愛の証


 朝起きてから寝るまで、たっぷりと愛される。この二週間そんな生活をずっと続けていた。モカの身体には幾つものジンからの愛の証が刻まれていて、姿鏡の前でモカはその証一つ一つを、細い指でなぞっていく。

「うれしい……」

 首には沢山の歯形と、赤い印。お腹には拳を押し込まれた痣が大きく存在を主張していて、モカの真っ白な腕には点々と煙草を押し付けられた痕がついている。

「これ、全部、ジンからの愛……」

 煙草を押し付けてほしいと願ったのはモカからだった。ジンの吸ったものを受け入れている灰皿が、なんだか羨ましく見えたのだ。それは連日の行為のお陰で脳みそがやられたのか、モカが元々マゾヒストだったのかは分からない。それからはジンの気紛れでモカの腕に火の付いた煙草が宛がわれた。根性焼きはモカの癖になってしまった。一瞬針の刺すような熱さの後、じわじわとひいていく痛みの後には、真っ赤な火傷痕。すぐに目に見え、そして数も増やせるその証は、モカにとっては悦びでしかなかった。

「……よし」

 今日は退院して初めての学校。モカの行っている学校は割りと有名な進学校の為、授業はかなり進んでいる。少しの不安はあるが、家庭学習を増やせば大丈夫であろう。見える位置に付いたジンからの愛の証を、モカは真っ白な包帯で丁寧に包んでいく。

「なにしてんだァ?」

 自室のドアを開けて入ってきたジンが、モカの行動を見て声をかける。振り返ったモカのセーラー服の半袖から伸びた腕にはもちろんの事、首元にもしっかりと包帯が巻かれていて、ジンのつけた証はしっかりと隠されていた。

「これはジンがくれた愛だから、ちゃんと隠して行くの、ジンの愛は僕だけのモノ、誰にも見られたくないから……」

 首元の包帯に触れながらうっとりとそう言うモカに、ジンは驚く。どうやらモカも随分と歪んだ独占欲を持っているらしい。嗚呼、自分の予感は間違っていなかった。この少女なら自分の愛を受け入れてくれる。思わず小さな身体を抱き締めれば、背中に回るモカの細い腕。このままこの部屋に閉じ込めて俺だけのモノにしてしまいたい。そんな欲がジンの胸の奥底から湧き出てくる。

「あ、っ、ジン……、学校、遅刻しちゃう……」
「あ、あァ……そうだな」

 するりと服の中に入ってきたジンの手を片手で制止しながら、モカは身を捩らせる。我に返ったジンはゆっくりと身体を離して、モカの手を取り玄関へと向かった。





 教室に一歩入った途端自身の方へ一斉に突き刺さる視線を、モカは特に気にも止めずに一番後ろの自分の席へと座る。自分は元からクラスで浮いていた。何を話しかけても無表情で淡々と話す自分を、周囲は気味悪がってそのうち話しかけてこなくなった。今更ヒソヒソと噂話をされたってどうでもいい。自分にはジンさえ居ればそれで良かった。

「モカさん、あの……、これ、今までの授業のノートだよ、よかったら使って?」
「ありがとう、ロコ」

 藍色の長い前髪の、隙間から覗く翡翠色の眼が特徴的な彼はロコ。このクラスの中で唯一のモカの友人と言っても良い。渡されたノートを受け取ったモカの腕に巻かれた痛々しい包帯を見て、ロコは心底心配そうな顔をする。

「大丈夫?地下鉄の階段から落ちたって聞いたけど、まだ傷治ってないの……?」
「あっ、これは違うの、これは大切な人につけられた、愛の証」

 モカが包帯に触れ幸せそうに微笑む。こんな表情をロコは見たことが無い。いつも乏しい表情なモカがそんな表情をする事にロコは驚いた。それと同時に、大切な人につけられたとはどういう事なのか。その包帯の下にはどんな傷があるのかは分からないが、首元にも巻かれている包帯を見てよっぽど酷い傷なのだろう。もしかしてモカは暴力を受けているのだろうか?ロコはモカの肩を掴み、強い口調で叫んだ。

