子様に本日の要件を尋ねれば「ああ」と声をあげられる。
 本当は聞きたくない。
 そんな事をしていれば今までの数時間、いや。薬草集めから何からの準備時間を考えたらそんなものでは済まされない時間の結晶がパァになるだろう。
 が、それでも私にはこの人の話を訊かねばならない義務がある。
「聞いてくれるか!」
「……ええ、まあ」
 話を聞かせに来たというのに、白々しい。
 この人はこれを素でやっているのだから嫌になる。
「実は、また振られてしまってな」
「ああ、通算百二十六回目の失恋おめでとうございます」
「待て! 振られたとはいったが失恋したとは言っていないぞ!」
「相手的にはもう逸そ失恋を自覚して、他の人間に目をやってくれと願って止まないでしょうね」
「そんなことを思うものか。アレはちょっと照れ屋なだけだ。そうに違いない」
「……はあ」
 百二十六回も告白を断るのが、ちょっと照れ屋ですか。
 私の中で『照れ屋』という認識が改められそうです。
(なんて、勿論言わないけれど)
 面倒になるから、ではない。いや、勿論それもあるのだが。
 そんなことを言った所でこの人が考えを改めることはないと、そこそこの年月を共に過ごした身として、いい加減理解しただけだ。いやはや年月とは非情なものだと思う。
「それでだなセルリアン」
「はい? なんですか王子」
 ……あー、何となく嫌な予感がする。
「何かアレの気を惹ける良いアイデアがないかと思って訊きに来た」
 ……ああ、やっぱりか。
「……お茶に誘うのも、菓子を持っていくのも、花束を渡すのも、庭園に誘うのも、城下を歩くのも駄目だったなら、もう脈はないと思いますが」
 今までの王子ができる範囲で行った行動の全てが駄目だった、らしい。事後報告なので詳細はわからないし、わかりたくもないが、わざわざ出不精の私が家から出てシミュレーションまでしてあげたというのに。
(逸そ諦めてくれないでしょうかね)
 そうすればこんな面倒な遣り取りはしなくて済むのに。どうして王子はあの姫君に拘るのか。
 隣国に住む王子の婚約者なる姫君。
 確かにあの方は美しい。一国の姫君に魔女風情が早々とお目に掛かることができないので記憶はあやふやだが、美しい。それに思慮深く、まさに良妻という名が似つかわしいような方だと噂されている。
外見だけを好んで恋慕の情を抱くなんて烏滸がましいほどに聡明な方なのだそうだ。
 ――まあ、だからといって百二十六回も振られて尚、執着する意味が分からないが。
(とはいっても、仮にも婚約者を徹底的に拒絶することもないでしょうに)
 そして徹底的に拒絶されて尚、諦めない王子のしつこさには驚きや呆れを通り越した何かが芽生えそうだ。
「セルリアン! 聞いているのか!」
「はい? ああ、はい。聞いていますよ」
「聞いていなかっただろう?」
「バレましたか」
 王子の話を聞いていない臣下なんてとんだ不忠者だろう。
 けれど私達の間に築かれた絆とやらは、どうやらそんなものは不問にしてくれるらしい。
 この人が王位に就いて本当に大丈夫だろうか。
 そんな心配をしていれば、王子は再度声を掛けてきた。
「お前なら良い案を出してくれると信じているぞ」
「私の仕事を邪魔する王子を今すぐ殺る案なら出てるんですけどねぇ。この毒薬できっとすぐにでも実行出来そうです」
「セルリアン。お前、また毒薬を作っていたのか。どんなに頼まれても二度と作るなとアレだけ言っただろう」
「……冗談ですよ。ナニ間に受けてるんですか」
 王子が途端に真剣な声音を出すものだから、冗談を言ったことに多少罪悪感を覚えてしまう。
今作っているこの薬は手順を間違えたなら確かに毒薬になってしまうけれど、そんな真似は魔女見習いの時に散々やって学んでいる。
