愛して

 実際のところ、事故現場に居合わせたのは運命としか思えない。あの日はたまたまその駅に有るカフェでの打ち合わせで、そして帰り際にたまたま悲鳴が聞こえただけの事。それだけなのに何故だか異常な程胸騒ぎがして、声を掛けてくるレンを無視して階段へと走った。
 あの少女の事がジンはずっと気がかりであった。だから少女を助けた翌日に、少女がバイトをしていた風俗店に押し入り少女の個人情報を掴んだ。

「神水杏愛、ねぇ」

 仕事の合間に、少女の事を調べた。家族からネグレクトを受けこの春から自立し、学業に忙しい傍ら生活費を稼ぐため必死にバイト先を探している少女に、次第にジンは惹かれていった。少女は虐待の影響か、表情がとても乏しい。いつも無表情で何を考えているのか分からない。そのせいもあってか中々バイト先が見つからなかったのだ。ジンはこっそりと近くのファミレスで働く友人に話をつけ、少女の部屋のポストにそのファミレスの求人チラシを入れた。後日ファミレスから出てきた少女が、どこか嬉しそうに制服の入った袋を抱き締めているのを見て、ジンは自然と笑みが溢れた。

「随分あの子に夢中なんすねぇ」
「あァ? んなこたねーよ」
「またまたぁ、ジンさん、あの子の事好きなんでしょう〜?」
「こらもみじ、あんまり彼をからかうと拳骨が飛んでくるぞ」
「あっやべっ、そっすね……!」

 ここはファミレスの店舗の裏。まだ幼さを含んだ檸檬色の髪の少年は、ジンが少女の事を頼んだ相手だ。訳あってレンと暮らしている少年の名前はもみじ。学校には行っておらず、年齢を偽装してここのファミレスのバイトリーダーを勤めている。好き放題喋っているもみじとレンを他所に、ジンは煙草の煙を吐き出しながら思う。店の中で必死に客の注文を聞き世話しなく働いている小さな少女の姿を、無意識に目で追ってしまっている自分は、何処か可笑しいのであろう。あの少女の表情を、自分が変えてみたい。ジンは元々女になど興味が無かった。今は恋愛事よりも組の維持が大事である。父親から正式に受け継いだのが一年前で、レンも含め周りの期待を裏切らない様必死に頑張ってきたつもりだ。

「恋、ねぇ……」

 ジンには異常な性癖がある。その事はレンしか知らない。ジンは一度執着してしまえば相手がどんなに嫌がっても束縛し、暴力で支配する。昔の彼女も、こんな自分の異常な愛から逃げていった。愛を知らないあの少女であれば、もしかしたら自分を受け入れてくれるかもしれない。けれども拒絶されてしまえば……。ジンは悩んでいた。拒絶されてしまった時、自分は少女に何をしてしまうか分からない。それでも、ジンは何としてでも、あの少女が欲しかった。





「そうだ、あの人、あの時のお兄さんだ……」

 名刺を眺めながら、病室で一人モカは小さく呟いた。どうして昨晩は咄嗟に出てこなかったのだろう。頭を打った衝撃なのか、それとも忘れていただけか。けれどもあの記憶をモカが忘れる訳がない。あの時確かにモカは、助けてくれた青年に心惹かれていた。だからこうしてこの名刺を、大事にパスケースに入れてお守りがわりにしていたのだ。また会いたいと言う気持ちを込めて。

「本当に、会えた……」

 首筋に残る印を、指で擦る。両親にすら助けてもらった事など無いのに、あの青年は助けてくれた。あの時の青年の姿は、正しくモカにとってヒーローであった。そうして今回も、青年はモカにとって命の恩人である。

「俺のモノになれって、どういう事かな……」

 モカには愛というモノが分からない。今まで天涯孤独で過ごしてきた。もしかしてモノになるというのは、青年の彼女だとか、嫁だとか、そういう事であろうか。一度そう考えてしまえばモカの顔はみるみる赤くなり、モカはそのまま顔を布団に埋めてしまった。

