二人だけの世界

本誌ネタバレあり。




自分の父親から告げられた言葉に、ああ、そうか。とうとうこの日が来たか、と咄嗟に震えた唇を噛みしめ、承知致しました。謹んでお受け致します。と畳に指をつき頭を下げた。
ああ。悲しくはない。しょうがない事だ。いつか必ずこの日は来るのだ。それが想像していたよりずっと早かっただけ。
あと3日もしたら、私は顔も知らぬ親と同じくらいに歳が離れた人間に嫁ぎに行く。正妻ではない。側室だ。子供を産むだけの道具として、そして政治の道具として、見知らぬ男の元に嫁ぎに行く。

凛とした涼しげな目元をした美しい男の横顔が不意に脳裏に浮かんだ。もう2度と会えないであろう、長年思いを寄せていた従兄弟の顔が。
5つ程歳の離れた従兄弟だった。生まれた時から彼の後ろをついて回り、よく親しげに名前を呼んだものだ。私を見て、彼の目元が少し優しげに和らぐ時が好きでたまらなかった。年頃になるにつれて、自分の気持ちが恋心だと気づくのには然程時間はかからなかった。従兄弟だと、言う事もあったのでいつか彼に嫁げるのではないかと淡い期待を抱いていたが、ものの見事にそれは打ち砕かれる。
武家の継国家に相応しい名家の女性が嫁いで来たのだ。
そうだ。この戦国の世の中。下克上が当たり前にある厳しい現実、利益がなく意味のない血縁関係同士の婚姻を結ぶなど親が許す筈がなかった。人一倍野心が強い父上ならば、尚更ありえなかったのだ。

正妻でなくてと、側室だけでも。彼の側に居たい。彼に触れて欲しい。
その気持ちでさえ、もう2度と永遠に届かぬ。
ついこの間、巌勝様が家を捨てた、と話に聞いた。名前も地位も名誉も、全てを捨て去ったのだと。その後の行方は誰も知らない。
最後に、会う事さえできない。
ぎしり、と心が軋み悲鳴を上げる。
深い、深い、絶望だ。私の恋は、きっとこの初恋と共に死ぬのだろう。身を焦がす程に愛してしまった彼は、もう二度と手に届かない。

早足に自室に戻り、深く、ゆっくり息を吐いた。今すぐにでも泣き出したい程の激情が沸き上がるのを、必死に押しとどめる。なんと、つまらない人生だろう。好きでもない、枯れた老人の玩具となるだけの日々がはじまろうとしている。
諦める事の出来ない、淡い、美しいままの初恋を抱いたまま。
きっと、心が壊れてしまう。
それならば、死んだ方がましなのではないか、と不意に思い窓の戸をあげれば、黒く塗りつぶされたよのうに暗い空にぼんやりと三日月が浮かんでいた。発光しているかのように、美しく輝いている。
寡黙で静かで、しなやかに美しかった巌勝様のようだ。

すると、強く、風が吹いた。
長い髪の毛が巻き上がり、咄嗟に目を瞑る。

「花純」

鼓膜を揺らしたのは聞き慣れた声だった。もう二度と呼ばれる事はないのだと、思っていた声に。おそる、おそる、目を開けると、そこには人ならざる姿をした巌勝様が戸に手をかけて膝をついていた。
驚きで、ぱちくりと目を瞬かせるも、直ぐにかけよりその身に抱きつく。

「巌勝様。巌勝様。もうお会い出来ないのだと…」

次から次へと溢れ出る涙を、ひんやりとした冷たい指先が頬に触れ拭った。姿形が変わったとしても間違える筈がない。彼だ。焦がれてやまなかった、あの人だ。

「恐ろしく…はないのか」
「ええ、驚きはしましたが」

頬に触れる彼の手に擦り寄り、ゆるりと笑った。
ああ。もう一度、この手に触れて貰える事が出来るとは思わなかった。

「花純、共に…こい」

どこに、どうして、と沢山の疑問が思い浮かんだが、反射的に口が動いていた。

「巌勝様とご一緒ならどこへでも、共に行きます」

連れていって下さいませ。そい言えば、薄らと笑みを浮かべた巌勝様が私の体を軽々と抱き上げた。彼の首元にしがみつき身を寄せる。
内臓が浮き上がるような浮遊感と恐ろしい程の速さで移り変わる景色、そして、遠くで甲高い悲鳴が上がるのが聞こえだが、それも一瞬だった。瞬き一つすれば己達のいる場所が変わっている。長年、住み続けていた城がどんどんと小さくなっていくのを見ながら、記憶よりも幾分冷たくなっている体に抱きついた。







灰色に覆われた空から落ちてくる白い雪。生き物が息を潜め静まりかえった山の中を歩いていた。
一体、何度この季節を巡ったのだろう。彼に攫われて同じ鬼となり、軽く100年は過ぎただろうか。お互い何一つ変わらぬ姿。生前と比べるとすれば瞳の色だろうか。血を混ぜたような真紅の瞳。

「花純」

先に前の方に歩いていた巌勝様が優しく、私の名前を呼んだ。
まだ降り積もって浅い雪をさくさくと音を立てながら踏みしめ彼に駆け寄る。
疲れたか、と聞いてくる巌勝様に首を横に降り、差し出された手を握り隣を歩いた。

人の理が外れた私達は、決して人とは相容れない。
死ぬまでずっと、2人だけの世界で生きていく。

真っ白な銀世界。

手を繋ぎ隣歩いて行く2人の後ろには、彼らが歩いてきた足跡がずっと、続いていた。





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