人魚姫


コポコポと空気の抜ける音が遠くで聞こえた。
暗く光さえない闇の中に落ちていく中、遠くなっていく光を薄く開いた視界で見る。


死ぬのか。


漠然とそう感じた。
自分はこんな場所で死ぬのかと。


(それもいいかも知れない)


城の中の腹の探り合いも。
『王子』という肩書きに向けられる笑顔も。
『王子』への期待も。
所詮自分が王子でなければ情さえ向けられないのであろうと分かる、貴族共の醜い顔を。
もう見なくて済むのだから。


少しずつ潰されていく肺。
痛みはない。
あるのはただ、解放への緩やかな期待。


(――これで、ようやく)


自分は、解放される。


力を抜いた瞬間、口から大量に空気が零れていく。
肺には殆ど空気なんて残っていないだろうから、きっと死ぬのも時間の問題か。
ゆっくりと瞼を閉じた。
意識が薄れていく中、たった一瞬だけ見えた最後の景色は。



天上の光に煌めく、美しい鱗。








次に目を開いた時。
金色の髪をした美しい女が、俺の顔を覗いていた。


「あ、良かった。無事みたいですね」


俺は死んだんじゃなかったのか?
それとも此所が天国という奴か?
じゃあこの女は差し詰め、


「……てんし?」

「天使?私はそんなものじゃないですよ?」

「……じゃあ、」


そこまで声に出して、けれど次に出す筈だった言葉は喉に貼り付いた。


(――ただの噂じゃなかったのか、じゃあ最後に見たアレは)


顔を覗き込んでいた彼女から視線をずらした時に見えた彼女の下半身には―――人間にはない、ヒレ。
キラキラと光に反射して虹色に見えるそれには見覚えがあった。
意識を失い間際に見たものだ。



「―――人魚」


ビクリと反応した彼女を見て確信した。
隠す気も無いように見えていたが、本人としては知られたく無かったのだろうか?
だったら余程抜けているようだ。



「君が助けてくれたのか?」

「……私達の海で、死人が出るのは嫌ですから」

「そうか、―――そうか」


ああ、そうか。そうだな。
彼女はただ海を守ろうとしただけで、俺を助けようとした訳じゃない。
けれど確かに俺は救われた。
紛れもなく、彼女に。


確かに死んでも構わないと思っていた。
けれど、死にたいと思っていた訳ではない。
だから、


「ありがとう、美しい人魚姫」


心から感謝する。


「……へ」


間抜けな声。
そしてみるみる間に赤く染まっていく顔。


「? どうか、」


したのか?
そう言う暇も与えずに、彼女は海へ潜ってしまった。

ああ、まだ話して居たかったのに。

そうは思っても先程まで溺れていた身体が今すぐに言うことを利く訳もなく。
重たい腕を上げて顔を隠した。


「……可愛かったな」


真っ赤になった彼女の顔を思い出すと、自分まで熱くなってくる。
ぽろりと溢れた言葉は、誰に届くこともなく波の音に消えた。


【助けた人魚と助けられた王子様】


end...

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