出会い



 何かが叩きつけられた音と共に、悲鳴が上がる。若紫色の青年はなんだか嫌な予感がして、咄嗟にその方向へと走り出す。地下へと降りる駅の階段の下に見覚えのある浅葱色の頭が倒れているのを見つけた時、青年は全身から血の気が引いた。あの少女は絶対に自分のモノにすると、あの時から決めていたのに。周りの人混みをかき分け浅葱色へと駆け寄り抱き上げれば、少女の頭からはぬるりとした血。

「っ、レン! 救急車! 俺が上まで運ぶ!」
「お、おお」

 後から駆け付けてきた紅桔梗色の友人にそう叫べば、友人は慌てて端末を操作し始める。青年はそのまま少女を抱き抱えて、駅の階段を駆け上がる。絶対に死なせるものか。初めて触れた少女は羽根のように軽く、そして仄かに甘い匂いがした。

「ジン、お前よく落ちたのがこの子だって分かったな」
「あ? あぁ……、いや、自分でもわかんねえ」

 真っ白なベッドの上で横たわっている少女の頭には、痛々しく包帯が何重にも巻かれている。頭から落ちた衝撃で、脳に小さな傷が入ってしまったらしい。恐らく後々後遺症が残るであろうと、術後に医師が言っていた。何もロックが掛かっていない少女の端末を操作しながら、ジンはふと呟く。

「分かってたが、まァ、連絡先すら登録されてねーのな」

 少女の事はよく知っている。全部今までに調べてあるからだ。家族とは絶縁。頭が良い少女は今年特待生として学費免除で名門高校へと入学した。幼い頃からネグレクトを受けてきた少女にとって、自立した今家族の連絡先などもう必要がないのかもしれない。

「で、どうするんだ?」
「あァ? 決まってんだろ、モノにするなら、この機会しかねぇ」

 病院側には自分の事は少女の兄だと伝えている。手術の同意書にもジンがサインをした。職業柄戸籍など幾らでも偽装ができる。眠る少女の頬を撫でながら、ジンの口角は上がっていた。

「レン、近々諸々の用意しといてくれよ」
「はいはい、全く、ウチの若さんは人使いが荒いなぁ」

 やれやれと言った風に、レンは両手を上げてわざとらしくぶらつかせながら、二人を残して病室を出ていった。





 とても頭が痛い。まるで頭の中で槍をもった小人達が暴れているみたいだと、モカは思う。自分は一体何をしていたのだろうか。確か学校の帰り道、いつものように駅の改札をくぐって地下への階段を降りている途中、後ろからの衝撃で前に倒れ込んで、それから……。

「っ! い、ったい……」
「あァ? まだ起き上がるんじゃねーよ」

 身体を起こそうとして、モカは思わず頭を押さえた。そうして手に触れたのは自分の頭皮ではなく、ざらついた包帯。顔をあげれば目に入るのは、右の手首に繋がっている管と、殺風景な病室。そして何処かで見覚えのある様な、若紫色の髪。その青年が、椅子から立ち上がってモカを再びベッドへと戻した。

「だ、だれ……?」
「ああ……、そうか、俺の事覚えてねーんだな」

 青年が、一瞬だけ表情を曇らせる。藍色の瞳が、モカはとても綺麗だと思った。けれどもその表情はすぐに元通りになって、モカの顔をまじまじと見つめる。

「なに……?」
「顔には傷、ついてねーな」
「えっ……」
「俺が階段から落ちたテメーを地上まで運んだんだぜ? 感謝しろよな」
「あ……、そっか、僕、階段から落ちて……」

 モカはゆっくりと、自分の頭を触ってみた。丁度つむじの辺りに大きなガーゼが当てられているのが分かる。そこが切れた場所であろう。この彼が自分を助けてくれたのだとしたら、謝礼等必要だろうか。けれどもモカにはお金が無い。この春から始めたファミレスバイトの給料はほぼアパートの光熱費や食費、諸々生活費に飛んでいる。この病院での入院費も払えるかどうか分からない。無言で青ざめていくモカを見かねてか、青年が口を開く。

「ああ、そうだ、入院費の事は心配要らねぇ」
「えっ」
「俺が全部払ってやる」
「ええ!」
「その代わり……」

 青年が、モカの顎に手を添える。そのまま青年の整った顔が近付いてきて、モカは思わず目を閉じる。チクリと首筋に痛みが走ったのを感じてから、モカはゆっくりと目を開けた。

「俺のモノになれよ、モカ」

 目の前の青年は、不敵な笑みを浮かべてモカの唇を舐める。今まで誰にもそんな事をされた事など無いモカは、顔を真っ赤に染めてただ首筋に残った紅い印を抑えていた。










20180823