貴方の肩先を濡らす

物陰に隠れるようにと伝えていた筈の子供が鬼の首を討ち取ろうとした瞬間、泣きながら悲痛な声を上げて飛び出て来た。鬼は彼の兄だったのだ。どれだけ姿形が変わろうと、人を喰う化け物になろうと、この子供にとっては肉親で唯一の兄。
この時私は鬼殺隊として躊躇せず、刀を振るわれなければならなかった。鬼になった人間は元に戻らない。自我なんてものはなく、親であろうと子であろうとも関係なく人を喰らう醜い化け物だ。そこに情など必要ない。しかし、振り下ろす刀の勢いを殺してしまった。子供の泣き顔が、叫び声が、頭から離れなかったのだ。

鋭さを欠けた刃は弾かれ、鬼の醜い爪が己に襲い掛かる。
酷くゆっくりに見えた。この爪は、自分の肌を裂き内臓を傷つけるだろう。歯を食いしばり痛みと攻撃の衝撃に備え、呼吸を整えた時だった。
鬼と私の間に割り入るように、見慣れた小柄な体が滑り込んで来た。

鮮明な血が舞った。

「時透くん!!」





「決して深い傷ではないので大丈夫ですよ。跡は残ると思いますが。」

あの時、私の体を裂くはずだった鬼の爪は時透くんの利き腕を傷つけた。胡蝶様の言葉通り、筋肉や神経まで爪が届いていなかったので4針縫うだけで済んだ。しかし、私は自分が許せなかった。傷が深くなかったから何だ。自分自身の覚悟の甘さ、適正な状況判断が出来なかった私の過失。あの時、迷わなければこんな事にならなかった。柱である時透くんが怪我をする事もなかった。自分の未熟さが招いた結果だ。
情けない。なんて情けないのだろう。
時透くんとは同期で、同じような時期に刀を持ったにも関わらずこんなにも力の差が歴然とついてしまった。足元に及ばないどころか、足を引っ張っている始末。キュと唇を噛み締めながら、顔を伏せた。

「いつまでしけた顔してるの。そんな顔してる暇あったら鍛錬でもしたら。」

間違いない。彼の言葉はごもっともだ。

「ごめん。」

私の所為で。

「別に君の所為じゃないよ。」

は、となり顔を上げればいつも通り変わらぬ顔の時透くんが私を真っ直ぐ見ていた。その大きな瞳には何とも情けない顔をした私が映り込んでいる。
私の所為じゃない?
そんな訳があるか。どうして、どうして。私を責めないのだ。もし、一歩間違えていたら利き腕が動かなくなっていたかもしれないのに。鬼の首を切る事に躊躇したのは、紛れもない事実なのに。私の覚悟の甘さが、浮き彫りに出た瞬間だった。過去の自分の状況にどれだけ似ていたとしても、同情を持ったとしても、斬らねばならなかった。決して、迷ってはいけなかったのに。

「どうして、どうして、私を責めないの、、!」

感情的になってから気づいてしまった。思わず自分の口を押さる。
私は、私は、何て事を言ったのだ。自己嫌悪に陥った挙げ句、八つ当たりしてしまった。未熟だ。何もかもが未熟だ。少し驚いたように、私を見る時透くんと目が合い、堪らなく情けない気持ちに陥った。

「ご、ごめん。本当に、ごめんなさい。」

治療室を飛び出すように出ていき、廊下を早足に歩いた。最悪だ。最低最悪だ。自分の過失で相手に怪我をさせた挙句、八つ当たりをするなんて。私が未熟なのも、弱いのも、自分自身の問題ではないか。
なのに、庇ってもらった時透くんになあんな事を言ってしまうなんて。ガラス玉のように美しい彼の瞳を思い出し、ぎゅぅと締め付けられる胸の痛みに顔を歪めた。

人気が少ない縁側に腰を下ろし膝を抱え、顔を埋めた。
鬼が元が人である事ぐらい分かっていたではないか。その人間にも家族がいて、友人がいて、当たり前の日常があって。生きていたのだ。誰一人として変わらず同じように。醜い化け物になる前は。
私が9歳の頃だ。7つ離れた唯一の姉が、鬼になった。何故かは分からなかったが家に帰ると、そこには姉ではなくなった何かが居たのだ。私を喰らおうと、襲い掛かって来た瞬間。刀を持った真っ黒な襟詰めの服を着た人間が、姉だった筈のものに鋭い刃を振り下ろした。私は、この時、叫んだ。やめて、やめて。やめて。
何度叫んだだろう。今し方、自分が襲われていながらもただひたすらに縋った。しかし、その人は迷わずその美しい青色の刀で姉の首をストン、と落とした。
落ちた首の姉と目があった。大粒の涙を零しながら、口が動いた。ごめんね。怖がらせて、ごめんね。ごめんね。大好きよ。花純。泣きながら、不器用に笑って姉はボロボロと、塵になって崩れて行った。

泣きながら私に向かって叫んだ男の子と、どうしようもなく、重なった。昔の自分に。
弱い。私は弱い。過去に囚われ、前に進めず、強くなれず、感情の制御も出来ない。未熟だ。溢れそうになる涙をぐ、と耐え唇を噛み締めた時だ。

馴染んだ、見慣れた気配が隣に座ったのが分かった。ゆっくりと酷い顔を上げれば、私をジ、と見ていた時透くんと視線がぶつかった。

「八つ当たり、なんかして、ごめん。」

助けてくれて、ありがとう。
まず、私はこれを言わなければならなかった。何故自分を責めないのか、と自分よがりな考えで問い詰めるのではなく、体を張って私を守ってくれた時透くんにお礼を言わなければならなかったのだ。

「君に怪我がなくて良かった。」

ポロリと溢れ、頬を伝った涙を小さいけれど鍛えられ固くなったささくれた指が拭った。
嘘なく、真っ直ぐに向けられた時透くんの言葉と瞳。

隣に座った彼の肩に頭を預け、涙を流した。
すると頭の上から、鼻水はつけないでよ、なんて言うものだから思わず笑ってしまった。




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