二人の愛の形 モカは焦っていた。日に日に大きくなっていくお腹をジンに隠すことは、もう出来そうにない。調べたところ妊娠中の行為は特に問題がない様で、モカの体調が大丈夫な時は拒むことは無かった。お腹を殴打される事でもしかしたら赤ちゃんが流れてしまうかもと言う懸念はあったが、幸いにも出血などはしていない。「でも……」 シャワーを浴びながらモカは自身の腹を見る。ぽっこりと膨らんだそれは、もう太った等と言えるレベルではないかもしれない。元々モカは身体が細く、この短期間で突然腹だけが出るなんて事はまずあり得ない。最近はつわりの吐き気も落ち着いてきており、もしかすると安定期なのかもしれない。カランを締め浴室から出たモカは、身体を拭きながら一人小さく呟いた。「早く言わないと……」「モカ?」「わぁ!」 突然入ってきたジンに驚き、モカは思わずタオルで腹を隠してしまう。まじまじと見られて何か言われても今のモカでは言い訳が出来ない。「早く着替えろよ、水族館、行くんだろ」「う、うん!」 今日は久しぶりにジンと二人でお出掛けだ。モカの誕生日という事で、新しく出来た水族館にジンはどうやら連れていってくれるらしい。身体を拭き用意していた服に着替えて、モカはリビングへと戻る。「髪の毛、拭いてやるよ」「あっ、うん……」 黒いスキニーに長袖の灰色のニットを着たジンが、ソファーに座ったままモカに手招きをする。濡れた浅葱色にタオルをかけ優しく拭いてくれるその手付きは、いつだったか覚えがある。「ジンの、拭いてくれる手……、優しくて、僕、大好き……」「そうかァ?」 思わず目を閉じて、モカは思い出す。ここに来た初めての日の事。彼の愛を沢山貰った事。与えた事。そして……。「じん、あのね……」「なんだ?」「その……」 彼の手が止まる。言うなら今しかない。喉のつい側まで出かかっていた言葉が、モカの口から出る事は無かった。「……、その服、かっこいい……」「なんだそれ」「えへへ……」 自分の腹の中の愛の事を、いつかは絶対に言わなければならない。モカは自身の腹を撫でながら、そう決意した。*「わあ……!おおきい!」 水族館のエントランスに入ればすぐ、目の前に広がるのは水海月の大水槽だ。ユカリの言っていた通り、真っ暗な部屋の中、七色のライトに照らされて輝く海月達は見事な物だ。近くに寄っていくモカを見て、ジンは満足げに笑った。「気に入ったか?」「うん……! とってもきれい……!」 紺色のワンピースを着たモカが、ふと此方を向く。濃紫色がライトに照らされキラキラと輝いていて、とても綺麗だとジンは思う。そのままその瞳に吸い寄せられるように、ジンは顔を近づけた。「ん……っ」「こんな所でキスするなんて、ロマンティックだろ?」 モカの顔がみるみる紅くなっていく。そしてそれを誤魔化すように、再び視線が海月へと向けられた。ふよふよと漂う海月は規則的に傘を動かしており、光に照らされ変則的に色々な色へと変わっていく。その様子は、見ていて全く飽きが来ない。「なんか、ずっと見てられる……」「そうだなァ」 海月になりたかった。以前モカが言っていた事を、ジンは思い出す。彼女にとって海月という存在は憧れだったのだ。ジンの右手が、そっとモカの手を握った。「モカ」「なあに?」「何か、隠してるんじゃないか?」「!」 ジンは薄々気が付いていた。ここ最近のモカの様子は明らかにおかしい。やけに腹部を庇う動作に、突然落ちた食欲と、吐き気。一緒に居れば嫌でも勘づいてしまう。図星を突かれてしばらくうつ向いていたモカが、ふと顔をあげた。「……あのね、ジン」「なんだ?」 ここでなら言える。何故だかモカは確信した。水槽に反射した光で、自身の左手に煌めいている石と同じ様な彼の藍色を、じっと見つめる。「ぼく、妊娠したの……」「……やっぱりか」「うんっ、ずっと、言おうと思って……っ、でも、言ったら、ジンに、いらないって、言われるかもって……っ」 ジンに隠し事など出来る訳が無かったのだ。要らないと言われてしまったら、モカはもうどうすればいいのか分からない。静かに泣き出すモカを、ジンは屈んで優しく抱き締めた。浅葱色の髪を撫で、あやすようにモカの額にキスを落とす。「本当はな、要らないって思ってたんだ」「!」 やっぱりだ、モカの頭の中は真っ白になっていく。折角出来た奇跡の愛を、ジンに否定されてしまった。ふらつく足に力を込めて、モカはジンの背中にすがりつく。それはまるで、捨てないでと叫んでいる様だ。「でも……、少し考えたんだ、テメーの腹にいるのは、俺と、モカの、愛の証だろ」「っ……!」 涙が溢れて止まらない。自分はいつからこんなに泣き虫になってしまったのか。ジンに拾われてから、自分の心の中には沢山の感情が芽生えた。それは今までのモカと比べれば、明らかな変化だ。「っ、産んでも、いいのっ……?」「あぁ」「ジンとの、赤ちゃんっ……、僕、すっごく楽しみ……!」 モカが笑う。嗚呼、自分はモカの笑顔が、何よりも好きなのかもしれない。涙で滲む濃紫色を細めながら、自分の腹を撫でるモカを、ジンは抱き締め幸せを噛み締める。自分はいつから、このペットの虜になってしまったのか。拾ったときからもう既に、虜だったのかもしれない。「ジン……」「なんだ?」「僕を拾ってくれて、ありがとう」 この少女の袖の裾から見える包帯まみれの腕を、首元を、見たものはどう思うのだろうか。隣に居るこの男の事を、暴力で彼女を支配している危険な男だと思うのだろうか。愛を知らない一人の少女と、愛し方が異常な一人の男。歪な二人の愛は、二人にしか分からない。これは二人の、愛の形。20190907おわりましたありがとうございました
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