殺風景な部屋の机の上に置かれた器の中に小さな菓子エネルゴンが入れられ始めたのは、いつごろからだったか。
包みを開ければ薄桃色のかわいらしいエネルゴンがのぞき、もともとかなり良質のエネルゴンを与えられている今となっては大したものではなかったが、食い扶持に困っていた頃のクセが抜けたわけではない。つまりはその菓子エネルゴンは未だに魅力的で、しかしインテリアかなにかの一種として置かれているのであれば手を出さない方がいいのではないか、と。
如何せんこの部屋を提供した男があまりにも読めないので、迂闊に手を出すのもはばかられたのだ。
妙に可愛らしい包装紙でそれを包み直し、器に戻す。
それでもそちらに視線を向けてしまったトレパンは盛大にため息をつき、
「食べないの?」
気配もなく背後からかかった声に、大声をあげて椅子もろともがったんと転げ落ちた。
「入るときは、ノックしろと。あれほど。私は言ったんだが?なあ??」
「言ってたね」
「で?」
「唸ってたからつい」
ふふふ、と悪びれる素振りもない(そりゃこの男こそが部屋を提供した主だから当たり前なのだが)オーバーロードを、打ち付けたことで痛んだ腰のジョイントをさすりながらトレパンが睨んだ。
悪戯が成功した子供のようにくすくすと笑うオーバーロードはゆったりと器に手を伸ばし菓子のひとつを指にとる。トレパンだって小さいと思うようなそれを、トレパンよりも大きな指で器用に剥いていく。
「食べたかったんだろう?」
そしてずいとトレパンの口元へ桃色を差し出して、トレパンはようやっとオーバーロードが自分のために包装をといていたことを知った。
驚いて見上げたところに、桃色を伴った青い指が薄い唇をわる。
「んむ、」
「美味しい?」
舌の上にからりと転がったそれは、即座に口の中で甘ったるい芳香を振りまいた。ほんのりエネルゴン酒が香るのは、そういったものを好むオーバーロードらしいといえばらしい。ということはこれは彼の好物になるのだろうか。
トレパンは甘味を堪能しながら考えた。
「あまい?」
「とても」
机を挟んでトレパンと向かい合ったオーバーロードがにこりと笑った。どうやら今日は何かをしでかす気はないらしい。
笑顔でそれが察せる程に、トレパンがオーバーロードに連れさらわれてから時間が経っていた。
「お前さんこういうのが好きなのか?」
ひとまず安心したトレパンは会話を振ってみることにした。
そうだよとオーバーロードが頷いたのを見て、口内へ意識をやる。この種のエネルゴン酒が好きなのか。そう覚えることはできたが、金もなく地位もなくそういったものを渡せないことに気付いてああと呻いた。いや、たとえ渡したとしても今の状況がどうなるとかそんなことはないのだけども。
「先生もこういうのが好きだろう?」
「嫌いじゃあない 」
「そういう割には2個目手にしてるけど」
「…甘いのはブレインの回転にいいんだよ」
「それもそうか、」
そう言って2個目を口にしオーバーロードと話す間に、妙に気分が高揚していくのをトレパンは感じた。
「…」
たかだか一粒に入ったアルコール量はたかが知れていて普通は香り付け程度にしか感じないであろうものだったのだが、オーバーロードが見る限り、早くも白い頬を赤く染めだしたトレパンは壊滅的なまでに酒に弱いようだった。
オーバーロードと機嫌よく会話を続けるトレパンは、いつもよりずっと柔らかい表情を浮かべている。…柔らかなというよりは、気の抜けた、ぽやっとしたもののほうが正しいかもしれない。
しかし本人は酔ってないと思っているらしいので、やっぱりこの人は自分の弱さと置かれた状況がわかっていないなあ、とオーバーロードは唇を舐めながら思った。
「まあ、先生が気に入ってくれて何よりかな」
オーバーロードの言葉が聞こえているのかいないのかは定かではないが(おそらくは後者である。)、声に反応しこちらに向ける視線は酔いで僅かに濡れていて。
怯えきり警戒しつつもこちらに合わせようとしては体調を崩していた過去のトレパンとは似ても似つかぬ、長く監禁してきた今までに見たことのないトレパンはオーバーロードにとって新鮮で、嫌ではなかった。むしろ面白い話の種を見つけたようなものだ。
「…ード、オーバーロード、聞いているのか?」
「ああ、勿論だとも。」
オーバーロードに強い口調で問うのも、少しばかり注意が散漫になっているところも、酔が覚めた時に伝えようか。それとも、密かな楽しみとして自分だけで楽しんでしまおうか。
「まったく、お前さんはたまにそうやって話を聞かないから困る。」
「すまないね、ちゃんと聞くさ」
「そうしてくれ。同じことを二度も言うほど私はお人好しじゃあないんだ」
どちらにせよ、こんなトレパンは初めてだ。
「…ただの菓子一つで随分な収穫だね、これは」
「何か言ったか?」
喉奥で笑ったオーバーロードをトレパンは覗き込む。警戒心など欠片もない、眉間にしわを寄せた気の強そうな表情を浮かべていた。それに、考え事をしたオーバーロードの意識をこちらに向けるつもりだったようで、細い指が手の甲にかけられている。
…それでいて、上目遣い。
トレパンがこんなことをするなんて、菓子様様である。これは伝えたほうが面白そうだと心底思った。
「…いいや、なんでもないよ」
「そうか。」
「なら、授業を始めようじゃない、か――…………」
「え」
ぐらりと細い体が揺れる。思わず呆気にとられたオーバーロードを前に、トレパンは机に頭を強かに打ち付けた。。ごちん、と重々しい音を立ててもわずかな呻き声しか出さず、トレパンは起きない。
もしや、と動かずに聴覚センサーを集中させる。
数秒後、そこに届いたのはくうくうという穏やかな寝息で、オーバーロードは耐えきれず吹き出し、声を出して笑うしかなかった。
あのトレパンが。
この男が。
「ふふっははは…っく……ああもう、本当に貴方って人は、もう、」
笑いで震える手ですやすやと眠るトレパンの頭の傷を撫でてやりながら、次はもう少し酒の量が多い菓子を持ってこようとオーバーロードは考えるのだった。
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