 大体毒薬なんてもう二度と作ろうとも思わない。……まあ、上司たる国王に命令されたなら嫌でも作らなくてはいけないのだけれど。
「お前という奴は……大体だな、鍋ばかり見ていないでいい加減こちらを見たらどうだ? 私はこう見えても王子だぞ。次期国王だぞ。敬え」
「ハハ。王子? 寝言は布団の中だけで言うものなんですよ?」
 鍋をグルグルと掻き混ぜながらそう言えば後ろで王子が拗ねたような空気を出した。
(分かりやすいヒトだなぁ)
 コレでちゃんと王子としての仕事は出来るのだから詐欺じゃないのか。
「私は眠ってなどいないが?」
「そりゃ、そうでしょうね」
 もし眠りながら魔女の家まで来たのなら、夢遊病の類を疑います。
「セルリアン。お前、ちゃんと私の話を聞いているのか」
「聞いてます聞いてます」
「そうか。ならば良い」
 明らかに話を聞いていないヒトの返事なのに、何が「良い」だ。
 本当に馬鹿な人だなこの人は。確かに私は作業しながら話は聞いているけれども、少しばかり信用しすぎじゃないのかと思わないでもない。
「なあ、セルリアン」
「なんですか」
 だからって邪魔するのはやめて欲しいんですけどねー、と思いながらも生返事を返す。
「茶も、菓子も、花も、城下も好きではない、例えば引き籠もりの女を振り向かせるにはどうしたらいいと思う?」
 まだ諦めないつもりかこの馬鹿王子。というか姫君引き籠もりなんですか? 初めて知りましたよ。
(しかしまあ、このまま失恋記録を伸ばして一体何になると思ってるんでしょうねぇ)
 恥にしかならないんじゃないのだろうか?
 よし。王子に子でも出来たら寝物語にでも聴かせてあげよう。
 そんなことを考えながら、それでも私は王宮に仕える魔女としてどれだけ面倒くさかろうが答えなければならない。
 ……しかし面倒くさいものは面倒くさいので投げやりに、それはもう適当に答えてやった。
「そうですねぇ。最終手段ですが、惚れ薬でも飲ませればどんな相手でもイチコロですよ」
「阿呆かお前は。薬などに頼っては意味がないだろう」
 阿呆呼ばわりには思うところがあるが、正論だと口端を吊り上げた。
惚れ薬は万能薬ではない。心を無理やりこちらに向かせて、本当に愛などというモノが芽生えるのかと言ったら、否だ。薬の力はいつか消えるし、一時でも薬を使った事実は消えない。
(それに魔術を扱う人間には効きませんしねぇ)
「だったら私などに訊かず、ご自分の力で頑張ってください」
 と、いうかですねぇ。
「私のところに来る暇があるのなら、姫君にお逢いになれば宜しいのではないですか? 私なんかのところに来ても何ら関係は変わりませんよ」
 むしろ、そのせいで在らぬ誤解を招いたらどうするつもりなのか。
「……姫?」
「何か可笑しなことを言いましたか?」
 ポツリと王子が零した疑問符付きの言葉にどうしたのかと思い問い掛ける。が、王子は「いや」と紡いだ後、何でもなかったかのように口を開く。
「姫とはいつでも逢えるが、セルリアンは私が逢いに来ねば私の元になど訪ねて来てはくれないだろう。だから私から逢いに来るのだ」
「ナニ言ってるんですか。そんなの当たり前じゃないですか」
 一国の王子のところに用もないのにわざわざ逢いに行く魔女なんて一体何処に居るというのか。
「私はセルリアンに逢いに来て貰えたなら嬉しいぞ。お前は私が誘わねば滅多に外にも出ない出不精だからな。――肌なんて日に透けそうではないか」
「っうわ、ちょっと王子」
 不意に、すぐ傍まで近付いていたらしい王子に腕を取られた。
 銅鍋の中身は片手でも混ぜ合わせられるから全く構わないけれど、驚いた。これで腕を止めたり零したりしたらどうしてくれる。
