雨の日に傘をさすことと同等に、当たり前のような顔で帰還した神田を、リナリーは見つめていた。
愛だの恋だのという穏やかな感情からではない。長い黒髪と整った相貌が隣にあることへの、手の施しようがない喜びと悲しみ。
そのどちらもが波のように寄せては返し、リナリーの心を平常から遠いところへ向かわせていた。


「雨の日には傘を差す?」

「右手が塞がるくらいなら濡れた方がましだ」

「左手で差せば?」

「左手が塞がるくらいなら濡れた方がましだ」


馬鹿にしているのかと声を荒げようとして、思い留まる。
冗談など言えた男ではないのだということを、リナリー自身よく知っていたからだ。


「なんでそんなこと聞く」

「思い付いただけ、気にしないで」


納得したようには到底思えない顔つきで、神田は静かに斜め下にある華奢な肩に視線を落とした。
居心地の悪さを隠そうともしないその仕草に、リナリーは説明を乞われた気になって口元を弛めて見せる。
言葉にしたところでくだらないと一蹴するに違いない。それでも知らなければ気が済まない神田の性分を、彼女は優しさと分類していた。
言うほどに冷酷になれない心根を誤魔化すための辛辣さは、相変わらずのようだ。その片鱗を垣間見て、目の前の男は神田ユウそのものに違いないのだという遅すぎる確信がリナリーの心に根付いていく。


「深い意味はないのよ。ただ雨が降ったら傘を差すことと同じくらい当たり前に神田が居て、嬉しいの。雨の日の憂鬱さを忘れるくらいには、本当に嬉しく思ってるの」


「…だったらまずその腫れた目を治すことだな」


神田によって不細工と称された膨らんだ瞼をこすって、今にも頬を伝いそうになる涙をリナリーはそっと押し込める。


「どうせ不細工だもの」

「怒るなよ、冷やせばすぐだろ」


意地の悪い人間ぶって、神田は切れ長の目を細めて笑った。
少女の輪郭を簡単に覆ってしまえる広い掌が、熱を持った瞼にそっと触れていた。
双眼から流れ出る不安を押し戻す要領で、その視界を塞いでいる掌に、リナリーはゆっくりと瞳を閉ざす。


「だったら治るまでこうしててよ、ね?」

「阿呆か。金とるぞ」


辿り着いた時と同じように容易く離れていく右手が、想像していたよりもずっと暖かな余韻を残していて、この方法ではどれだけの時間を割いても瞼の腫れには効きそうにもない、とリナリーは破顔した。




その手に飼われた
(20111011)


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