ジンという男を一目見た時に思ったのは、もしかしたらこれが初めての恋なのかもしれない、という事だ。中学二年の夏、照り付ける太陽の眩しさに目を細めながら、教室の窓の外をぼんやりと眺めていた。雲一つない青空。こんな日にはリツを連れて海にでも行きたい、だなんて、そんなことを思いながら教師の話なんて聞いてなかったはずだった。

「転校生だ、みんな、仲良くしてやってくれ」

 その言葉でふと正面を向いたとき、まるで海のような、冷たく深い藍色に目を奪われた。キツくつり上がったそれは、この世の中全てが嫌いだという、正に敵意をまざまざとこちらに向けていた。

「じゃあ、自己紹介……」
「紫月仁だ、誰もオレに関わるな、話しかけるな」
「あっ、ちょっと!」

 そう言った彼、つまりジンは、空いている自分の前の席にどっかりと座り、それからただ何も言わず跳ねた癖毛を揺らしながら、窓の外を見ていたのだ。その横顔が、中学生にしては妙に大人びたように見えて、酷く興味が湧いてしまった。

「……で、ユカリはどう思う?」
「どうって、だってヤクザの息子でしょ? 怖くない?」

 いつもの屋上前の階段。先生達に隠れて吸う煙草の旨さは格別だと、そんな事よりも今頭の中を占めているのはあの紫月仁という男だった。なんでも前の学校で大暴れしたらしく、手に負えないという事でこの不良学校に転校してきたらしい。初日に早速三年生に絡まれた彼は、なんと一人で五人を病院送りにしてしまった。

「俺ちょっと、興味あるんだけど」
「ええー!? やめなさいよほんとに……」

 ユカリが心底嫌そうな顔をしてこちらを見る、そりゃあ誰だって関わりたくはないだろう。実際その事件があって以降、誰も彼に喧嘩を売っていないし、話しかけてもいない。彼が廊下を歩くだけで道が出来る程には、彼は既にこの学校で、良い意味で浮いてしまっている。

「あの目がさ、良いんだわ……、こう、お前ら皆敵だ! みたいな……、たまらん……」
「……ねえ、アンタって、ホモなん?」

 好きになるのに性別なんて関係ないのだと、今にも吐きそうな顔でこちらを見ているユカリに言えば、今度は青ざめながら口を覆ってしまった。


****


「仁くん」
「あァ?」

 声をかけた途端にぎろりと睨まれる。その視線にもゾクゾクしてしまうのだから、もう自分はどうにかしてしまっているのかもしれない。鞄を掴み教室から出ていこうとしていた彼の隣まで歩きながら、周りの痛い程の視線を感じてしまう。

「ジンくんって、家何処なの?」
「関係無ぇだろ、うぜェ」
「ええー? いいじゃん、俺青木だけど、教えて……」

 その瞬間、鼓膜が破れるかと思う程の音がした。目の前には心底迷惑だという顔をしている彼。そしてその音の正体は、顔の横すれすれの壁を殴った彼の拳。普通の人であれば恐怖で腰が抜けてしまうだろう、勿論自分もそうなると思っていた。けれども実際には、この状況にどうしようもなく興奮している自分が居たのだ。

「話しかけるな、って言っただろ」
「無理、だって俺、ジンくんの事好きだし」
「は……?」

 その時の彼の顔は、今でも忘れられそうにない。それからは彼に、頻繁に学校で話しかけるようになった。最初は鬱陶しがられて無視をされ続けていたが、次第にぽつぽつと返答が帰ってくるようになった。

「ところでジンくんって結局何処にすんでんの? 毎日車で送り迎えされてるけど、遠いの?」
「……秋葉台」
「ふーん、隣町かあ、そりゃ遠いなぁ」

 自習時間、といってもこんな不良学校で誰もまともに勉強をするわけがない。各々好きにおしゃべりをしている中で、椅子をこちらに向けた彼とお話し中。最近本当にまともに話してくれるようになった。それだけでも距離は十分に縮まったと考えて良い。

