∵出来そこないの英雄
ふる-きず【古傷・古疵】 年を経たきず。ふるくなったきず。「−が痛む」 ふるく感染したそう毒。 比喩的に、ずっと前に犯した罪悪。旧悪。 また。
「……」
突然だった。 とうの昔に乾ききって、今ではただの直線に変わったはずの傷跡がしくりと疼く。 空を見上げると、黒ずんだ灰色の雲がこちらを見下ろしていた。 雨の日は昔の傷が痛むのだと、いつかどこかで聞いた台詞が頭の中で蘇っていた。
「サスケ、どうした」
足を止めた自分を振り返った三人の顔が、頭上と同じ色に曇る。
「いや、少し休もう」
前日も降り続いた雨のせいで、柔らかくなった木の幹に背中を預ける。 よく晴れた日には気にもならない木々の匂いがつんと鼻をついた。
鈍痛を繰り返す右腕には無数の傷跡がある。 既に、いつどこでつけたものなのかは把握しきれていなかったし、事実そんなことは大して意味のないものだとも思っていた。
ただ、一際大きく残った直線の傷跡は、薄れゆく記憶と共に存在していた。 今日のように暗く侘しい色をしていた空と、隣にあった桃色の髪が作り出す明暗比が、今もその傷に埋め込まれている。
雨なのか涙なのかわからないほど顔中を水滴で濡らして、サクラはあの日、しきりに頭を下げていた。 右腕は溢れる鮮血で赤く染まり、おかしな方向を向いていた。
腰から下げているポーチから、持っているだけの医療用具をばら撒いて、震える手で彼女は治療を始める。
痛みは尋常ではなかったし、早く楽になりたいとさえ思っていた。 そしてこの苦痛の原因となった彼女に、可能な限りの悪態を吐いて。
今では、自分が何を叫んだのか知る由もない。 ただあの頃気付けなかったのは、自分が動かずとも彼女はあの危険を回避できただろうということ。
悪趣味なヒロイズムに、酔いしれていたのだ。 守らなければいけない対象がいることで、安堵していた。
生温い湯の中で生きていくことを拒んでいたくせに、その温度を保とうと必死になっていたのが自分だったことも今なら分かる。 温かさを捨てた今だから、分かるのだ。
仮に、あの頃もっと彼女を。 馬鹿げた仮説を飲み込んで、開いた掌を強く握りなおす。
「行くぞ」
漆黒の上着を翻すと、霧のような雨が頬を打った。
(―また、忘れてしまいたい過去の経験)
(20081103-20110929加筆修正
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