じとりと嫌な熱が首筋にまとわりつく。うだるような暑さというのは、まさしくこういうことを言うのだろう。いまにも叫び出したくなるような不快感。叫ぶ元気もないし、叫んだところでこの暑さが消え去るわけではないのだけれど。
 あつい。そう呻いたなまえは、ひどく具合が悪そうに頬を火照らせていて、眩しげに細められた目には生気がなかった。日陰もなく、ひたすら熱を吸い込んだアスファルトを踏みしめる一歩一歩はあまりにも頼りない。

 彼女とは午前練を終えた帰宅途中に偶然会った。そのまま一緒に帰路についたのだが、もし会わなかったら道端で干からびていたかもしれないと思うほどだ。頭のてっぺんから顎の先まで、頭や顔のあちこちから噴き出した汗が首筋を伝い、肩より下まで伸ばした髪を巻き込んで、いつまでもそこに留まっている。「ねえ、ちょっと」そう思わず声をかけると、億劫そうに顔を上げた彼女には妙な色気があって心臓がぐらついた。

「それ、どうにかしたら」
「……どうにかって?」
「結ぶなり切るなりしろって言ってんの」
「ヘアゴム忘れちゃった」

 そっけない様子で肩をすくめた彼女の顔は真っ赤になっていて、見ているこっちが心配になる。あっそと簡潔な返事をすると、なまえは小さな声で、夏だねえと言った。暑さに弱いくせに、どうしてそんな呑気なことを言えるのだろう。
 毎年必ずやってくる夏は、長いようで短くて、けれどもあまりに強い陽射しは確実に彼女の体力を奪っていく。それでもなまえは、夏が好きなようだった。

「アイス食べようよ」
「はやく帰りたいんじゃなかったの?」
「今はアイスが食べたい」

 僕がまだ同意していないのにも関わらず、なまえはもう決定事項としてしまったようで、コンビニへと足を向けた。さっきまでの倦怠感はどこへやら、後ろ姿からでもはっきりと分かる上機嫌な様子に思わず頬が緩む。以前山口に、ツッキーってなまえには甘いよねと言われたことをうっかり思い出した。

 コンビニの中は涼しいので汗が一気に冷える。アイスコーナーを覗き込んでいるなまえはまだどれにするか決めかねていて、考え込みながら僕のほうにちらりと視線をよこした。
 肩にかかるリュックが重たそうだ。今日は夏休みの宿題をするために図書館へ行っていたのだとさっき言っていたから、参考書がそれなりに入っているのだろう。「蛍はもう決めたの?」という問いに頷くと、少し焦ったような表情に変わる。リュックを開いて参考書の隙間から無理やり財布を出すと、これにする!とソーダ味のアイスバーを指差した。

「僕もそれにするから、もう一個食べたかったほうにすれば」
「……ちょっとくれるってこと?」
「そういうこと」

 花が咲くように、というのはまさしくこういうのを言うのだと思う。たちまち満面の笑みを浮かべた彼女は、さっきまでの暑さを忘れたような軽快さでソフトクリームを手に取り、レジへと向かう。
 会計をしようとしている店員のおばちゃんにストップをかけ、自分のアイスバーの分とまとめて払うと「やさしい彼氏さんやねえ」とにこにこしながら言われた。訂正するのも面倒なので、軽く会釈をしながらビニール袋を受け取って店を出ると、忘れかけていた熱が容赦なく皮膚を刺した。

「……蛍って私の彼氏だったの」
「気のせいでしょ」
「手とか繋いじゃう?」
「山口と繋いだほうがまし」
「えっ、仲良いとは思ってたけどまさか」

 ビニール袋から取り出したソフトクリームをなまえの首元に当てると、ぎゃあと品のない悲鳴をあげてから、不満そうにそれを受け取った。ありがと、と小声で言うものだから、少し意地悪してやりたいような気持ちに駆られてしまう。

「聞こえないんだけど」

 たぶん、ずっとこうなのだと思う。だってキッカケなんて分からない。今まで2人でいる時間が長すぎたせいで、何を物事の始めとして置けば良いのか皆目検討もつかなかった。
 先ほどとは打って変わって、強めの口調で礼を述べた彼女の目の前にアイスバーを差し出すと、屈託のない笑顔を浮かべてからそれにかじり付く。僕の言動にいちいち反応するなまえは、ずっと見ていても飽きなかった。

 毎年必ずやってくる夏は、長いようで短いし、2人で過ごせる夏はあと何回あるだろうか。足元に転がっている余命幾ばくもない蝉がジッと鳴いて飛び上がったのを見て、彼女は眩しげに目を細めながら夏だねえと呟いた。