「よお、元気か」
「っ!」

 病室のドアが開き、青年が入ってくる。モカは思わず名刺を仕舞おうとして、うっかり床へと落としてしまった。

「あっ……」
「あぁ? ……なんだ、コレかァ、っつーことは、思い出したんだな」

 あの時名刺を落とした事に、青年は後から気が付いた。連絡先等全く書いていない仕事専用のモノだった為、特に気にも止めなかったが、まさかその名刺をモカが今までずっと持っていたなんて。青年に手渡された名刺を、モカは両手で受けとり、そして大事そうにまたパスケースへと仕舞った。

「あ、あの、ジン、さん……」
「なんだ」
「ありがとう、ございます、あの、僕、ずっとお礼言いたくて……、助けてもらった事なんて、僕、今まで無いから……」
「あの時から、俺はずっとテメーの事を見てたんだ」
「えっ……、それって」

 口を開きかけたモカの前に、ドスンと置かれた大きな紙袋。その中からジンが取り出したのはパックに入った苺。パッケージ下に貼られた値札をみて、モカは目を見開いた。

「は、はわ……、たかいぃ……」
「そうかァ? 特に気にした事もなかったな」

 パッケージを乱暴に破いていくジンを、モカはぼんやりと眺めていた。モカはフルーツなど食べたことが無い。家で出ていたご飯は恐らく家族の残り物の、ほんの量の少ない物であった。ご飯は茶碗の半分以下。その上に乱雑に置かれたおかず。引っ越してからもお金に余裕などないモカは、近くのパン屋で一袋100円のパンの耳と、もやしが主食であった。ジンが一粒を手に取って、モカの口元へ持っていく。

「食えよ」
「え、えっ……!」
「ほら」
「むぐっ……」

 モカの開いた口に、大粒の苺が入ってくる。噛めば甘酸っぱい果汁が口一杯に広がって、モカは夢中で咀嚼を始める。こんなに美味しいものは食べたことがなかった。モカが喉を鳴らしたのを確認してから、ジンはもう一粒を手に取った。

「うめーかよ」
「美味しい……」
「もう一個食うか」

 頷いてから大人しく口を開けたモカの舌の上に、ジンは苺を置く。貰った苺はとても美味しい。ジンはどうしてこんなにも自分に尽くしてくれるのだろうか。モカはとても嬉しい気持ちでいっぱいだ。こんな自分にも、ちゃんと優しくしてくれる人は居たのだ。自分の頬を伝っていく涙に、モカは暫く気が付かないでいた。

「……あれ? と、とまんない……」
「……。」
「どうして……? あ、あれ……、なんで……」

 止めようとしても、止まらない涙。必死に両手で涙を押さえようとするモカを、ジンはただ黙って抱き締める。抱き締められた事など、モカには今まで無い。ジンの暖かな体温が心地よくて、けれども怖くて、震える両手をジンの背中に回した。

「ジン、さんっ、ぼく、こんなっ、優しくされたの、はじめてでっ……」
「ジンでいい」
「ジンっ……、っ、う、ひっ……、く」
「……、モカ、テメーは、愛されたいか」
「ふぇ……っ」
「どうなんだ」
「あ、あいされたいっ……、ぼくだって……、あいされたいよっ……」

 嗚咽を漏らしながら、必死にモカがジンにすがり付く。それはモカが今まで押し込んでいた感情。溢れだして止まらないソレを、ジンはただ無言で受け止める。

「……なら、俺が愛してやるよ」
「え……、っん……っ、ふぁ……あ」

 モカの甘い甘い咥内を、ジンは堪能していく。果肉の欠片を舌に絡め吸い上げていけば、モカはくぐもった甘い声を漏らす。モカの涙はいつの間にか止まっていた。そうしてたっぷりとモカの咥内を犯したジンは、ゆっくりと唇を離す。

「……退院したら、迎えに来てやる」
「あ……っ」

 モカの首筋に、ジンはまたひとつ新しい印を付けた。離れていくジンの体温がなんだか名残惜しく感じて、モカは思わずジンのシャツを掴んだ。ジンはその手を優しく自分の手に絡ませて、再びモカの唇に触れるだけのキスをする。

「苺、ちゃんと食えよ」

 互いの絡んだ手が、ゆっくりと離れていく。そうしてモカはまた夢心地で印を擦りながら、ジンの去っていく背中を眺めていた。





20180824