もうひとつの 頭が痛い。この痛みは前にも経験した気がする。恐らくこれは後遺症だ。それでもこんなに酷い痛みは初めての事だ。事故でジンに突き飛ばされた時の痛みは外傷的な物だったが、これはストレスによる内側からの物か。ゆっくりと目を開ければ、そこには顔をどろどろにして泣いているロコの姿があった。「うっ、ごめっ、ごめんなさい、モカさんっ、僕、自分で自分を抑えられなくて、ごめんねっ、本当にっ」「……くすり」「えっ?」「かばんの……、右側のポケットに、あるから……」「わ、わかった、ちょっとまってね!」 慌ててモカの鞄の右側のジッパーを開け、中から取り出した手のひらサイズの入れ物を、ロコは震える手でモカの前に差し出した。身体を起こせばそこはマットの上ではなく、ロコのベッドの上だった。「お水、持ってくるね」「うん……」 ピンク色の蓋を開け、透明な丸い容器の中からカプセルを二錠取り出す。再び震える手でコップを差し出してきたロコからそれを受け取り、口に含んで一気に飲み干した。「ぷは……」「い、いたいよね、あたま、ごめんね……、ゆっくり寝てて! あっ! もう、なにもしないよ……」 横たわるモカに白い毛布をかけながら、泣き腫らした顔でロコはそう呟いた。身体中が痛いのは、きっと床で行為を行ったせい。正座をして落ち込んでいるロコに、モカはゆっくりと手を伸ばした。「おこって、ないから……」「えっ……?」「だって、ロコも、僕の事……、愛してくれてる、って、事でしょ……」「!」 愛される事は嫌いじゃない。むしろ今まで愛された事の無いモカに、愛を拒絶する事なんて出来る訳が無い。この我儘な気持ちが、ジンに対しての裏切りになるのか、モカにはまだ分からなかった。「写真だって……、言ってくれれば、撮らせてあげる……」「モカさん……っ! ごめっ、本当に、ごめんね……!」 嗚咽を漏らしながら、ロコが抱き付いてくる。その背中をモカはただ黙って擦ってやった。自分の左手にあるシルバーの指輪が、なんだかとても眩しく感じた。*「じゃあ、帰るね」「うん……」 外は夕焼けが空を包んでいた。もうすぐ暗くなってしまう。あまり遅くなると、ジンに怒られてしまうかもしれない。彼がもう帰ってきているかは分からないが、今は連絡をするのもなんだか憚られてしまう。幸いな事に制服は汚れていなかった為、この事は彼にバレないですむ。「あっ! まって!」「?」玄関で見送りをしていたロコが、突然声をあげて部屋へと戻っていく。それから暫く物音がした後、1つの錠剤を持って現れた。「うちの実家、婦人科なんだ……、さっき出しちゃったから、その……」 これは所謂アフターピルという物だろう。名前くらいは知っていたが、モカは現物を見た事が無かった。確か三日以内に飲まねば効果が薄れるとか。なんにせよ飲むのは早めの方がいいであろう。手のひらに乗せられたそれをポケットに仕舞って、モカはどうしてロコがこんなものを持っているのか、それを聞こうと口を開いた。「何で持ってるの?」「前に友達に頼まれたのが残ってて……、あっ! 早めに飲んでね! 明日とかじゃなくて、その……、帰る前に、あの人にバレないように……」 ロコの声が小さくなっていく。嗚呼、そうか、もし彼にこの事がバレてしまえば、ロコはどうなってしまうのだろうか。モカは知っている。彼の仕事は世間とは裏側に存在する物だ。自分が彼に大切にされている自覚はある。もし彼の頭に血が上ってしまえば、もしかするとロコという存在が、この世から消えてしまうかもしれない。「言わないよ」「えっ?」「ジンには、言わないから」「あ、ありがとう……」 ロコがほっと胸を撫で下ろす。笑った顔はいつもの、あのロコの優しげな笑みだ。それを見たモカも安心して、ドアノブに手をかけ手を振り外へと出た。「また明日ね」「! うんっ……!」 扉が閉まる。今日の事は忘れよう。モカはそう考えながら、階段を降りていく。そうしてふと気が付いたのは、ロコの事ではなく、自分の事。「バレたら、もしかして、捨てられる……!?」 思わず足が止まる。もし今日の事がバレてしまったら、もしロコに身体を許したことがバレてしまったら……、モカはロコの心配ばかりで、自分の事を考えていなかった。愛の証の指輪を貰って、安心しきっていたモカの心が、ズンと重くなっていく。「……っ、バレないように、すればいいんだ……」 そう、バレなければいい。今日は何も無かった。友達の家に行って、勉強を教えて、すっかり遅くなってしまった。そう言えばいい。モカはそう決意する様に、ポケットの錠剤を握り締めた。20190901
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