「愛されるのが、怖いんですよ」
 どうして、話してしまったのかはわからない。ただ、この人の前にいたら話をしていたら。こみ上げてきた言葉が、飲み込みきれなかった。投げつけるように、呟いた言葉。言ってしまったから後には引けない。
「愛情なんて、身勝手な感情だ」
 身勝手。その部分を、彼が繰り返した。こっちを見てくる彼の瞳が、映すもの。きっと、俺だけじゃなくて。
「んな、身勝手なもん向けられると思うと。怖くて、仕方ないんです」

斜視

「……そっか。だから、なんだ」
 だから君は透明なんだね。彼は俯いて、それでも笑うのが見えた。なにに、対して。
 顔を上げたその人の表情に心臓が跳ねる。自嘲と諦観と、それを笑みの上に乗せて、それも一瞬。俺を見て下がる眉尻、深くなるブラウン。痛い。感じたのは、それ。
「佐久間、さん?」
「虎君、」
 部屋にぽかんと浮かんだ声は、てのひらから鈴を転がり落とす、音。見つめていたのは、俺を通り越してどこか、遠くの。呼ばれたのは俺の名前、それにほんの少し気が付かなかった。声というより、音。握りつぶされる。
「俺は、君の隣にいちゃいけないみたいだ」
 首を傾げて、彼はまた笑う。笑顔を作るのは、得意なんじゃなくて。いろんな感情がその表情に、笑顔に乗っかる。知ってる、それは距離の作り方。少しずつ少しずつ後ずさって、気付かれないように感じさせないように、離れていく。手の、届かないところまで。
「どういう、意味ですか」
「君は、綺麗なものしか受け止められない。君が手にする物は、綺麗じゃなくちゃいけない」
 綺麗。反芻、口の中で転がした。きっと、綺麗なものばかり見てきたこの人が、きっとそんなものばかり愛するこの人が、俺に向けた言葉。俺を、形容する言葉。それが含むあまりに抽象的な意味、ふとわからなくなる。この人の中にはあるのだろうか。その言葉に対する、揺らがない概念が。
「佐久間さん。あんた、は」
 不思議な人だと思った。柔らかくて棘のひとつもない言葉、表情、それなのに。近付こうとするたび、覗こうとするたびにちくりと何かが突き刺さる。俺には名前の付けられない感情、突き刺すのはきっとこの人の、中にある何か。痛い。感じるなにかに、一番近い感覚はきっとそれ。どうしようもなく不安定で、揺らいで揺らいでぐらぐら、無意識に手を伸ばしたくなるくらいに。なぜだか、なんてそんなの。わからないけれど、痛い。
 彼は視線を移す、遠くから俺に。距離は反比例、どんどん開いて踏み込ませまいと。きっと、ほんとはそんな人じゃないのに。何を知ってるわけでもないけれど、こんな壁も境界線も、きっと似合わない人なのに。
「俺は、臆病なんだ」
 呟くように、笑う。臆病者なんだよ。それは告白、なのに縮まらない距離とさらけ出さない、奥の奥と。
「君と同じ、俺は愛されることが怖いんだ。だけど、君とは反対。俺はね、ただ純粋に純粋に、自分の損得なんて考えないで、一番に俺を愛していると言ってくれる人が、そうやって真っ直ぐ愛されることが、怖くてこわくて仕方ない」
 その告白は、まるで歌うよう。よどみもなくするすると声になって響く。歌と同じだ、最初に感じ取ったのはメロディと余韻。後からようやく言葉の意味を飲み込んで、それが喉に詰まった。息が苦しくなるくらいに、重い。
「だけど、俺は君ほど強くない。だから、君の嫌悪する利己的な愛を利用して誰かを愛したふりをしてるんだ。俺は、臆病な卑怯者なんだよ。君みたいに、純粋でも真っ直ぐでも、強くもない」
 こんなこと、君にしか話さないけど。ぽつり、漏らしたように見せかけてきっとそれも意図的。この人は知ってる、自分と相手の距離感をうまく誤魔化す方法。なあ、そんな方法俺には通用しねーよ。君にしか、なんて。縮めたふりをして、あんたはまだ後ずさってる。わかるよ、それくらい。――どうして。