「……なァ」
「ん?」
「なんで、オレにそんな構うんだよ」

手元のプリントを折りながら、こちらを見ずに彼がそう呟く。

「好きだからって、言ったじゃん」
「どういう意味だよ、それ」
「さあ? 自分でも分かんないんだよなぁ」
「はァ?」

 彼よりも先に完成した紙飛行機を窓から飛ばして、彼の方に向き直す。その瞬間澄んだ藍色と目が合って、なんだか嬉しくて笑ってしまった。

「俺さ、ジンくんの目が、好きなんだよね」
「は……、ホント、変な奴」

 その時初めて、彼の笑い顔を見た。


****


「っゲホ……」
「まだいけんだろォ? レンくん?」

 喧嘩は強い。それなりに。それでも彼には敵わないと思う。勿論自分だってこの不良学校で、舐められないよう必死に生き抜いてきた。彼が病院送りにした男が、学校に戻ってきたのだ。取り巻きの相手は6人、流石に一人で相手をするのは無茶だった。

「ごめんねぇ、あの紫月仁、ってやつ? どうしてもボコボコにしねぇと気が済まねえんだわ、だからダチのお前ボコしたら来るかな、と思ってよォ」
「は……、卑怯者が」

 鉄の味がする。おそらく殴られたときに切れたのであろう。そんな事はどうでも良い。相手の顎目掛けて拳を振り上げ、力任せに殴り付ける。それでも別方向から飛んできた足に飛ばされて、また壁に背中を打ち付けた。

「ッ、う……」
「あれれ〜? もう終わり? 二年の頭も大したことないなァ〜!」

 頭を靴で小突かれても、特に何の感情も湧かなかった。ただ浮かぶのは、彼は来てくれるのかという、心底女々しい考えだ。こんなボロボロの姿を見られるのは格好悪いに決まっている。それでも心の何処かで、この学校近くの狭い裏路地を見つけてくれるか、なんて、淡い期待を持ってしまった。

「誰のダチに手上げてんだよ、テメーら」
「は……」

 逆光の中立っている黒い学ランがやけに眩しくて。嗚呼やっぱり来てくれた、なんてまた乙女みたいな考えをしてしまう。数人をあっという間に薙ぎ倒していく若紫色の髪がとても綺麗で、ふと涙が溢れた。

「そんな痛ぇのかよ」
「違うんだけど、ちょっと感動して」
「あァ?」

 伸びてきた彼の自分よりも薄い、褐色の手を握る。立ち上がって少し見下ろして見る彼の綺麗な顔には、傷一つついていなかった。

「ジンくん……、その、ありがとう」
「名前」
「え?」
「ジンで良い……、友達、だろ……」

 その言葉に思わず顔がにやけてしまう、彼は素直じゃないのだ。前を向いている彼の顔は、もしかしたら赤いのかもしれない。握られた手がなんだか熱くて、自分の顔まで熱くなってきた。


****


「というのが、ジンと俺のラブストーリーだよ」
「うっわ、アオハルって感じ」
「ジン、格好良かった?」
「勿論」

 真っ赤な顔をしたレンが持っているのは、母校の卒業アルバムだ。肩を組んで笑っている写真の中の二人を指差して、レンがまた大声で語り始める。

「これジン、かわいいでしょ、もうね〜、ホント好き……」
「なんか、レンさんってここまで酔うと面倒だね」
「そうなのよ、本当に! 誰よこんなに飲ませたの」
「オレ」

 電話が終わったジンが、レンの隣にどっかりと腰を下ろす。もう既に彼は焼酎の瓶を一本空けている。端末をテーブルに置き、飲み掛けのコーラに手を伸ばした時、腰にしがみついてくる大の男。

「ジン〜〜!!! 俺、ホント好きだわ、結婚して」
「うるせェなァ、してるようなモンだろ、ズボン脱がすな」
「えっ! 僕は!?」
「テメーはペットだろ」
「そうだった」
「なんなの? この人たち?」
「面白いっすよね〜」

 意味不明だと叫びながら缶チューハイを煽る女と、笑いながら唐揚げを持ってくる少年。そして腰に引っ付いてくる酔っ払いの男と、それを見て少しだけむくれているペットの頭を撫でながら、こんな日も悪くないなとジンは笑った。
 


20200607
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