『それで、お前はいつこっちに来るんだ』

 電話の向こうの声が言う。影山が東京に来いと言ったのはどうやら本気だったらしい。諦めの気持ちのほうが強かったから思わず絶句した。
 オリンピックを口実に連絡してみてよかった。私が連絡しなかったらこの話は流れていたかもしれない。

「私は暇だから影山に合わせる」
『夏休みの宿題は』
「大学はそういうのほぼないんだよ」
『じゃあ何してるんだ』
「うーん?バイトとか」

 夏休みの宿題って言葉久々に聞いたなあ。昔は散々振り回されていたっけ。影山が新学期直前まで放置していたせいで、何度助けを求められたことか。
 自身の予定を確認している影山を待ちながら、ホテル予約しなきゃなあと考える。そもそも東京のどのへんで予約したらいいんだろう。

「影山も東京観光するの」
『する』
「…なんか意外。案内できる?」
『いや無理だ』
「正直でよろしい」

 影山ってどういう場所が好きなのか全然わからない。ショッピングに付き合わされるのは嫌だろうしなあ。どこ行きたい?と訊いたら『どこでもいい』と返ってきた。それ相手にプラン全投げのやつじゃん。モテないやつじゃん。

「じゃあ私考えとく。先輩とかにおすすめ聞いといてね」
『わかった』
「影山も行きたい所ちょっとは考えといてね」
『わかった』
「あ、あと影山も一緒にホテル泊まる?」
『おう』

 最後の質問は冗談のつもりだった。一緒に観光して、影山は自分の寮に帰るんだろうなと思っていた。考える間もなく即答したということは、本当に一緒に泊まるつもりだったのだろう。だって影山は冗談を言わない。
 電話を切って色々考えて、影山の寮がある最寄駅から30分ほど離れた駅でホテルの予約をとった。ダブルじゃなくてツインベッド。



 東京に来て一年以上たつというのに、影山はほとんど都内を見て回っていないという。私は5月に旅行に来たばかりで何となく勝手がわかっていたので、なぜか東京在住の人に観光案内をする羽目になった。

「乗り換えアプリってすげえ」
「今までちゃんと使ってなかったの?」
「必要性を感じなかった」

 人が多い中でも影山の背の高さはわりと目立つ。しかもオリンピック出場選手だ。ちらちらと視線を感じてなんだか居心地が悪い感じがした。こうして話しているとつい忘れてしまうけれど、影山ってもう有名人なんだ。オリンピック観てる時も思ったけどどんどん遠い人になっちゃうなあ。

 暑いのと人の多さで疲れ切ってしまった私たちは早めにホテルに帰ることにした。チェックインしてから部屋に入るまでの間、自分の家に招くのとはまた違う緊張感が背中を這う。いや友達と旅行で一緒に泊まるのは別に全然普通だ。うん普通。…男女二人きりで泊まるのは普通?

「明日午後から練習あるんだっけ」
「おう」

 シャワーを終えて、自分のベッドに寝転んでいるとだんだんまぶたが重くなってきた。涼しくて気持ちが良い。影山はたまたま放送していた海外のバレーボールの試合を観ている。明日の午後は一人行動か。気の済むまで服とかバッグを見て回ろうと思いながら、少しずつ意識が遠のいていく。


 寒くて目が覚めた。まぶたを開くと目の前に影山の顔があって心臓がひっくり返った。薄暗い中でも眠っているのがわかるくらい近い。ベッド二つあるのになんでわざわざこっちで寝てるの。
 影山が冷房の温度を下げたのか、肌寒く感じるほど室内は冷え切っていた。冷房のリモコンを探すべくベッドから出ようとしたところで、隣の大男がもぞりと身じろぎをする。すこし驚いてそちらに視線をやると、目を覚ました影山と目が合った。

「起きたのか」
「寒くて起きたの」
「そうか?このくらいでちょうどいいだろ」
「いや筋肉量の差考えて?」
「布団かぶっとけよ」

 二の腕を掴まれてベッドの中に引き戻される。冷えた皮膚に驚いたのか「つめてえ」と言いながら影山は私の頭まで布団をかけた。視界が真っ暗になる。掛け布団の隙間から顔を出すと、やっぱり顔が近くて困ってしまった。

