∵タナトロジーの帰着点
今となってはただの空き家と化した建物を見つめた。 空気はひどく張り詰めていて、見えない結界がそこにあるかのような錯覚に陥る。
立ち入りを禁ずる看板があるわけでも、テレビで見るような黄色のテープが張り巡らされているわけでもないのに、誰ひとりこの家に近寄ることはなかった。
悪戯に荒らされることも、 オカルト的な噂が流れることもなく、
存在そのものが誰の目にも映らなくなったかのように。
玄関へと続く道の周りは、育ちきった雑草で埋め尽くされている。
何故、今になってこんな場所へ出向く気になったのか自分でもわからなかった。
ただなんとなく、火影室の窓から眺めた風景に混じった彼の家が、やたらと小さく見えたのだ。
里の名門と呼ばれた屋敷が、他のどんなに小さな建物よりも廃れて見えた。
そのことがとても、哀しかった。
建物の中に入ることへの許可は得ていた。 火影である恩師は、理由を問い質すこともなく静かに首を縦に振ってくれたのだった。
仮に理由を聞かれていても、答えなど用意できなかっただろう。 玄関に手をかけている今この瞬間も、理由はわからないのだから。
「サスケ君、お邪魔します」
彼が里にいた頃には言ったことのない台詞を、 彼のいない家に向かって呟く。
埃まみれの床を見て、靴を脱ぐべきか否か迷ったが、他人の家に土足で入り込むことはやはり出来なかった。
やけに整理されている室内を見ると、彼が里を去ったあの日の決意が伝わってくる。 この部屋と同じように、彼は自分の心も整理していたのだ。
静かに、たった独りで。
ふと大きなベッドが視界に入る。 青で統一されたベッドカバーが埃のせいで灰色がかっていた。
「…黒じゃないんだね」
ほんの少しだけめくられた掛け布団。 丸くへこんだままの枕。
あの日、彼がここから抜け出た時のまま、時間だけが過ぎていた。 柔らかな弧を描いて沈むベッドスプリングには、温もりさえ感じてしまいそうだ。
閉まり切っていないカーテンの隙間から、夕陽が差し込んでいる。 無人の廃屋には似つかわしくない温かみのある色だった。
「あ、」
オレンジ色に伸びた光の線を辿ると、不自然に倒された写真立てが視界に入る。 彼が写真を飾る姿を想像したが、どうにもしっくりこなかった。 家族の写真のような気がして、無断で見ることに躊躇いを覚える。 或いは写真は既に抜かれているかもしれない。
それでも心中で、ごめんなさい、と謝ってから写真立てを起こした。
陽が沈んだ空を眺めて、私は唇を噛み締めた。 やっぱり見なければよかった、と顔中を濡らして後悔した。
(090819)
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