大惨事になりますよという意味を込めて王子を睨み付けた。
「お。ようやく私を見たな」
「そりゃ、嫌でも見ますよ」
「嫌なのか?」
「今取り込み中なんで、嫌ですねぇ」
「そうかそうか。ならば大人しくしている代わりに茶でも出してくれ」
「ヒトの話聞いてます? むしろ会話成立してます? あと居座ろうとしないでください迷惑です」
「ん? セルリアンは客人に茶も出さんのか」
「勝手に侵入してきましたよね? 私招いてないですよね?」
「そうだったか? まあ、そんな瑣末なことは忘れろ」
「瑣末なことですか? ドアが壊れるのは本当に瑣末な事なんですか?」
 はあ、と溜息を吐いてしょうがないなと鍋を掻き雑ぜる腕はそのままに、拘束された左腕の人差指を軽く動かす。
 すると木で出来た簡素な戸棚からポットとティーカップが飛び出した。ポットは空に浮きながら蓋を開き、茶葉が入れられお湯が注がれる。
その間にもう一度人差指を動かせば、テーブルの上にクロスが敷かれ、ティーカップが置かれる。その中に空に浮いたポットがお茶を淹れる。
面倒くさいから魔法ですぐにお茶を作ってしまったが、まあ、そんなことを気にするような相手ではない。
……私が気にしなくてはいけない立場だということはこの際気にしないでおこう。
「相変わらず面白いな、お前の魔法は」
「人間には畏怖される魔法を面白いだなんて言うのは、きっと王子くらいですよ」
 皮肉を込めながら、呆れ混じりにそう言えば、王子は「そうか?」と何故か嬉しそうに笑いながら椅子に座った。
私が初めて魔法で作った少々歪なその木製の椅子は、いつの間にか王子専用と化している。
 理解しているようで、やはりこの王子の内面は理解しきれない。 というかしたくない。こんな面倒くさいヒト。
「私にも魔法が使えたなら、少しはアレも私の想いに気付くだろうか」
「さあ? どうでしょうねぇ」
 心底どうでも良いと言わんばかりにおざなりに答えてから「ああ、でも」と口を開く。
「王子には魔法なんて不透明なモノを使わなくても、そんなものでは伝えられないような良いところがいっぱいあるんですから、気長に頑張れば伝わるんじゃないんですか?」
 姫君だって別に王子を嫌いな訳ではないだろうし、そのうち王子の良いところにだって気付くんじゃないだろうか。
 最も、姫君はもう既に王子の気持ちに気付きまくった上で拒絶してるんだと思いますが、何れは夫婦の仲になるのだから少しばかりの戯れくらい楽しんでいてもいいと思う。
「ほう? セルリアンは私のことをそんな風に思ってくれているのか」
「ナニ喜んでるんですか」
「そう見えるか?」
「そうとしか見えないですね」
 王子が拗ねるから鍋を掻き雑ぜる腕だけをそのままに王子に向き合ってそういえば、王子は心底嬉しいと言わんばかりに眦を下げて笑った。
「そうかそうか。なら何故肝心なことには気付かないんだろうな、お前は」
「は? ナニがです?」
「お前は人の気持ちを何も知らないのだなと馬鹿にしたのだ」
「……追い出しますよ」
 それは嫌だと椅子にしがみつく王子に呆れながら、木べらを鍋からあげて壁に掛けた。
「もういいのか?」
「何の為にもならない会話をしていたら時間があっという間に過ぎたもので」
「はは。そうか。役に立ったなら何より。それで? 結局それは何の薬なんだ?」
「ただの傷薬ですよ」
 まあ、効能はそこらの薬剤師が作るモノよりは格段に良いモノだけど。何せこれは王族の為に作った魔女の秘薬なのだから。
「セルリアンの薬は良く効くからな。私は何の戸惑いもなく怪我が出来る」
「安心して怪我をしないでください。馬鹿なんですか? ああ、馬鹿でしたね」
