心の底から求めているのものの残虐性に、今確かにあるはずの幸せを覆されてしまうと思っていた。

鮮血の滴る掌を見ることで、枯渇していた本能が満たされてゆく。
誰一人傷付けることなくこの命を全うすることは、到底出来はしないとさえ。






「猥褻物陳列罪で逮捕してやろーかィ」


突然に背後から聞こえた声に振り返ると、警察とは名ばかりの男が立っていた。
飾りのような細身の刀を腰に差し、閉じそうな瞳でじっとこちらを見ている。



「お前の顔の方がよっぽど卑猥ヨ」


「もっと卑猥で高貴なもんを隠してるぜぃ、俺は。見るかィ?」


「今すぐ死ねヨ」


何の価値もない会話を繰り返す間にも、溢れ出る血液は中指を伝い夜のアスファルトへ溶けていく。
この暗さではただの黒い染みにしか見えないそれは、雨の日の水溜りに似ていた。



「血が好きか」


「嫌いアル」


「そうかい」



興味も無さそうに、相槌を打つ姿に無性に苛立った。
気付いた時には、男の鼻先に傘を突き立てていた。



「…瞳孔開いてらァ」

「よく喋る男はモテないヨ、」


更に間合いを詰めようとして、伸びてきた剣先に阻まれる。


「俺は死なないんでさぁ」


人間の屑のような笑い方をして、舌なめずりをする動作はテレビで見た動物の姿と重なった。
とんでもねーな、と顔を引きつらせる雇用人の横で、あれは自分だとぼんやりと思っていたことを思い出す。
この男も同じだと認めたくない反面、だからこそ気に食わないのだと、たった今理解した気がする。



「だから殺そうとしても構いやしないんで、」



続きそうな言葉は、風を斬る爪先でもって制圧した。
この男からもっともらしい台詞など聞きたくはないのだ。




心の底から求めているものの残虐性を埋めていくのは、傷つけても消えない何かだった。
それが目の前にあるような気がして、満たされてゆく本能の叫びを聞く。
だから言葉はいらないと思う。



白蛇のような剣とこの傘があれば、少なくとも獰猛な本性を隠し持った二人の人間が救われるのだ。





NとN
(20110227)


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