彼との出会いはそれはそれは非現実的だった。
いつもどおりの大学の帰り道、あと、少しだけいつもよりも薄暗くなった、丁度夕陽がビルの根元へ吸い込まれた時間。うっすら姿を見せ始めた星がこれまたいつもよりも綺麗だったので、俺は危険だと思っていたんだけども歩きながら空を眺めて音楽を聞いていた。それでお気に入りのバンドの新作のサビに突入してテンションが最高潮に昇ったその瞬間、俺は彼≠ニ出会ったのだ。

…とはいっても、そんな一時のファンタジーやら妄想などではなく、彼とは今も顔を合わせ続けているのだけども。




春のようで春でないような少しじめったい空気に不快感を感じつつも、一件の家の中にいた青年はそっと部屋の窓を開けた。烏が夕日と一緒に帰っていくのを見届けて、夕陽の残光が白い手を名残惜しげに撫でていくが、彼の視線は窓の外、家の裏の小さな林の中だ。
「あ、」
思わず漏れた声が視線の先の生き物で止まる。
…少し汚い赤毛の猫が、青年に向かって一声鳴いた。金色の目に催促がわりににらまれて青年は苦笑し頷くと、ベランダからそのまま煮干しを幾匹か放り投げた。

「…なんだ、そいつよりも俺の方が遅かったか」
「うん。少しだけ!」

突如として割り込んだ男の声に動じることなく青年は答える。
視線を猫から外し、少し視線を上に上げればそこには闇に溶け込むような服を着た男が一人。
いらっしゃいと笑って手招きする青年に、その男はひとつため息をつくと、ひとっ飛びでベランダの手すりに両足を乗せてしゃがみこんだ。

「用心しろっていってるだろ?」
「お前だから大丈夫さ」
「そうじゃなくてな、俺の仲間とかがさ、きたらさ、」
「その時はその時だし」
「あのなあ…」

大人になりきれていない幾分か若い男の声を青年は目を細めて聞いた。それこそさながら猫のようで、声を出して笑っていないでこそあれ青年の笑顔に悪気は一切ない。男としてもそれ以上の説教は無駄だと悟ったのかまたひとつため息。

「どうした?」

青年は気付かぬまま再度笑顔を向ける。

「いんや」
「何かあるなら善処するが」
「いーよいーよ、あんたはそのままで!」

そうか、と彼はそれ以降に問い詰めず、しかし部屋へ通じるガラス戸を引いて男に向かって「入らないのか?」と当たり前のように聞いた。

…知り合ったばかり、しかも人間離れした大の男と二人で家の中である。
人間離れした男の方が何故か下手に周り青年を心配しているというこのアンバランスな関係はほんの少し前からの関係だ。



いやああの時はびっくりした、とへらっと笑い紅茶を淹れる青年を男は既に何度目かもわからぬため息で無言の注意を促す。あの時と簡単に片付けられたが、男――…青年がノイズメイズと呼ぶその男は、見た目こそ人間であれそれこそ人外と呼ぶにふさわしい吸血鬼として生きる種族である。
青年、彼をノイズメイズは何故だか愛称としてサウンドウェーブと呼んでいるのだが、出会い方は其れはそれはもう物騒以外の何物でもない。

夕日の中一人で歩いていたサウンドウェーブの首根っこを後ろから掴み路地裏の暗い影に引き摺りこんで、普段は声もかけないのだが引き摺りこんだ相手が男だったものだから思わず「俺に捕まるなんて不憫な男だなぁアンタ、」そう声に出してしまったのだ。
一方引き摺りこまれたサウンドウェーブはというと数秒は非現実的な事件に巻き込まれた衝撃に見を固めていたものの、ある一点にその意識が全て持ってかれてしまったが故に首筋に迫る牙も厭わずぐるりと勢い良く振り返り、

