転校生の名前を聞き出し満足した俺は、長居は良くないと屋上を去ろうとしたらくんっと引かれたセーターの裾。 振り返るとまさかの転校生が俺のセーターを掴んでいた。 何が彼女を引き止めさせたのは解らないが、その小さな手できゅっと裾を掴む姿に不覚にもときめき、どうしたのか促すと 「よ…よろしくお願い、します。く、黒尾先輩…」 鼓膜を震わせた鈴の様な声に、一瞬俺の思考回路は停止した。 真っ直ぐ自分に向けられた、その深緑色の瞳に、陽の光が反射をしてキラキラと光り目を奪われる。 はっとして、にっと笑い今度こそ屋上を出て行き、後ろ手で屋上の扉を閉め、その手をじっと見つめる。 指先まで支配されたかのように彼女の髪の柔らかく絹のような感触が残っていて、行き場をなくしてその手で思わず顔を覆った。 参ったな、こりゃ。 沼にはまるように、彼女に関わったらどんどんのめり込んでいきそうだ。 最初の好奇心は思いもよらない方向で自らに襲いかかる。 彼女と関わるとどんどんのめり込んでいきそうだ。 そう頭では理解している。 俺らしくもない、こんなことで浮ついてどうすんだ。 わかってはいても、もう一人の感情が姿を現わす。 どんな風に笑うんだろう。 どんな風に泣くのだろう。 どんな風に怒るのだろう。 「…らしくねぇな」 ぽそりと呟き自嘲気味に笑う。 それでもまた彼女に会いたくなっている自分に思わず深い溜息が溢れた。 「…なまえ、か」 次はいつ会えっかな、そう考えてすぐ、研磨の眉間に皺を寄せた表情がちらつき苦笑いを溢す。 先程の様子だと、研磨はなまえを気に入っている様だった。 とんでもないボディガードがついてしまったものだが、まあ研磨がなまえと仲良くならなきゃ知り合うきっかけもなっただろう、心の中で不機嫌な表情を浮かべる研磨に感謝した。 今日の放課後にでも説教されそうだ。 クラスに戻り席に着くと、夜久は弄っていた携帯から視線をこちらに向けそれをポケットにしまった。 「お疲れさん」 労わりの言葉をスルーして机に突っ伏すと、頭上から声をかけられる。 「どうした?」 「……やっくん」 「あ?」 「とんでもない宇宙人だったよ…」 「え!転校生?会ったの?」 そこまで聞くと顔をあげる。 驚いた夜久の表情が目に入る。 「研磨といたからな」 「そうか、んで?どうだった?」 「…やられました」 そう言って両手で顔を覆った。 「は?やられた?どういうこと?」 やられました、ええ、やられましたとも。 黒尾さんのツボにはまってしまいましたとも。 ふわふわの髪も、人見知りして狼狽える姿も、震えた声も、深緑色した瞳も、控えめに俺のベストの裾を掴む手も何もかもツボにはいりましたとも。 颯爽と現れた自分の人生においての新しい登場人物。 「えらく可愛い宇宙人でした…」 そう言うと夜久は察したのか、"ああ…"と納得の声を上げた。 「それはそれは…研磨の怒る顔が目に浮かぶわ」 ケラケラと夜久はこれから楽しみだと笑い、こいつ人の感情を何だと思ってんだと睨んでおいた。 放課後、今日は部活がない為研磨の教室に向かう。 帰宅する生徒や部活に向かう生徒の波を潜り抜け、目的の場所に足を向ける。 放課後の廊下は昼休みに比べ人も疎らで、研磨の教室までの道のりは近く感じつつ、クラスの数字が書かれたプレートを見てふと足を止めた。 「…あいつ、いっかな」 言わずもがなあいつ、とは研磨ではなくあの転校生だ。 深い緑色の瞳が瞼に今も残っている。 ガシガシ頭を掻き、教室のドアを開けると左手奥、教室の窓際一番後ろに見慣れた金髪が目に入る。 そしてその奥にゆらゆらと揺れるふわふわの銀髪。 一瞬ひゅっと息を吸い込んだ。 開け放たれたカーテンから差し込む太陽の光が、その銀髪に反射してキラキラと絹のように光っていて "綺麗だ"と、純粋に思ったからだ。 「クロ、なにしてるの?」 「うぉっ!」 教室の入口でぼーっと突っ立ってる俺を不審に思ったのか、気が付いたら研磨が目の前に立っていて驚いて一歩後ろに下がる。 「いや、今日部活ねーから迎えに来た」 「ふーん…。もう少し待ってて。座ってていいから」 それだけ言うと、研磨はさっさと席に着いてしまった。 座ってていいから、と言うので研磨の席の前の椅子に座る。 「なまえ、あとどれくらいで採取終わるの」 『もう終わる…あ、ピッケル壊れた』 「じゃあエリア変えて。ペイントついてるから」 『ん』 なまえはゲームに夢中で俺に気が付いていない様で、カチャカチャと慣れた手つきでボタンを押していた。 つーか、こいつら仲良いな。 ゲーム機から聞こえる音楽が変わる。 恐らくボス?とこれから闘うのだろう。 『研磨、頭よろしく』 「じゃあなまえは尻尾ね」 本当仲良いな畜生。 斜め前に座るなまえは未だに俺の存在に気付かず、少し面白くない。 生憎俺はゲームに興味がないので仕方ないかと頬杖をつき、ゲームの画面に夢中のなまえの顔をじっと見つめる。 癖なのだろうか、ゲームの操作をしている彼女は左頬を空気を含みぷくっとしていてその表情はあどけなくて、思わず頬が緩むのが自分でも分かった。 伏せられた睫毛は髪ほどではないが色素が薄く、その睫毛が目元に影を作っている。 睫毛の隙間から見える深緑の瞳が、俺を捉えるのはあと何分後なのだろうか。 彼女が俺を認識した時のリアクションが酷く楽しみで、気付かれない様に音を立てずになまえの前の席に移動した。 研磨はそんな俺を見て、げんなりした表情を浮かべているがそんなの気にしない。 「なまえ、罠張って」 『ん』 ゲーム機から聞こえたファンファーレに近いそのBGMはどうやら終了の合図だろう。 膨れていた彼女の左頬は元に戻り、ほんのり口元は弧を描き柔らかく笑みを浮かべていた。 『研磨研磨、もういっかい…』 そう言いながら顔を上げたなまえが漸く俺の存在に気付き、俺を凝視して固まった。 そしてみるみるうちに青ざめていく。 「よう、なまえちゃん」 『ひっ…!』 にやっと笑うと青ざめていた顔色は更に怯えた表情に変わる。 化け物でも見たかの表情に笑い声をあげた。 あー、おもしれぇ。 この子をからかうのはどうやら癖になりそうだ。 ふわりと翻るカーテンの隙間から夕日が差し込み、緑色の瞳に微かに橙色が映り込む。 その綺麗は瞳を見つめながら、やっぱり自分の好奇心には勝てそうにないなと、心の中で苦笑いを浮かべた。 |