「……え?」

爆発を受けた獣のようなものは衝撃に弾き飛ばされ、じたばたとのたうちまわっている。
何が何だかわからずあたりを見回すと、こちらへ向けて駆けてくる影が見えた。

「うま……ひと……?」

駆けてくる馬の背に人が乗っている。
あれは誰なのだろう。この獣は一体なんなんだろう。
何が何やらわからず呆然とするしかないにも関わらず、あの爆発を起こしたのは自分だと勘違いされてしまったらしい。憎しみに燃える六の目に睨みつけられる。
その視線を遮るように、馬から降りた人が滑りこんできた。

男だ。大柄ではないがしっかりと筋肉のついた広い背中は間違いなく男のもの。
肩より上で揃えられた赤い髪が微かな風に揺れている。

「―大丈夫ですか?」

その人は肩越しに振り向くと、短く一言だけ発して顔を戻した。
緊迫感に張ってはいたが、確かに気遣いの言葉。一瞬だけ交差した眼鏡越しの青い瞳に自分への敵意はなかった。
言葉の通じる人間がいた。命の危機を救われた。そう思うと、今更ながらどっと全身から汗が噴き出してきた。
髪や目の色など気になるところもあるけれど、そんなことよりも今は安堵感の方がずっと強い。

「……少しお待ちください」

低く呟くなり男はすらりと何かを構える。
黒光りする長い棒の先に凝った装飾の宝石が取り付けられた、杖。それもかなりファンタジックな。
身体を起こした獣が突進してくる。その先に杖を突き付け―――またも、衝撃と赤が炸裂する。

「なっ……」

もう何度目になるかわからない驚きが漏れる。
また爆発が起こった。人が爆発を起こした。しかも、爆発の瞬間あの人と杖がわずかに光った、ような。

もはや睨む体力もなくびくびくと震えるだけの獣。
その胴の上に杖を翳し、ひと思いに鋭く貫く。
びちゃりと鮮血とは思えない赤黒い血が飛び散り、一拍置いて本体も血液も全てが霧散した。

「…………」
「大丈夫でしたか?」

もはや声を出す気力もない。
ただただ目を瞬かせるだけで返事をしない様子は流石におかしく映ったのだろう。どうしました、と気遣わしげな言葉が降りかかる。

「…………あの、」
「はい?」
「今の、なんですか?」

なんとか絞り出した問いかけに、少年はいささか驚いた様子で目を丸くした。

「なに、とは……ごくありふれた魔物です。このあたりではそう珍しい種類でもありませんが……」
「ま、魔物?」

耳を疑った。
魔物といえば、よくファンタジックな小説やゲームに登場する異形のこと。
異世界物の物語では引っ張りだこの定番設定だが、現実に存在するなんて聞いたことがない。

普通の動物の類とは違い、悪意を糧に存在するもの。
未だ詳細はわからないがずっと昔からいて、当たり前に人に害悪を与えるもの。

見かねた青年が説明してくれたが、まったく理解できない。
ずっと昔から当たり前に、とはいうが自分の常識の中に当てはまる言葉や事例が見当たらない。

「(アフリカの奥地とか……でもないよね……)」

ただ単に獰猛な生き物というわけでもなく、普通の動物とは明確な線引きがされているのだと言っていた。
それに言葉も通じるし、彼の外見は明らかにアフリカあたりの人種とは違う。
じゃあここはどこなのだろう。恐怖で抑え込まれていた不安がまた首をもたげる。
けれどさっきまでとは違うのは、目の前に人がいるということだ。

「……あの、お聞きしてもいいですか?」
「僕に答えられることでしたら」
「ここは一体どこなんですか?その……気が付いたら、ここにいたもので……」

我ながら怪しい。非常に怪しい。
事実を言っているはずなのにどうしてこうも怪しいのだろう。警戒されてしまわないか、内心では冷や汗が噴き出している。
けれど青年は優しかった。

「ここはディーラント帝国の南東部、マクムール平原です」
「ディーラント帝国……マクムール平原?」

オウム返しに呟いて、ますます胸中が疑問で埋まる。
現在の地球に【帝国】は存在しないと世界史の教師が言っていた覚えがある。
自分が知る常識と食い違うことがまた一つ。

「ご存知ありませんか?異世界の力が流れ込む場所の一つで……戦争期の過剰搾取から有名な場所ですが」
「いえ……あの、異世界?」

おや、と今度こそ青年の顔が疑問に染まる。
ぱちぱちと瞬く目に見つめられてはどうにもおさまりが悪い。思わず視線を逸らした自分とは対照的に、青年はじっとこちらを見つめてくる。

「……もしかして、フジナミサトさんですか?」
「えっ!?」

フジナミサト。藤奈魅里。
唐突に降ってきた自分の名前に、弾かれたように顔を上げる。
へたり込んでいる自分に対して彼は立っているので随分目線が高い。それに気付いた青年はすとんと片膝をつき、目線を合わせてくれた。

「……どうして、私の名前を?」
「やはりフジナミサトさんなんですね。……ご説明したいのは山々なんですが、ここにはさっきのような魔物が出ます。移動してからではいけませんか?」
「移動……ですか」

つまり彼についていかなければいけないということか。
助けてもらっておいてなんだが、ついていくには抵抗がある。
初対面の相手だし、それでなくても右も左もわからないこの状態では疑心を持つなと言われるほうが無理な話だ。

かといって、ついていかなければ事態は動かないだろう。それがたとえよい方向であれ悪い方向であれ。
見渡す限りの平原をどのように進むことが正解なのかもわからないし、よしんば人がいるところに出られたとしても頼るあてがない。
しかも彼が言うにはあの魔物とかいうものがここにはまだたくさんいるらしい。今回は偶然にも助けてもらえたが、一人で出歩いてまた襲われたら……考えるだけでも背筋が粟立つ。

どうすればいいのか、何を選べばいいのか、そもそもどうしてこうなっているのか。
気を抜けば泣きだしてしまいそうな不安に襲われて、心臓がばくばくと早鐘を打つ。

「(……駄目だ、こんなのじゃ……)」

絶えず湧き出る疑問に無理矢理栓をする。
そして改めて青年を仰ぎ見た。なかなか返らない返答を根気よく待ってくれている青年の目は、最初に見た時と変わらず穏やかで優しい。

「(……やらない後悔よりやる後悔)」

いつだったかに聞いたことのある言葉を反芻し、覚悟を決める。
不安はまだまだ尽きないが、彼は説明すると言ってくれたし、何より最初に見ず知らずの人間である自分を助けてくれたくらいには優しい人、だと思う。
溢れそうな不安を飲み下し、勢い込んで立ち上がる。

「よろしくお願いします……!!」
「はい、よろしくお願いします」

青年は嬉しそうに顔を綻ばせると、腰につけたポーチから鳥のような形の紙を取り出した。
何をするのだろうと首を傾げる魅里を尻目にふっと息を吹きかけると、紙が立体的な鳥に変化した。

「えっ……!?」

本物というにはややチープだが、確かに平面の紙ではなく立体の鳥になっている。
魅里の驚きも意に介さず青年は何やら鳥に話しかけ、空へと放った。

「すいません、お待たせしました。行きましょうか」
「は、はい……」

またも目の前で繰り広げられた超常現象。
ついていくことにしてよかったのかと、早々に少し覚悟が揺れた。