動き



 通学時や授業中、勿論自宅に居ても、モカは左手を見る度にジンの事を思い出す。光に当たって煌めく深いブルーがいつも自分を守ってくれている様で、モカはいつも幸せを感じていた。包帯の下に残る幾つもの証も、彼からの愛。自分はこんなにも彼に愛されているという事実に、モカは胸がいっぱいだ。

「モカさん、それ、可愛いね」
「えっ? う、うん」

 突然隣から聞こえてきた声に、モカは思わず驚いてしまった。二年生に進級しても、ロコは相変わらず自分に優しい。学校を休んだ時は必ずノートをコピーして渡してくれるし、昼休みも積極的にモカと共に昼食を取ってくれる。勿論彼にはちゃんとした友人も居る筈なのに、クラスで浮いている自分に対してこうやって接してくれる事に、モカはとても感謝していた。

「これ、貰ったの」
「彼氏さんに?」
「うん……」
「そっか、モカさんが幸せなら、僕も嬉しい」

 そう微笑む彼の翡翠色の瞳は、相変わらずとても綺麗だ。いつも前髪で隠れているのが勿体ない位に。

「目」
「目?」
「綺麗なのに、前髪切らないの?」
「えっ! あ、そ、それは……、なんか、恥ずかしくて……」

 照れている彼の姿を、モカは始めて見た。ジンと同じ褐色の横顔が、ほんのりと桃色に染まっている。ジンもこんな色を自分に見せてくれるのだろうか、なんて、こんな考えはロコに失礼だ。

「あっ、そうだモカさん」
「なに?」
「今日予定ある? 実はさっきの数学で出た課題、よく分からなくて……、モカさん頭良いでしょ? だから、教えて貰えないかな?」

 モカは頭が良い。それは自分でも分かっている。テストは毎回学年トップの辺りをうろうろしているが、それを周囲に自慢するといった事をモカはするつもりはない。正直彼から貰うノートのコピーは有り難いが、モカは教科書を見れば大体分かってしまうのだ。面と向かって不要だ等と言ってしまえば、彼は酷く傷ついてしまうかもしれない。

「いいよ、図書室?」
「じゃなくて、僕のおうちじゃ……、ダメかな?」
「ロコの家? 全然良いけど……」
「ほんと!? やった……! じゃあ、よろしくね?」

 ロコの嬉しそうな声の後、六限目のチャイムが鳴り響くと同時に、教室のドアを教師が開けて入ってくる。それを合図に起立の声が響く中、モカはなんだか心の奥がモヤモヤとするのを感じていた。





「友達の家に行く……だァ?」

 事務所のソファーで煙草を吹かしながら、ジンは端末に届いたモカからのメッセージを読み上げる。向かいに座っていたレンが、それを聞いて笑いながら茶化した。

「男か?」
「さぁ、アイツの学校での様子は全く分からねぇからなァ」

 ジンはあまりモカの学校には極力関わらない事にしている。それはモカが努力をしてあの学校に入った事を知っているからだ。その努力を壊すような真似はしたくはない。それは自分が、この仕事の事をモカに話したく無い気持ちも関係しているが。

「でもなんか、胸騒ぎがするな……」

 前に言っていたノートの少年がモカに好意を寄せていないとは言い切れない。モカは唯一の友達だと言っていた気がするが、それはモカの心に付け入る隙を狙っているかもしれないのだ。モカが自分以外に靡くことは無いとは分かっているが、相手は男だ。

「心配なら止めればいいだろう?」
「……」

 そう。心配ならモカを文字通り束縛し閉じ込めておけばいいのだ。それをしないのは、自分がモカに内緒で犯罪ギリギリの仕事をしている為か。

「あー、俺の手はいつの間に、こんなに汚れちまったんだろうなァ」
「それを言うなら、誘いに乗った俺の手もだな」

 端末を乱暴にテーブルに放り投げた後、ジンはそのままソファーの背凭れに身体を落とした。




20190831