どちらか一方を取る気など、初めからなかったのかもしれない。
或いは、そんな狡猾な自分を覆い隠すために彼の名を呼び続けた。


今にも崖から落ちていきそうな二人の男、そのどちらを救うのかという安い質問の答えは簡単だ。
迷わず二人ともに手を差し出すだろう。

困るのは崖を掴む限界のこの両手に、二人の男の腕が差し伸べられたとき、
私はどちらに手を伸ばすのかということ。
両手を離せば傷だらけの掌は空中を舞って、辿りつくのは奈落の底。


どちらも選ばず独り落ちてゆく未来を甘受できない私は、
なんと卑怯で、
なんと弱いのだろう。





「そんなに難しく考えることかな」


火影専用の執務室、その中心で巨大な窓を背に頬杖をつくナルトは心底不思議そうに呟いた。
突然静寂を破った台詞に、シカマルは小さく溜息を吐く。



「女ってのは、俺らみたいな単細胞生物とは出来が違う」


前置きのないナルトの一言で、ことの流れを理解してしまう己に眉根を寄せながらシカマルは舌打ちした。
どこか遠くを見ているような目で、そのくせこちらが恥ずかしくなるような表情をして話すときの彼が、誰を思っているのかなど察しのいいシカマルでなくとも一目瞭然であった。


「物事を難しく解釈して、目を回すのが趣味なんだよ、大概の場合はな」

「サクラちゃんは、その<大概の場合>に入るかな」

「…あいつも女だからな」


あんなのでも、と付け加えようとしたところで、背後からよく知った気配を感知して口を閉じた。


「続きは言わないのが得策ね、シカマル」

「そうしておく」


結局のところシカマルが言わんとしていたことが彼女に伝わっていたのは、彼女のチャクラが右拳に集中していたことで明らかだった。



「お話中悪いんだけど、追加よ」


どん、という音を立ててサクラは大量の紙の束を机上に置いた。
ちゃんと目を通して判を押してね、とサクラは余所行きの笑顔を作る。


「頑張ってね、火影さま」


屈んだ瞬間に、ほんの僅かに見え隠れする胸の谷間と、囁くような甘い声にナルトは無言で首を縦に振った。
この些細なサービスが、事務処理嫌いな火影のやる気を奮い立たせるための作戦であることは、当人以外には周知の事実である。






積み上がった報告書に唸るナルトを残し、シカマルとサクラは執務室を後にした。



「あいつも気の毒にな」

「今時あんなものにひっかかるのが悪いのよ」


サクラの言うあんなものが、里の長を動かしているのかと思うとこの里の将来がとてつもなく不安に思える。
更に悪いことに、あの手口で間違いなく動かされるであろう男がもう一人、他に類を見ない強さでこの里の中枢を担っている。



「サスケにも同じことが言えるか?」

「サスケ君は低俗な誘いになんか乗らないわ」

「……サスケも気の毒だな」


無表情を決め込んで、必死に己と戦っているであろう同期をシカマルは改めて憐れんだ。
一方通行にしか見えなかった不器用な三人の関係は、時の流れとともにその形を変えた。
傍から観ていて言葉にする必要もなく明らかであったのに、まるで誓い合ったかのように互いの立ち位置を動かさない男たちの苦悩の原因は彼女のこの鈍感さにある。


ナルトの差し出す無償の愛に、それは恋ではないのだと笑い、
サスケの隠す貪欲な愛に、それはありえないと首を振る。

自分の言葉ひとつで、全てが終わることに彼女は気付いているのだろうか。
この場合の「終わり」が、決して悪い意味ではないことを、知っているのだろうか。



「もっと簡単に考えたらどうだ」


ナルトの言葉を拝借して、シカマルは言い放った。
助言と言えるほど善良なものではなく、サクラが何を思い現状に甘んじているのか純粋に興味があった。



「そうね、じゃあ聞くけど、」


「谷底に落ちそうになっている自分を助けようとして、伸ばされた手が二本あったとしたら」




どっちの手をとるのが正解?、とサクラは笑顔を崩さずに言った。



否、あれは笑顔ではなかったのかもしれない。
三日月形に弧を描いた翡翠の瞳は、泣いているようにも見えた気がした。



そして向けられた質問には、沈黙でしか応えられなかった。




弔いの言葉
(20100226)


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