「それって、絶対DVだよ!?」
「!」
「モカさんは騙されてる!僕がその人に言ってあげるよ!もうモカさんに近付かないでって!」
「っ!やめて!」

 モカが身を捩ってロコを振り払う。周りの目が自分達に向けられている事に気がついたロコが、ハッとした様に俯く。

「……ジンはこんな僕の事受け入れてくれたの、ジンから離れるのは絶対に嫌」
「でも……」
「これがジンの愛し方なの、だから……、お願い、邪魔しないで……」
「……」
「ノート、ありがと、明日返すね」
「うん……」

 チャイムが響く。ロコは渋々とモカの隣の自分の席へと帰る。ロコはモカに好意を寄せている。どうすれば彼女は自分の事を見てくれるだろうか……。けれどもここででしゃばって邪魔をすれば、絶対に彼女の中での自分の評価は地に落ちてしまう。

「でも、何かあったら、なんでも相談して?」

 後ろから声をかければ、モカはゆっくりと頷いて返事を返した。





 授業が終わると同時に、モカはスクールバックを持って教室を飛び出した。階段をかけ降りて、急いで自分の上履きを下駄箱に入れてローファーに履き替える。校門前に停まっている車は正しく愛しい彼の車で、ドアに寄り掛かって煙草を吸っているジンの姿を見るなり、モカはその胸へと飛び付いた。

「ジン!」
「おぉ、随分と早いなァ」
「ジンに早く会いたくて、走ってきた」
「はっ、そうかよ……、帰んぞ」
「うん」

 笑いながら運転席に乗り込むジンの後を追うように、モカは助手席のドアを開けて座席に座る。そういえば周りがザワついていた事を思い出したが、モカにはどうでも良かった。ジンの煙草と、芳香剤が混ざった香りがとても落ち着く。スクールバックからロコに借りたノートを取り出して眺めていれば、ふとジンが口を開く。

「授業、大丈夫かァ?」
「うん、友達が今までの所、纏めてくれてたから」
「へぇー……、男か?」
「え……、っと、うん、だけど、僕にはジンがいるし」
「相手はどう思ってるか、分からねーだろ?」

 大きな瞳に白い肌。まっすぐに切り揃えられた前髪と長い横髪。年齢よりも随分と小さな身体。表情は乏しいがモカの素材はとても良い。好意を寄せる相手が居ても可笑しくはないのだ。折角手に入れたモカを、ジンは誰にも渡したくない。たとえ本人にその気が無くても、無理矢理奪われてしまう可能性もある。

「僕は大丈夫だよ? ジン以外、要らないから」

 モカは自分の異常な愛を受け入れてくれた。信号待ちの間、思わずノートを見ているモカの横髪に触れれば、嬉しそうにこちらに顔を向ける。そのまま薄い唇にキスをしてやれば、頬を赤く染めてノートで顔を隠した。嗚呼、この反応を見れるのは自分しかいない。ジンは満足げに笑いながらハンドルを握り直した。

「ああそうだ、今日は仕事で夜帰れねェんだよ」
「えっ、そうなの?」

 この二週間モカに付きっきりだったジン。流石にそろそろ組へ顔を出さないと代理であるレンが鬼のように連絡を寄越してくるかもしれない。出来ることなら今夜もモカの身体を堪能したいが、暫くの間はお預けになってしまいそうだ。

「うん……、わかった」
「安心しろ、朝には帰ってる」
「じゃあ、起きたらジン、隣にいる?」
「あぁ、だから明日は学校、一人で行けよ」
「うん、大丈夫」

 ジンはマンションの前に車を停める。そうして降りようとするモカの腕を掴み、自分の方へと引き寄せた。唇に噛み付いて、甘い甘い咥内をたっぷりと堪能する。すがるようにジンのシャツを掴んでいるモカの、目尻から一筋涙が溢れた。

「じゃあな」
「あ……っ、うん……」

 離れ際に付けられた鎖骨の上の赤い印。包帯では隠せないその場所を、モカは指でなぞる。そうして暫くの間どこか熱に浮かされた表情で、モカは車の走っていった方向を眺めながらその場に立ち尽くしていた。


20180828