「ほらまた、」


そう言って妖艶な考古学者は、黒髪を揺らした。
ティータイム用のミニテーブルの上には、カラフルなマカロンとホットコーヒーが並んでいる。


また、というのは近頃この船の航海士が見せる姿に関しての一言である。
ロビンの指摘にはっとしたように、ナミは大人しく両手を膝の上に置いた。



「あまり良い癖とは言えないわね?」

「…そうね、うん、わかってるんだけど」



つい、と語尾を濁らせながら下を向く表情は珍しく落ち着きがない。



一ヶ月程前からだろうか。
爪を噛むナミの姿を頻繁に見るようになった。
これまで目にしなかった光景に最初は偶然かと見過ごしていたものの、痛んでゆく指先を無視出来なくなった。
そして冒頭の台詞を、ロビンはもう何度も告げていたのだ。



「勿体無いわ、綺麗な指なのに」

「ロビンの方がずっと綺麗よ。細くて長くて。白魚のような、って言うの?まさにそれよね」


両手を封じたまま唇だけでストローを口内に入れると、ナミはグラスに残っていたスカイブルーの液体を一気に飲み干した。


「でも、そうよね、気をつけるわ」


ほら、爪が何もなくなっちゃってる、と右手を太陽に翳しながら彼女は一人決意する。
もうその台詞も何度も聞いていたのだが、あえてそれには気付かないふりをした。



「一体何で満たされたいのかしら、可愛い航海士さんは?」

「お金よ、お金!」


一拍も置かずに即答する目には漸く生命力が見えてきて、いつもの調子を取り戻したようにも見える。
本当にそれだけか、と再度問いかけようとしたところでマカロンに伸びてきた別の腕に阻まれた。




「またお前らだけ美味いもん食ってんのか!」


そうやって結局いつもあんたも食べるんじゃない、とナミは小さく溜息を吐いてマカロンの乗った皿を差し出した。
一流の料理人が一流の美女にだけ振舞う15時のおやつは、この船の船長にとって気に食わないもののひとつだ。
自由自在に伸縮する二本の腕がそれらを奪ってゆくのも、当たり前の光景となっていた。



「それでも満たされないようだわ、あなたの航海士さんは」

「何がだ?」

「いいのよ、ロビン。これにそんな話をしたってわかりっこないんだから」


短くなった爪で船長の頭をつついてナミは頬杖をつく。
端から女二人の会話になど興味もないのか、手と口だけを動かしながらルフィは首を傾げていた。



「なんだナミ、なんか欲しいもんでもあるのか?」

「教えたら買ってくれるの?」

「ああ、いいぞ!」


あんたはいつもお気楽でいいわね、と二度目の溜息を空に向かって吐き出したナミを他所に、ルフィはロビンに視線で問いかける。


「気になる?」

「だから何がだ?」

「さぁ?わたしにもわからないの」


何が彼女の欲求を満たすことが出来るのか。
それがたとえ何であっても、出来ることなら今すぐに差し出してやりたいとロビンは思う。
そしてどうにかして美しかったナミの指先を取り戻したいとも。



「おいナミ!」

「…何よ」




風で飛ばされそうになる麦藁帽子を片手で押さえながら、真上に昇る太陽を背にルフィは口元に笑みを浮かべた。
光を味方に付けた姿はやけに力強く、ナミは彼が紛れもなくこの船の船長であることを思い知った気がした。




「満たしてやろうか」



或いは彼なら、本当に全ての空虚を埋めてくれるのではないか。
期待よりももっと濃厚な、約束された未来がそこにあるような思いでルフィの背中とナミの極端に短い爪を見やって、ロビンは短く息を吐いた。



爪を噛む女
(20100917)


- ナノ -