「お前すごくいい声だな…!!」


いやいやいやいや。

そうじゃなくて、と過去のサウンドウェーブにツッコミを入れようとも彼はびくともしない。ノイズメイズとしてはこの邂逅を思い出す度にこの状況は何か違うと心底思っているのだが、如何せん爆弾発言をかました本人がノイズメイズを当たり前とように受け入れてしまっているのでこれがノイズメイズの悩みの種である。
なんであったばかりの男を、しかも首に噛み付きかけたやつと優雅にお茶にしけ込めるの、とか。どうして吸血鬼とかそういうのに突っ込まないの、とか。
しかしそれを考える度にこいつだからいいか、と思ってしまうのでノイズメイズも既に絆されてしまっているのは明白だ。
「お前のそういう優しいところが、あと、声がすごく好きだ。愛してる。」
そうはっきりと言い切るサウンドウェーブの表情に照れはなく、ノイズメイズとてそのような関係になりたくて物陰に引きずり込んだわけではない。
腐っても吸血鬼と人間、捕食者と食料の関係である。
ほかに友人はいないのか、いやむしろ顔はいいのだから恋人の一人や二人いたって可笑しくないくせに、ノイズメイズがやってくると信じ日没の時間にベランダでウキウキと待っている。ノイズメイズ本人もそれに甘えて毎回欠かさずその期待に応えている。普段はどうでもいい食料からのその日一日の報告と、仲良くする気満々な趣味や音楽について問われることも少なくない。
サウンドウェーブのノイズメイズに対するそれらはまるで今まで会えなかった時間を埋めようと言わんばかりの勢いで、それこそ本来ならば一夜の悲劇になるべきであったはずが異種間の交流になりつつあるのだ。

そして、もともと障害の多いこの関係にはノイズメイズも寛容できない重大な問題が未だ根を張っていた。


「…サウンドウェーブ、なんかつまめるの、ある?」
「ああ。簡単だけど昨日作ってた惣菜」
「なんでもいいや。」

突如口調が短くなった彼に、サウンドウェーブは気を悪くこそしていないが首をかしげた。ノイズメイズはそれ以上の詮索をせずお茶を入れようと立ち上がったサウンドウェーブの、後ろ向きで晒された―――…男の割には細く、生白い首筋に目を奪われた。


(ああ、これは、)

じゅわりと唾液が溢れ、音を立てて飲み込む。
この浅ましい音が彼に聞こえてはいないかと冷や汗をかき、しかし身体は正直で、一回でも意識してしまうとサウンドウェーブのどの行動もこちらを煽っているようにしか見えなくなる。
元々男同士だということ、そして友人以上恋人未満であることとサウンドウェーブの無防備すぎる信頼はこの時ばかりは毒にしかならない。
ノイズメイズとてこの貴重な友人のようで友人でない男に会えなくなるのは惜しいのだが、会いにいくと毎回この本能と直面するので、ノイズメイズはこのときばかりは吸血鬼であることを改めて突きつけられているのであった。

「…ノイズメイズ?どうかしたか?」

眉間にぐっとしわを寄せたまま見ていたらしく、振り返ったサウンドウェーブが問いかける。
ほんの少しかさついた唇が薄く開いて、なかから白いエナメル質がちらりと覗く。純粋なまでに彼を見つめる金色の目はさながらとろりと煌くシロップで絡められた砂糖菓子のようで、噛んだらあまい果実酒が入っているのではないかと考える。目玉すらも食べ物に思ってしまう自分に嫌気がさしたのだが、再度やはり、と。
(おいしそうだ)
紅い目が弧を描く。
ふ、と浮かべられたノイズメイズの笑顔に、サウンドウェーブも首を傾げつつも笑い返す。彼のごまかしの笑顔も、彼を好きだと愛してるという青年は受け容れる。


「なあ、サウンドウェーブ」

細腰をそっと引き寄せて、ソファに座る自身の膝の上へ向かい合うように座らせる。彼は驚いたようだったが、突っぱねることも嫌がることもしなかったのでぎゅ、と抱きしめてやった。
「隙ありすぎ」
そうかな、と冗談っぽくサウンドウェーブがくすくす笑う。芳しく香る甘やかなその首筋に顔を突っ込む。わあ、と気の抜けた悲鳴があまりにもサウンドウェーブらしく、ノイズメイズは苦笑混じりに囁いた。

「俺って吸血鬼なんだぜ?」
「ノイズメイズ、くすぐったい」

――…そんな無防備に笑ってっと、食べたくなっちまう。

首から顔を引いて見上げたサウンドウェーブはきょとん、と相変わらずの無防備っぷりで、和み、愛でたくなる気持ちの裏でああやっちまった、と後悔する自分がいる。
牽制のつもりだった。
お前のすべてが据え膳に見えると本人前にして言ったようなもんだった。
この一言で亀裂ができても、今ならまだ引き返せると暗に教えてやったつもりだった。
だが、しかし。
やっぱりサウンドウェーブは最高におかしなやつだった。

「…ノイズメイズになら、食べられてもいいよ」


ああ、神様。

この奇妙な友人が馬鹿みたいに可愛く見える俺はおかしさが移ってしまったのでしょうか。






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