「だからね、君は俺の傍にいちゃいけない。俺は、君にさわれない。俺じゃ、君の隣にいられない。君は、透明すぎる」
 ほんの少し、声が揺らいだ。それはほんとうにほんの少し、だけどつついた水面は輪を描く。目を落とした彼の指先、握っているのが見えた。確かに、伝搬していた。覚悟は決めた、とっくに。壁も境界線も、くそくらえ。俺には、そんなもの見えない。
「だから、俺は」
「佐久間さん」
 続く言葉は遮って、少し高い首の位置、反動まで付くほどの勢いで腕を回す。衝撃が、彼の体をほんの少し後ろに反らす。手のひらを床について、浮かべた驚きの表情。今までで、一番自然で純粋な顔。
「虎、君。なにして、」
「俺が綺麗だとか、触れられないだとか、そんなこと勝手に決めないでください」
 そんな勝手なイメージで離れていって、俺は何も望んでなんかいないのに。そんなの、そんな理不尽。抱きついた体は思った以上に暖かくて大きくて、思った以上に震えていた。虎君。名前を呼ぶ声、隠しきれない揺らぎ。
 悔しかった。距離を置かれることが、壁を作られることが。だから、そんなものぶち壊そうと。それは俺のわがままなのかもしれないけれど、それが、この人の救いになるかどうかなんて、俺にはわからないけれど。だけど、どうしようもなくこうしたくなった。離れていかれたら、踏み込みたくなる。
「ごめんね、……ごめん、虎君」
 背中に、腕が回る感覚。同時に、彼は俺の肩に顔を埋めた。ひくつくように、肩が細かく上下する。嗚咽、抑え付ける呼吸音、俺が突き破った壁と同時に、きっとなにかもうひとつ、壊してしまった。俺が抱きしめるより強く、痛いくらいに。だけど、それ以上に痛い。俺より年上のこの人が、もう強がることすら出来ずに泣く、姿が。
「どうして君みたいな子が、幸せになれない世界なんだろうね」
 上ずった声、鳩尾の辺りからぎゅうぎゅう締め付けられて、こみ上げてくる思いを飲み込んだ。そんなの、一緒だ。あんただって。
 綺麗なもの純粋なもの、きっとそんなものに人一倍敏感で、だけれど彼はそれに触れられなくて、きっと、愛したいはずなのに。焦がれてるはずなのに、一方通行。それは俺にはわからない気持ちで、きっとこの人だって俺のことを理解なんかは、出来ない。だけど、そんなことじゃない。ただ、ただ苦しかった。臆病なのは、俺だって同じ。
「あんただって、なっていいんじゃないですか」
 幸せに、なるべきなのは俺だけじゃない。臆病だとか卑怯だとか、それを否定できるほど俺はこの人を知らない。だけど、わかることだってある。何を知らなくたって、わかること。
「君は、本当に優しいね」
 指が、食い込むくらいに。それが、逃げ場のない感情。この人が、溜め込んできた思い。わからない、わかりはしない。だけど、きっとそうだ。
「佐久間さん」
 何を知ってるわけでもない、だけど、それでも。そうじゃないわけがないと、俺は思う。この人が、どんな人であるかなんて関係なく。これだけは、きっと正しい。あんたは、そう思わせるような人だ。
「――あんたも、十分優しいよ」
 あんたが否定しても、俺は、そうだと思うから。




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Rider Mind(ソヨゴさん)さんより、輪払虎君をお借りしました!
まっこと申し訳ないくらいの虎君の偽者っぷり。
愛されるのが怖い二人。だけども、虎君が怖がるのは欲に汚れた愛で、守が怖がるのは純粋で真っ直ぐな愛。みたいなそんな話をソヨさんとしてて滾ったわけですはい。
雰囲気小説過ぎてすみません。でも楽しかったです。すごく楽しかったです。
ありがとうございました!
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