「お前、料理うまくなったよな」

 人の家で、人の作った食事を何食わぬ顔で咀嚼している影山が言う。テーブルに並べられた食事を見て、まあ言われてみればそうだなと思った。大学生になって、凝った料理を作るまでには至ってないけど、それなりにレシピを見なくても作れるようになったのは大きな進歩だ。

「影山って味の違い分かるんだ」
「俺もたまには料理すんだよ」
「カレーばっかじゃない?」
「!?なんで知ってるんだ」
「うわー当たっちゃったよ」

 まあ料理をしているだけえらいと思う。バレー以外はネジ数本外れてる影山が東京で一人暮らしをしているなんて信じられない。きっと寮の人やチームメイトに助けてもらいながらなんとか生きているんだろう。

「明日も大学休みだよな」
「そうだよ」
「そうか。ちょうどよかった」

 何が?とわざわざ訊くことはしない。宮城に帰ってくるたび当たり前のように私の家に泊まっているのだ。実家に帰ればいいのにと思うけど、影山は「家に誰もいないから」といつも言う。

 食べ終えてから順番にシャワーを浴びた。影山が上がる前に食器を洗おうとシンクをのぞきこんだら、全てもう片付けられていた。やっぱりちゃんと一人暮らしできてるみたいだ。すごい。

「ちゃんと髪乾かせよ」

 ベッドの上でスマートフォンをいじっていると、シャワーを終えた影山が呆れたように言う。お母さんみたいなこと言うんだなって何だかちょっと感心した。

「影山が乾かして」
「なんで」
「ごはん作ってあげた」

 いつのまにやらコンセントの位置を把握している影山が、ドライヤーを手に持って私の腕を引っ張る。しぶしぶベッドから下りて、カーペットの上に体育座りをした。代わりに影山がベッドに腰掛けると、カチリとスイッチを入れる音がして、ブォーンという低音とともに温風が耳をかすめる。

「髪傷ませないでね」
「じゃあ自分でやれよ」
「美羽さんの弟だし、乾かす才能あるよ」
「適当なこと言うんじゃねえ」

 粗雑な言葉遣いとは裏腹に、慣れないながらも丁寧に髪の合間をすべる指先がもどかしかった。この綺麗な指がいつもはバレーボールを扱っていると思うとたまらない気持ちになる。
 振り返って見上げると、濃紺の瞳がじっとこちらを見ていて目が合った。「こっち向くなよ。乾かせねえだろ」と言う彼におかまいなくベッドに上がり、ドライヤーを奪う。膝立ちになって、つやのある黒髪に温風を当てながら指先でぐしゃぐしゃにしても、影山はされるがままになっていた。

「私のトリートメント使わなかったの?」
「使ってねえよ。ああいうのは女だけ使うんだろ」
「影山の超サラサラヘアまた見たかったのに」
「前だまされたからな。二度と使わねえ」

 おもわず笑い声を上げる。影山の表情は見えないけど、きっとしかめ面をしている。短く切り揃えられた髪はあっという間に乾いてしまって、ドライヤーの電源を切った。ゴトリとカーペットの上にそれを落として、肩を揉むふりをしながら広い背中に体重をかける。

「重い」
「重くない」

 影山が前かがみになる。バランスを崩しかけて、あっと声をあげると彼は静かに笑った。それからベッドに上がってきて、「危ないでしょ」とか色々文句をたれる私の両手をたちまち塞いでしまった。大きな身体に蛍光灯の灯りが遮られ、黒髪が光で透けている。

「するの?」

 返事は返ってこなくて、ベッドに両手が縫い付けられたまま唇が寄ってくる。目をつむった。私がいつも使っているシャンプーのにおい。明日の朝には薄まっていると思うけど、甘ったるくてめまいがしそうだ。腹の底がむかつく感じがする。こんなことをずっと前から続けているのに、影山飛雄は私の恋人ではない。