◯◯◯



 ひょろりとした長い背筋と明るい髪色が視界に入った瞬間、あれは口が悪い幼なじみだということを確信した。自転車のペダルを漕ぐ脚に力を入れる。風が頬を撫でるが涼しくて気持ちがいいとは到底言えず、生温さが鬱陶しいだけだなと思う。
 あと2メートルというところで名前を呼ぶと、気怠げに振り返った背の高い男は何?とでも言いたげにしかめ面を浮かべた。

「お疲れ!部活終わったの?」
「終わった。ていうかこんな至近距離までチャリで近づいたら危ないから」
「蛍なら大丈夫かと思って」
「なにそれ根拠あるの?」

 もちろん根拠なんて無い。じとりと睨むような視線には気づかないふりをして自転車を降り横に並ぶと、自転車カゴの中を覗き込まれた。おつかい?と問われて、そうだよと答える。
 見上げると、夕焼けの橙色が彼の髪に薄く透けていて綺麗だなと思った。日が落ちかけていてもまだまだ暑く、しつこくアスファルトにこびりついた熱気は私たちの皮膚まで焦がしていく。涼しげな表情を浮かべた蛍でもシャツが背中に張り付いていて、暑さには全人類勝てないのだと実感してしまう。

 蛍に初めて会った日は、今日よりももっともっと暑かった。まだ小学生に上がる前だったから、自分の身体の体温調節が未熟だったせいで暑く感じていただけかもしれないけれど。ふてぶてしい口調でろくに挨拶も返してくれず、身長や話し方が自分よりうんと大人びて見えて絶対に仲良くなれないと思っていた。
 それでも、祖父母に会うため夏休みにだけ訪れるこの土地で、遊び相手になってくれるのはいちばん歳の近い蛍と忠くらいだったのだ。

「そういや、忠は一緒じゃないの?」
「自主練行った」
「二人ともほんと好きだよね、バレー」

 顔を覗き込むと視線を逸らされる。目が合わない。そんなんじゃ無いけど、と蛍は素っ気なく呟いた。「じゃあ嫌い?」すっと目を細めて、こちらに顔を向けて、今日初めて目が合う。あ。

「……考え中」

 負けたなと思った。私の入り込む隙なんてないんだと悲しい気分を紛らしたくて、カゴの中のビニール袋をゴソゴソと漁り、箱から棒アイスを取り出す。今度こそ彼の睨むような視線をひしひしと感じ、溶け始めているそれを蛍の手に押しつけた。

「この前奢ってもらったし、そのお返し」
「なまえってよく人の話聞いてないよねって言われない?」
「言われる」
「しかもそれ、なまえのおばあちゃんのお金で買ったやつでしょ」

 ずけずけと正論を言われて無性にいらいらした。うだるようなこの暑さが機嫌の悪さに拍車をかけているとしか思えない。たまにしか会えないのに、なんで私たち仲良くできないんだろう。次会ったら絶対に聞いてみようと思っていた高揚感がゆるゆると萎み始める。

「……そんなにバレー漬けだったら一緒に行けないよね」
「どこに?ていうかまた話飛んでるし」
「土曜日の花火大会」

 一瞬言葉に詰まり、そんなんあったっけと首を傾げる蛍を見て、イベント事にはさほど興味がない彼らしいなと思う。地元民ではない私ですら知っているイベントなのに、やはりこの男はバレーボールのことで頭がいっぱいらしかった。
 高校に入ってはじめての夏休みで、なかなか予定が会わなくても一回くらい一緒に遊びに行けたらと期待した私が馬鹿でした。小学生のときは、何も考えずに明日の約束さえできたらそれで良かったのに。私たち歳をとったんだなあと、祖父母に聞かれたら怒られそうな女子校生らしからぬ溜息が漏れてしまう。

 数秒考える素振りを見せた蛍がその日は練習試合あったなと独りごち、私の期待のトドメを容赦なく刺した。仕方がない、いくら寂しい女子高生と言われようとも、その日は私ひとりで行こう。そう勝手に決意し曲がり角のところで足を止めた。ここを曲がれば祖父母の家まではもうすぐだった。

「日曜は空いてるの」
「……私はいつでも暇だよ」
「その日仙台でお祭りあって、兄ちゃんが車出してくれるらしいからなまえも一緒に来れば」
「えっ」

 行く!と声を上げた瞬間に自転車が傾いて、重力のままビニール袋から転がり出たあれこれが足元に散らばった。いくら何でも喜びすぎじゃない?とひそめられた眉なんて気にならず、元気よくしゃがみ込み一つ一つ拾い始めると蛍も溜息をつきながらゆっくりとしゃがむ。

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