Un bugiardo(嘘つき)


「セシル!どこ行きやがったセシル!」


広く大きな屋敷の中庭に響く、大きな怒声。
呼ばれているのはこの屋敷、アーベレッチェ家の当主セシルだ。

彼女は今現在、膨大な仕事を放り出して敷地内を逃走中である。
キリッと上がった眉を更に吊り上げて、般若のような顔をしながら当主を探し続ける男、アドルはその長い脚を忙しなく動かしながら、上等なスーツが汗だくになるくらいの時間を動き回っていた。


「テメェ!ビッチ!いい加減出てきやがれ!」


綺麗な庭に響く口汚い怒声。
どんなに叫んでも、広大な庭に木霊するだけで無意味だと気付いた。


「今日はいやに隠れるのがうまいな……」


はあ、と溜息を吐いたアドルは、疲れたとばかりに庭にある白い椅子に腰掛け足を組んだ。
どこに行きやがった。
そう考えながら、ふと何かの気配を感じる。
アドルは組んでいた足を解き、左足を思いっきり椅子の下に蹴り込んだ。
その瞬間。


「いったぁい」
「っチ!仕留め損ねたか」
「酷いわぁ、アドルったら。アタシが居ることを知りながら蹴り飛ばすなんて。仮にも当主よ?」
「仕事をしねぇ当主なんぞ蹴られて当然だ」
「アドルったらァ。ただでさえSなのにSMプレイにでも目覚めちゃった?」
「目覚めてねぇよクソビッチ」
「んふふ。まさか見つかるとは思わなかったのだけれどもねぇ」


セシルは隠れていた椅子の下から這い出てくる。
何故そんな狭い場所に隠れてたんだお前は?いや、むしろ良く隠れられたなと若干の感心を抱いた。


「隠してた気配を微かに出したろ」
「んふふふ。逃げるのもつまらなくなっちゃったからね」


紅い唇をニヤリと歪め、太陽に透けるような銀糸を纏う髪を撫でながら蒼い空のような瞳を向けてそう言った。

その発言にぶちっと何かが切れた音を響かせたアドルは、ぎゅうぅぅぅと音が聞こえて来るんじゃないかというくらいセシルの小さな頭を大きな片手で鷲掴み、締め上げる。

セシルはそんなことはなんてどうでも良いとばかりに、へらへら笑いながらアドルの仕置きという名の憂さ晴らしを受け止める。
小さな尻についた土を叩いて落とす余裕がある程度には、セシルにとってはこれは日常茶飯事なのだ。
つまり、日常的にアドルをキレさせているということだが――そこには言及しないでおこう。


「で?」
「ア”?」
「やぁだぁ、凄い怖い声」
「お前はいい加減、死なないと仕事をしねぇのか?」
「アドルに殺されるなら大歓迎ねぇ」
「……この、嘘つきが」


アドルは締め上げていた掌から力を抜き、自分の身体に沿うように腕を落とす。
セシルは「んふふ」と独特な笑い方しながら「それで?」と再度問う。
仕事を放ったらかした程度でアドルがこんなに必死になって探すわけがないのだ。
何せ大切な書類にはサインをしてある。
だから他に用があるのだとセシルは気付いていた。


「何か凄い呼んでたけど、どうしたのかしら?」
「聞こえてたなら何で逃げ回ってたんだろうなァこのクソアマは」
「ん〜、まぁ、小休止?ってやつよー」
「小休止だァ?」


数時間も、気に入りのスーツを汗まみれにさせる程度の時間を逃げ回るのが、小休止だと?
アドルがセシルを責めるように睨み付けるが、セシルは全く罪悪感を滲ませていない顔をするどころか、だぁって疲れたんだもの、とケラケラと笑う。


「はぁ……お前の奔放振りはどうしたら治るんだろうなァ?」
「さァ?死ぬまで無理なんじゃないかしら?」
「縁起でもねぇこと言うんじゃねぇよ」


ベシッと強めにセシルの背中を叩くと、アドルは「良いから屋敷に戻るぞ」と告げた。
遠く離れた庭からも見える屋敷はそれだけで大きさを感じられる。


「今日の鬼ごっこはおしまいなのねぇ」
「明日がないことを祈りてぇな」
「あら?なら、カミサマにでも祈ってみる?」


セシルは妖艶に微笑む。
それは見ようによってはまるで聖母マリアのようでもあり、堕落した悪魔リリスのようでもあった。
セシルの二面性のようなこういう顔に、時折アドルはゾクリとする。
恐怖からか、未知のものに出逢った時のような恐ろしいまでの興奮のようなものなのかは分からないが、アドルはこの顔に興奮する自分が居ることを知っている。
セシルは『神様』を信じてはいない。むしろ不快にすら思っているのだ。
信じようが信じまいがどちらでも構わないとも思っていることも。

セシルのことならすべて知っている。

そんな自分に酔っているのか。
しかしそれは事実なのだからと、興奮を鎮めるようにふぅ、と息を細く吐いた。


「どんなに祈っても、願っても、何も変わらないことを知っている俺が神なんかに祈るわけがないだろ。お前に言い聞かせてんだよ。イチイチ茶々を入れるな鬱陶しい」
「んふふふふ」


セシルはやけに目立つ紅い唇をチェシャ猫のように歪め、庭園から屋敷に向かって歩くアドルをゆらり、ゆらりと楽しむような足取りで追う。
庭園に咲いた赤い薔薇がぶわっと芳香を放った。


「それでそれで?何があったのよー」
「……はぁ。――綾女と暁月が日本に入った」
「あら?そうなの」
「気に留めないのか」
「『仕事』を言い渡した時に、そんな気はしていたのよ」


ニッコリ笑ったセシルの嘘くさい笑顔にアドルは頭が痛くなった。


「どうせ、あの子の本当の家族にでも会いに行ったのでしょう。十六歳になるまで待っただけいい子だと思うわよ」
「……お前だって母親だろう」
「母である前に、あの子の上司だもの」


前を見据えるセシルにアドルは足を止めた。
そうして振り返ると、口を開く。


「なら真面目に仕事しろ!」
「やぁだぁ」


コロコロと鈴を転がすような声は屋敷の入口で響き、そうして首根っこを掴まれながら二人は屋敷に入っていった。

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