机上の置時計を見ると、既に日没も間近になっていた。
今日はもう止めにしよう、と右手に握っていた筆を置く。
朝早くから部屋に籠もって書き続けていたはずの海図は、歪んだ直線や乱雑な文字ばかり並んでいた。
なんという無駄な一日だったのだろうと、ひとつため息をついて部屋を後にした。






その足でキッチンに向かうと、咥え煙草でフライパンを揺するコックの背中があった。
絶妙なタイミングで灰を落とす指先は、相も変わらず白く細く伸びている。



「お疲れ様です、プリンセス」



そうしてまた変わり映えのしない台詞を唇にのせて、慣れた仕草でコーヒーカップを差し出す。
頼んだわけでもないというのに、湯気の上がる少し濃い目のコーヒーと角砂糖が2つ、並んでいた。



「サンジ君のこと、時々嫌いになりそうよ」

「勿体無きお言葉、です」


右手を折って恭しく頭を下げる姿は、どこからどう見ても海賊には思えなくてなんだか笑いたくなった。

恐らくこの船のキッチンに置いてあるすべての食器類のなかで最も高価であろうコーヒーカップは、鏡のように美しく磨かれている。
慣れてしまった優しさに、こういう瞬間にふと気付くのだ。



「全然はかどらなかったわ」


日記を認めるような感覚で呟いた一言に、彼は肩を竦めて笑った。
沸いたばかりのお湯で、自分の分のコーヒーをドリップして当たり前のように正面の席に腰掛ける。
頬杖をつく彼が、次にどんな言葉を吐くのか、想像は容易い。



「ナミさんの仕事を滞らせた今日に、俺は感謝しますよ」



なんなら今晩は俺の部屋にでも、と更に付け加える彼に
考えておくわ、と返すのも、合言葉のようになっていた。


そんな気は更々ないというのによく言うものだと思いながら、角砂糖をひとつ落とした。
本当に私と一晩過ごすというのなら、誘いの言葉をかけるのに正面から攻めるのは戦略ミスだ。


決して隣に座らない、そういう遠まわしな紳士ぶりには出会った頃から気付かないふりをしていた。





その方が、幸せでいられる気がした。



愛とは何かと君に問いたい
(20100428)


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