∵けれど私の丘は無風

夏は苦手だった。
自分の体温程もあろうかという生温い空気を体内に取り込む作業を、とてつもなくおぞましいことのように思っていたせいかもしれない。

そんな季節に、不馴れなこの土地へ越してこなければならなかった運命を呪っていた。
運命が扉を叩く音というのがこんなにも不快なのだとしたら、これをあの名曲に昇華させたベートーベンはやはり天才だったと思わざるを得ない。


まだしばらく続きそうな坂道をゆっくりと見上げて、一つ息を吐いた。



「あの、大丈夫?」



斜め後ろから突然に聞こえた声が、現実と自分とを繋ぎ直していく。



「…何が?」



汗の滲む額に張り付く前髪の隙間から、声の主を見つめ返した。

顎の辺りで揺れる、見たこともない色の髪をした女生徒だった。混血だろうかと僅かに眉を寄せると、それに気付いたかのように彼女は身動ぎした。



「その、気分が悪そうに見えたから…」



大丈夫ならいいの、ごめんなさい、と早口に自己完結を迎えた彼女は、そのまま静かに背を向けて坂道を登り出す。


あまり頼り甲斐のなさそうなその背中を眺めていると、いくら気分が悪いとはいえ流石に冷たく当たり過ぎただろうかと余計なことが脳内を駆け巡った。

体調が万全であっても愛想がないのことに大した変化はなかったかもしれないが、後悔や罪悪感といった類いの感情は少なからず持ち合わせている。



「……おい!」



声を掛けられて反射的に振り返った両目と視線がぶつかった。
ざわりと音を立てた道路端の若葉と同じ色をした瞳だった。



「夏は、苦手なんだ」



まるで脈絡のない告白に、彼女は一度目を丸くして、それからすぐに口元を緩めていた。



「私、春野サクラ。あなたは?」


「…うちはサスケ」



その返答に満足したのか、彼女は静かに笑みを深める。

坂の上からこちらに向かって、乾いた風が吹き抜けた。
衣替えを終えたばかりであろう彼女の白いシャツが風船のように広がって、すぐさま萎んでいく。


息を吸うと、何か新鮮な物質が身体中を満たしていく気がして、明日からの坂道は今日とは違う顔をしている気がした。


(20110704)