 中学の時から影山のことが好きだった。国見と金田一には、なんであんな奴のこと好きなんだよ止めとけばって散々言われた。実際、自分でもそう思った。

「悪い。付き合うとかは無理」

 告白してきた女の子にそうはっきり述べる影山の言葉に、何度も一緒に振られた気持ちになった。高校ではバレー部のマネージャーをしていたから、部活でほぼ毎日顔を合わせて、勉強の面倒を見て、一緒に帰って、なんとなく私は特別な存在なんじゃないかと期待することもあった。でもそうじゃなかった。私は影山にとって、食事をとったり寝たりするのと同じで、ただの日常の一部にすぎなかったのだ。

 高2の時、影山と私が一緒に勉強しているのを見て、日向が思いついたように「影山ってなまえのこと好きだよな」と言った。たぶん深く考えずに(好きに恋愛感情が含まれているかもよく考えず)、本当に思いついたから口に出てしまったのだと思う。

「……わかんねえ」
「なんで私告ってもないのに振られてるみたいになってんの」
「あっ待って おれマズイこと言った!?」
「影山はね、英語の次に私のこと好きらしいよ」
「それ限りなく好きから遠くない?」
「そういうこと」

 影山は表情ひとつ崩さず、英単語のつづりをひたすらノートに書き殴っていた。私はその時にはすでに完全に諦めの気持ちをもっていたから傷つきはしなかった。日向に気を遣わせてしまって申し訳ないなと思ったくらい。ほんとうにそのくらい。



 目が覚めて、影山の伏せられたまつげが視界に入った。狭いベッドで窮屈そうに眠っている。数ヶ月前、もっとデカいベッドを買え・金は俺が出すと言われた。もちろん断った。だって影山が私の家に来なくなったら、ひとりで広いベッドで眠ることになるなんて耐えられない。約束されていない関係性を私の部屋に物として残したくはなかった。
 喉のかわきを感じて起き上がる。気配を感じたのか、影山が身じろぎをしてうめいた。うっすらと目が開いてこちらをぼんやりと眺めている。

「……どこ行くんだよ」
「水とってくる。影山もいる?」
「いる」

 立ち上がろうとしたら二の腕を掴まれた。水いるって言ったじゃん。振り解こうとして、思いのほか強い力だったせいでそれは叶わなかった。

「ちょっと 何なの」
「悪い。つい」

 掠れた声に、あー好きだと苛立ちにも似た感情がせり上がってくる。むかつく。私いつまで振り回されてるんだろう。
 つい先日SNSで見た中学の同級生の結婚報告を思い出す。結婚して次のステージに進んでいる彼らを知って、じわじわと焦りを感じた。私は将来を約束してくれる彼氏もいないのに何をやってるんだろうって。
 このままでいいはずがない。まだ若いからってうかうかしているとあっという間に婚期を逃して、ひとりさみしく死んでいくんだ。泣きたくなった。逃げたいのに、私の心を離してくれない影山にどうしようもなくむかついている。当の本人にその気がないのもなおさらタチが悪かった。

 グラスを二人分出して水を注いだ。それをテーブルの上において、ベッドには戻らずカーペットの上に座る。時計を確認すると、もう9時をすぎるところだった。

「お腹すいた?」
「うん 腹減りすぎてなんでも食えそう」

 あくびをしながらベッドから起きてきた影山は、私の飲みかけのほうのグラスを手に取ってそれを飲み干した。きらきらとグラスの底が反射する。

「それ私の」
「悪い」

 しれっとした表情で謝った影山の頭には寝癖がついている。癖のつきにくいまっすぐな髪は、手で撫でつけるだけで簡単に元通りになるだろう。だからこの寝癖は私しか知らない。
 彼と関係を持つ女の人が私以外にいないのは明白だった。影山はうそが下手だ。うそをついたらすぐ顔に出る。

「……なんで」

 付き合ってないんだろうね。そう思わず言いそうになって、あわてて口をつぐむ。影山は不思議そうに私を見た。

「なんでもない」
「何だよ」

 影山は訝しげな表情を浮かべた。でも追及はしてこない。あくびをしながら私の手を引っ張った。最初は抵抗したけど、諦めてそばに寄った。ぎゅうと抱きしめられる。苦しい。こんなに近くにいるのに私にとっては遠い人だった。

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