「いま何時?」
「わかんねえ」

 時計を確認した影山が2時だと教えてくれた。ふうんと返事をして、冷房の温度を上げるのはもう諦めて目をつむる。布団の隙間から大きくて温い手が入り込んできて、私の耳のあたりをさらさらと撫でた。まぶたを開く。目が合う。こちらをじっと見ている。

「寝ないの?」
「寝る。けどちょっと触らせてほしい」

 返事を待たずに私の体温で温まった布団の中に指先が侵入してきた。シャツをめくって遠慮なく脇腹を滑る。くすぐったいといっても影山はやめなかった。
 そのうち本当に満足したのか、手の動きが止まった。ゆるやかな寝息が聞こえてくる。え、人肌に安心する子どもじゃん。そう思いつつ、私もだんだん眠たくなってくる。寝顔を眺めて好きだと思った。どうせ聞こえてないから好きだと言った。部屋の隅にあるもうひとつのベッドはじっと息をひそめている。


「午前中はどうするんだ」

 朝食を食べながら影山が私に問うた。飲み込んでから「せっかくだし影山の寮のあたり案内してよ」と答えると、影山はそんなの面白いか?と首を傾げながらうなずいた。
 寮の近くには大きな公園があった。都心とはだいぶ雰囲気が違う。郊外だからかのんびりとした空気で、なんだかほっとする。大学生らしき男女がベンチで話しこんでいて、思わずいいなあと言った。歩いている途中で知らない人に声をかけられた。どうやら影山の先輩らしい。

「女の子とデートなんて影山もやるなあ」
「デートというか旅行です」
「旅行!?このへん住んでるのに!?」
「はい、こいつが来たんで」
「…ああ、案内ね」

 どこから来たの・ああ宮城ね・高校同じだったんだ、みたいな小さい質問にいくつか答えて、最後に「じゃあ結構歴長いんだね」と言われた。歴ってなんの歴を指してますかは怖くて聞けなかった。影山は何も考えずに「はい」と元気よく返事をしていた。

 影山と別れてから、ひとりで電車に乗って都心のほうまで出て、散々アパレルショップを見て回った。ひとめぼれのワンピースを買って、影山に見せようと思った。どうせ見たところで何も思わないだろうけど。

「見てこれーかわいいでしょ」

 夕方、ホテルに戻ってきた影山にいきなり買ったばかりのワンピースを披露した。答えを悩むように一瞬黙り込んだ後、視線を逸らしながら「かわいい」と言うものだからこちらが面食らってしまう。

「!?影山がそんなこと言うなんて」
「自分から言ってきたくせに何驚いてんだ」
「あっ美羽さんか!美羽さんの教育か!」
「それはあるな」
「あるんだ」
「肯定しないとキレられる」
「その話は聞きたくなかったです」

 がっかりしている私に構わず、影山はさっさとシャワーを浴びに行った。まあいいや、どうせ期待してなかったし。自分が気に入ってるからそれで。影山がシャワーから上がったら、このワンピースを着て夕食を食べにいくことにしよう。

 食事からの帰り道の途中で「まあ似合ってるとは思う」と影山が言った。一瞬なんのことを言ってるのか分からなくて思考が止まる。意味を咀嚼して、満面の笑みを浮かべた私の様子に影山は動揺したようだった。

「ツンデレかばかやろー!」
「なっ喜びすぎだろ」
「女の子はこんなんで嬉しいんだよ覚えとこうね!」
「いてえ叩くなよ」

 分かりやすく上機嫌な私の手をとって、影山がじっと私を見た。「なに?」と聞いて「何でもねえ」と返ってくる。何でもないのにそんな見ることないじゃん。そう思いながらも今の私はハイパー機嫌が良いのでニコニコしていた。でも影山はやっぱり私をじっと見つめてくる。

「ねえ何かあった?」

 影山はつながっている手を見て、もう一度私の顔を見た。

「なまえはなんで東京の大学にしなかったんだ」

 言っている意味がよくわからない。今さらそんなことを聞くなんて。しかもなんで今のタイミング。
 私が進路を決める時、影山が東京に行くことは知っていた。距離をとればそのうち忘れられるだろうと思った。でも忘れられなかった。会う頻度は減ったけれど、会った時の密度は増えた。

「影山に会いたくなかったから」
「は?会うのが嫌なのかよ」
「そうだったらここには来てないよ」
「意味わかんねえ」

 そうだね、意味わかんないね。せっかく二度と会わないようにできたのに、取り返しのつかないところまで来ちゃったね。

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