∵オブザーバー

別に気取っているわけでも何でもないのだが、昔から友人と呼べるような存在がいなかった。
休み時間となれば、教室の片隅で食事をし、余った時間は大抵図書室で読書に耽っていた。
昨日のテレビの話で笑い合うといった光景も、別次元での出来事のように感じていたものだから、マジックミラーの裏側から世界を眺めているような感覚が常にまとわりついている。



ちなみにそれを寂しいだとか物足りないだとかと思ったことはない。
強がりではなく、真実である。
そもそもそんな強がりを言う相手が居ないということをまず補足しておこう。


そういった性質であるから、クラスメイトが付けた渾名は「鉄面皮」だった。
中々に良い表現だと思うので、特に悪い気はしていない。


寧ろ、孤高の王子などと言われているあの男、うちはサスケの方が、鉄面皮の自分よりも余程気の毒だった。
あの日、下駄箱で聞いたあの告白は、王子が聞いて呆れる腑抜けっぷりだったことを思い出す。
中身が伴わない渾名というものの不愉快さは理解出来たので、あいつを見る度に心の中で焼香を上げてやった。
ご愁傷様、というやつである。
そして同時にいい気味だとほくそ笑んだりもした。


今日もたっぷりと眉間に皺を寄せて頬杖をついているあいつの横を通って、静かに図書室への道程を進んだ。

にこりともしない王子が存在しても許されるこの世界は、絵本以上に馬鹿馬鹿しい。






建て付けの悪い引戸を開けると、古びた本の匂いが鼻腔を刺激した。
決してうっとりするようなものではなかったが、何とも言いがたい心地良さを感じさせる匂いだ。

借りていた本を返却して、目当ての本が並んでいるであろう棚へ向かう。


昼休みの図書室は、いつも閑散としている。
次の予鈴が鳴るまでここにいるような人間は、自分を含めても精々三人程度だ。

三列に並ぶダークブラウンの机には、広々とした間隔を保ってやはり二人の生徒が下を向いていた。
使われていない机の真ん中に腰掛けて、ふと顔を上げると見覚えのある髪色が視界に映り込んだ。



学年首席でありながら、うちはサスケの取り巻きでもある彼女だった。
先だって発表された定期試験の結果から、彼女の名前が春野サクラで間違いないことは確認していた。ただし、話したことは勿論、目が合ったことさえもないので、彼女が春野であろうが春田であろうが大した意味は持たない。


窓から差し込む陽の光を背にして、静かにページを捲る姿はとても知的で好感が持てたこともあって、彼女があの男に傾倒していることがやはり残念でならない。


頬にかかる細い髪の束を、左手で耳にかける仕草に少しだけ胸が高鳴る。
よくよく見れば、均整のとれた目鼻立ちだ。
あの寒い放課後に、一瞬でもこちら側の人間のように感じたことを惨めに思う程度には、彼女は美しかった。


窓の外を伺う振りをして視界の端に映していた彼女が顔を上げたのは、例の建て付けの悪い引き戸ががたがたと音をたてた時だ。



唯一の楽園に、招かれざる客が訪れた。



うちはサスケは、真っ直ぐに彼女に向かって歩を進め、上品な所作でその隣に腰を落ち着かせていた。



「珍しいね、どうしたの?」

「別に何でもない」


そう、と呟いたきり春野サクラは再び読書に没頭し始めていた。
ここで彼女が素早く本を閉じて、頬を染めながらあの男に話しかけていたらすぐに図書室を後にするつもりだった。
そうなるであろうと予想していた右手は、しおりを本に挟むところまで動きかけていたが実際はそうしなかった。
本を閉じるどころか、隣に座る男に一瞥もくれずに背筋を伸ばしている彼女のせいで、席を立つタイミングを逃していた。


まるで自分以外には誰も存在しないかのように、春野サクラは黙々とページを捲る。
その横顔を、じっと見つめているうちはサスケの表情に、再び貧乏くじを引かされた気分になった。



今日まであの男が微笑むことの出来る人間だなんてことを、自分は知らなかったからだ。
なんだか気味の悪いものを見てしまった。
内蔵が飛び散るホラー映画の方がいくらかましだと思う。


そうして予鈴が鳴るまで、うちはサスケは終ぞ図書室を出ることをしなかった。
本を読むでも、微睡むでもなく、静かに隣を見つめていた。



「終わっちゃったね」

「ああ」

「本当に何しに来たの?」

「……読書」


嘘つき、と彼女は小さく笑って席を立つ。

建て付けの悪い引戸を、うちはサスケが開けてやり、一人分の隙間が出来たところを春野サクラが音もなく通過して行った。

廊下に出た二人の声は、扉一枚を隔てたことではっきりとは聞き取れない。
聞きたいとも思わない。



そもそも、他人の動向にはあまり興味がない性質だ。
好きかそうでないかというよりも、気に入らないかそうでないかという分類をしてきたし、接触を避けたい人間はなるべく視界に入れないよう心掛けてきた。
うちはサスケという男がその例である。

それが災いして、コミュニケーションスキルは低下する一方だった。
だから自分には他人の感情や思考を読み取る能力は皆無だと思っている。


もし仮に、あの男の知られざる思いに気付いてしまったとしても、それは自分の所為ではない。


瞳孔や髪の毛先、人差し指から小指に至るまで、あの男の体からは小さな粒子のようなものが絶えず溢れていたからだ。


そしてその粒子は、どうやら誰の目にも映らない特別な細工がしてあるらしい。
第一発見者は平凡な人間である自分で、つまりは命名権もこの心にある。


だからその粒子に「愛」という名前を付けてやった。


そして、頼むからこちら側へは来てくれるなよ、と両目を閉じる。
あんな男の愛情になど、何があっても触れたくはないのだ。


(20110714拍手より移動)