もう侑くんの勉強は見ませんと宣言すると、こちらが拍子抜けするほど北はあっさり頷いた。まるで私が言い出すのを予想していたみたいな反応だった。

「なまえも自分の勉強あるやろうしな」
「分かっとって頼んだん?鬼や」
「侑が一番やる気になるのがなまえやから甘えてしまったわ。スマン」
「私以外にも勉強見る人おるんやろ?」
「何とかする」

 貴重な後輩が春高前に補講になるのを避けるためとはいえ、北も自分の勉強があるのにテスト対策の手配まで気を配らなきゃいけないなんて大変だ。ちょっと罪悪感がある。でも私も他人の心配をしている余裕はない。

 自分のことでいっぱいいっぱいだから、という旨のメールを侑くんに送った。返事は『了解』とだけ返ってきて、それきりだった。事務連絡みたいで全然可愛くない。
 学校に行って、休み時間は友達とお喋りして、その後ひたすら勉強して、っていう日が何日も続いた。私の理想の受験生活だった。でも気が滅入りそうなくらい苦しい。受験日までものすごく遠く思える。はやく終わってほしい。

「治くん。侑くんって最近学校来てへんの?」
「あー アイツ今ユース合宿行っとるわ」

 息抜きに侑くんと喋ろうかなと思ったけど、彼の姿を最近見かけない。不思議に思って治くんに聞きに行くと、予想もしない答えが返ってきた。思わず「へ?」と声を上げると「東京におるけど。なんかあったん?」と治くんは首をかしげる。

「いや…なんもない」

 なんだかどっと疲れてしまった。侑くんって普通に喋ってたらそんな感じしないけど、やっぱ凄い人なんやと今さら実感する。チャラいって言ったのをほんの少し後悔した。

「侑くんってほんま上手いんやな」
「上手いというか、執念に近いな。バレーを愛しすぎとんねんアイツは」
「そうなんや…」

 私は侑くんのことを全然知らない。バレーをしている侑くんを知らない。ここ一年くらいそれなりに仲良くなったつもりでいたけど、全然知らない人みたいに思えてきた。頭が重たい。目の奥が疼く感じがする。

 放課後、教室で勉強していると部活中のはずの北が私の席まで来た。眉間に皺を寄せてこちらを見下ろしている。「今日はもう帰って寝ろ」そう言われて、とっさに返事ができなかった。身体が重たくて、頭にもやがかかったように上手く考えられない。

「……部活はどうしたん」
「先生と話しとった。そんなことより体調悪いんやろ」
「んー?まあいつもよりは…?」
「はよ帰れ」
「拒否権は」
「あると思っとんのか?」
「とんでもございません」

 圧がすごすぎる。北があまりにも怖い顔をしているので、仕方なく私は帰ることを決めた。
 今日は風が強いのか、時折ガタガタと窓ガラスが揺れる。外は寒いんだろうなと思って、気が重くなった。のろのろ荷物をまとめていると、北がため息をつく。

「なまえは少しくらい勉強以外の時間も作った方がええと思うねん」
「ええ?受験生やのに?」
「息抜きが下手くそやろ。そのうちプシュッと燃え尽きそうや」
「こっわ 大当たりになりそうで怖すぎる」

 部活もあるはずなのに、北は昇降口まで送ってくれた。似たようなことが夏にもあったなと思い出した。
 家に帰って早々とベッドに潜りこんで、目をつむってみても全然眠くならなかった。ぼんやりするのに色々なことが脳内をぐるぐる回る。眠れない。困った。



 数週間ぶりに教室までやってきた侑くんは、相変わらずのテンションだった。久しぶりということを感じさせないようなヘラヘラとした様子で軽口を叩いてくるものだからちょっと安心した。かと思えば真剣な顔をして「体調悪そうやな」と顔を覗きこんでくる。

「風邪でもひいたん?」
「風邪というか、なんか眠れんくて」
「それは大変や!俺が毎日子守唄歌ったる」
「逆に寝れへんわ」

 侑くんは私の額に手を置いた。人に触れることに本当に躊躇がない。気がついたらあっという間に距離を詰められている。「熱はなさそうやな」と頷いているので、話題を変えるべく「勉強捗っとる?」と尋ねると侑くんは首を横に振った。

「全然あかん。なまえさんやないとやる気出えへん」
「またそういうチャラいの言う〜!やめてや」
「ええ、なんで?」
「いや逆になんで言うん?」
「答えてええの?」

 ひくりと喉が動く。質問を質問で返してみたけど侑くんのほうが一枚上手らしい。思わず周りに誰もいないか確認した。
 勉強に集中できないのは侑くんが思わせぶりなことを言ってくるせいだと思っていた。のに、この数週間、全く会わないほうが集中できなかったことに気づいてしまった。

「やっぱあかん 答えたらあかん」
「もう手遅れやけどな」
「は?」
「いい加減我慢の限界や。好きやからに決まっとるやろ」

 言われた意味が一瞬わからなかった。急激に体温が上がって思わず息をのむ。笑い飛ばしたくても侑くんは全然ヘラヘラしていない。

「冗談やろ」
「冗談ちゃうわ。俺な、中途半端は嫌いやねん。でも待っといたるわ。ほんっま優しいやろ、神様みたいや」
「かみさま」
「おう」
「侑くんみたいな神様なんておらん…」
「はあ?俺みたいなもんもおるやろ」

 ゆっくりと息を吐いてみる。しゅわしゅわと全身が弾けるような感じがして、思わず机に突っ伏した。嬉しいような悲しいような不思議な感覚だった。侑くんは「どうしたん!?そんな嫌やった!?」と焦ったように私の様子を伺ってくる。

「ちゃう。急に眠気が…」
「うそやろ」

 侑くんが私の背中をゆっくりとさすっている。大きくて温かい手だ。心地良い。涙が出そうなところで何とか持ち堪えた。今のはもしかしたら夢かもと思った。
 私はただの受験生だし大した特技もないのに、侑くんはユース合宿に呼ばれるようなセッターだし色んな人から注目される有名人だ。なんというか別次元に生きている人なのだ。いま好きだと言えたらどんなに楽だろう。でも言えない。ここから先はどうしたって進めない。私は侑くんの神様にはなれない。

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