∵Foolish me

ふとした瞬間に、どうしても会いたくなることがある。
買い置きしてあった瓶詰めの蓋がどうしても開かない朝、野良猫の呻くような鳴き声が響く夜、とにかくそういう時にはより一層彼の無愛想な横顔が恋しくなるのだ。

とは言え、それを理由に呼び出せるような技量もなければ、関係でもない。
だからいつだって、瓶の蓋は自分の手で開けなければいけなかったし、猫の鳴き声には耳を塞ぐしかなかった。









十日ぶりの休日である。
たっぷりと差し込む太陽光を背に、今日も瓶の蓋と戦っていた。



壁に向かって投げつけてしまいたい衝動を歯軋りしながら抑え込む。短気は損気とはよく言ったもので、投げ付けた瓶が砕け、その中身が床を汚す様は想像に容易い。
そうして一息吐いたところで、死に際の蛙のような音を鳴らすインターホンが来客を告げた。




「…何してるの?」

「お前の家を訪ねてる」



起き抜けで寝癖だらけの髪と、首元が伸びた陽気な柄のTシャツ、色褪せたショートパンツの存在が、扉を閉めるという行動の起因となったのは言うまでもない。



「おい、なんで閉める?」

「いま取り込み中!」



話しながら全ての着衣物を放り投げ、クローゼットからワンピースを取り出す。



「…誰かいるのか?」

「誰かって、誰が?」



一分前の自分のことは忘れてくれ、ととびきりの笑顔で再び扉を開けた時、彼の眉間の皺は二本に増えていた。



「取り込み中って、」

「アレのことよ」



控えめなダイニングテーブルの中央で、ぐったりと転がっている瓶詰めを指差した。
切れ長の目は僅かに丸くなって、なんだ瓶詰めか、と低い呟きが漏れる。


常々もっと食事をするよう勧めてきた細い体躯は、この部屋にあると随分と逞しく見えた。
広い背中も、長く伸びる腕も、狭い箱の中に押し込めてしまったようで申し訳なさを覚えてしまう。



「ほら」

「あ、ありがとう」



ぽん、と小気味良い音がしてすんなりと瓶詰めはその中身をさらけ出していた。
命を賭してでも開けてみせようと意気込んでいた筈が、彼の来訪によって瞬時にその士気を削がれてしまった。その所為か、無感動な返答になってしまったことを後悔する。
さすがサスケ君、と声も高々に付け加えようかと逡巡したが、かえって気を損ねそうだと一つ咳払いをして誤魔化した。



「それでサスケ君、どうしてここに?」


「…明日から長期で里を離れる」


「え?そうなの?全然知らなかった」


「だからその前にお前に会っておきたかった」



へぇサスケ君でもそういう冗談言ったりするのね、とテーブルの上を片付けながら笑っていると、尺然としない顔でこちらの手元をじっと見つめてくる。
人をからかう時くらいもう少し感情的になってみたら、とは、思ってはみても言えやしないので、彼の視線を一心に浴びる自分の手に嫉妬することに集中した。



「冗談じゃない」


「うん、わかってるよ」


「明日から長期任務だってことを伝えに来てくれたんでしょう?」




もう準備は済んだの、明日は見送りには行けないなぁ、あ、頼んでないって?、と畳み掛けるように話す私を見て、サスケ君の眉間には再び縦線が刻まれていく。



彼の中には、他人には到底理解し得ない地雷がいくつも埋め込まれていて、私がそれを知らず知らずのうちに思い切り踏みつけていることが多々ある。
大抵の場合、前兆を見せるなどという優しい制度は無いので、後悔先に立たず、というところだった。
今この瞬間にもどうやら複数の爆発を引き起こしてしまったようで、彼の表情は般若面のように歪んでいた。
この世で最も美しい般若面だ。
昔は苦手だったこの顔も、今では割と好ましく思っている。
地雷でも手榴弾でも、彼がその心の内を吐露するのは喜ばしいことに間違いないのだ。



「あ、れ?なんか、ごめんなさい」

「何が」

「えーと、何かが?」



もういい、と背を向けて部屋から出ようとするサスケ君の腕を無意識に掴んでいた。



「…なんだよ」

「あの!里に戻ったらまた、ここに来て欲しい、なんて」



言ってみてもいいですか、と尻すぼみに口を動かす。
顔を上げた時、彼が鬼の形相をしていたらどうしようかと思案しながら、恐る恐る視線を引き上げて行く。



こちらを見下ろす双眸は、相変わらずなにを考えているのか計り知れないところがあるが、どうやら鬼に襲われる心配はなさそうだった。



「何の為に」


「何の為にって、そんなの、」


会いたいからに決まってるでしょう、と言ったところで正しく理解されないことは自明の理だ。
それを理由に出来るほど、私たちの関係は成熟していない。




「瓶詰めの蓋が開かないからよ」










遠ざかっていく背中を見送りながら、彼が帰還するその日までにもっと頑丈な蓋をした瓶詰めを用意しなければと拳を握った。
去り際に見えた微かな頬の緩みを思い出せば、今夜聞こえるだろう野良猫の声を子守唄にすることも出来る。



出逢ってから初めての、悲哀を知らない別れの朝だった。


(20110929:理瀬さんへ)