「私を馬鹿だと言うのはお前と姫くらいだなぁ」
「それはそれは。姫君とは気が合いそうです」
「私の方がセルリアンと気が合うぞ」
「オメデタイ頭の持ち主が次期国王で、この国の未来はさぞ安泰デショウネ」
「そう思うか。だが、私が立派な王として或るには、私の想いに応えて貰わねばならんのだがな」
「はあ、そうですね。頑張ってください」
 これだけ付き合っているのだから結婚式くらいは呼んで欲しいものだ。……魔女が王族の式典に出られるわけがないから言わないけれど。
「ああ、まだ道程は長そうだからな。気長にやるさ」
 口元を緩めてお茶に口を付ける王子に、気長なんて言ってたら誰かに捕られちゃいますよと軽口を叩く。
 それは困るなと苦い顔をする王子に、だったら早々に片を付けてくださいと言い放った。

       **

 メイドが淹れた茶に口を付けながら眉を顰めた。
うん、不味いな。
 どうしてだろうな。茶葉はセルリアンのところにあるものよりもずっと良いモノだし、淹れた人間はセルリアンのように適当な淹れ方なんて決してしない。『王子』に対して最大限の敬意を払いながら丁寧に、それだけを修練した人間が淹れているのだから。
(にも関わらず不味いと感じるのだからどうしようもないな)
 セルリアンの味に舌が慣らされてしまったのか、それとも心の底から湧き上がってくる感情故か。
「こんなにも想っているのに、何故、ああも鈍いのだろうな」
 はあ、と溜息を吐きながらそう口に出せばクスクスとした笑い声。
「それをわたくしに訊くのですか?」
「お前以外に言えないからな」
「ああ、それもそうですねぇ。オーキッド殿下にはまだまだ敵が多いですから」
 向かいに座った隣国の姫君は、ふふ、と微笑みながらティーカップに口を付ける。
 姫君を遠巻きに見ていたメイド達がその仕草に感嘆の息を吐いていたが、この姫の腹が真っ黒だと知ればどう思うのか。
 清廉だと評判の姫の本当の姿を知れば、驚愕するだろうな。まあ、私には関係のない話だが。
「どうやらアレは、私がお前に恋情を抱いていると思っているらしい」
「まあ、それは迷惑なお話ですねぇ」
「全くもってその通りだ」
 今まで会話の節々に何処か違和感を抱いていたが、まさかそんなことを思われているとは流石に思わなかった。
 もうずっとアプローチしていたつもりだったのだが、どうやらそれら全てが無駄な行為だったらしい。
「そもそも魔女様には恋愛感情があるのでしょうか?」
「……恐らく知識としてしか知らないだろうな」
 魔女になることだけを目指して生きてきたような女だ。
 そんなものに現を抜かしている暇はなかっただろうし、今ですらないとでも思っているのではないだろうか。
「困った女だ」
「それが困った方のなされる表情なのですかねぇ」
「どうとでも言え」
 ハッと笑って、テーブルに頬杖をつく。
「随分荒れてますこと」
「想い人に何も伝わっていなかったと分かれば荒れもする」
「まあ、ふふ。頑張ってくださいませね。わたくしは貴方と夫婦だなんて仲になりたくありませんから」
 セルリアンに言われたのと同じ『頑張れ』とそれに続いた言葉に「言われるまでもない」と返して、不味いお茶を一気に飲み干した。
(とりあえず明日も時間を作って逢いに行こう)
 私の『良いところ』とやらは知っているらしいから、今度はそこに惚れて貰わねばならない。
「まずは私が誰を好いているのか気付いて貰わねばならんな」
「茨の道ですわねぇ」
 姫の言葉に何も返せなかった理由には、気付きたくなくて、不味い茶を一気に飲み干した。


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