初恋とそれに


 裏庭に植えてあった麻が揺れて、ふいに故郷の景色を思い出した。あの麻の葉は、まだ山にあるのだろうか。

 忍術学園に入学して四年目、俺は人生で最大ともいえる問題に直面していた。故郷に置いてきた幼なじみが、他の男にとられる可能性があることに気づいたのだ。そりゃ当たり前だろと笑われそうなもんだが、妙な話、幼なじみの静江は俺と夫婦になるもんだと信じ切っていた。静江が他の男のものになる可能性があるなんて、これっぽっちも考えたことがなかったわけだ。我ながら単純で馬鹿だと思う。

「留三郎、ぼんやりしてどうしたんだい」

 廊下の途中で立ち止まったまま麻の木を見上げていたら、裏庭を通りかかった伊作が声をかけてきた。落とし穴に落ちたのだろうか、泥にまみれている。といっても伊作が泥まみれなのはそう珍しいことでなければ、目立った外傷もないことだし、問題はなさそうだった。

「……なあ、伊作」
「なんだい、宿題なら僕もまだしてないよ。二年の綾部っているだろう、綾部が落とし穴をたくさん掘るから保健委員は大変だったんだ。宿題どころじゃないや」
「俺は宿題よりも大変な問題を解いてる最中なんだよ」
「どうしたんだい」

 保健委員の不運を嘆いていた伊作は、俺の言葉に声音を和らげて首をかしげた。俺が本気で悩んでいることを察したのだろう、優しいやつだ。

「嫁にしたいやつがいるんだけど、どうしたらいいと思う?」
「えっ!? そ、そんな相手がいるの留三郎!」
「絶対に俺の嫁にしたいんだ」
「うわあ情熱的。うーん、そうだなあ、まずやっぱり、彼女を守れるくらい強くならないといけないんじゃないかなあ。仲良くなって好きになってもらうのも大事だけど、好きになってもらうにはそれだけの魅力がなくちゃいけないからね。女性ひとり守れないような男じゃあ、好きにはなってもらえないような気がするし……」

 伊作は突然の言葉に驚きながらも、真剣に考えてくれた。その言葉は俺の単純な頭に突き刺さった。そうか、そうだよな、嫁ひとり守れないような男じゃ告白だってできやしねえ。もともと武術は得意だし、近ごろは鉄双節棍の扱いだって先生に褒めていただけたほどだ。この調子で腕を磨いていけば、忍術学園の忍たまのなかでいちばん強い男にだってなれるかもしれない。

「俺は強くなるぜ、伊作。ありがとうな!」

 そうと決まればさっそく特訓だ。強い男になって求婚してやる。

「あっ留三郎、宿題ちゃんとやるんだよー! 写させてあげないんだからねー!」

 ちなみにこのあと伊作は再び落とし穴にはまって宿題はほとんど手をつけられず、俺は俺で文次郎と勝負していたので宿題の存在をすっかり忘れ、翌日ふたりそろって先生に灸をすえられてしまったのだった。





 学園でもっとも強い忍たまになる、そう決めてから二年間は特訓の日々だったが、結果からいえばその目標は果たされなかった。そりゃそうだろう、武力だけで考えても俺たち六年生の実力はほぼ同等で、勝負して勝つこともあれば負けることもある。試験のようにはっきりと数字が出るわけでもない。一位になるというのが、土台無理な話だ。

 ではどうしたかというと、小平太と三本勝負した。クソ力を持つ小平太は、戦うには面白いが厄介な相手だ。こいつから二本取れれば充分に強いといえるだろう。文次郎とは日頃から諍いの流れから手合わせすることが多かったため、勝ったとしても強さに自信が持てないので却下だ。

「私に勝負を挑むとはいい度胸だな、留三郎! 全力でいくぞ!」
「おう、かかってこい!」
「もそ……もそもそ」
「ふたりとも、ケガだけはしないでおくれよ!」

 他の生徒を巻き込むといけないので、裏裏山の開けた場所で、長次と伊作立ち会いのもと勝負は行われた。長治には審判を、伊作には万が一ケガがあった場合に備えて立ち会ってもらった。
 これで勝てなければ、俺の実力はまだまだということだ。静江の隣に立つ資格は今はないということになる。だがここで負けるわけにはいかない、うかうかしてると静江が他に男にとられかねない。あいつは顔こそ平凡だが、中身はしっかり者で優しい女だ、嫁に欲しがる男は大勢いるだろう。もし縁談なんて持ち込まれでもしたら、それこそ円滑に進みかねない。
 このころにはすでに与四郎と出会っていたことなど知らず、俺は必死だった。

 必死に戦って、辛くも勝利をおさめた。次の長期休暇に帰ったときに、真っ先に求婚しようと決めた。

「いやー楽しかったぞ留三郎! またやろうな!」
「くそ……なんで勝った俺のほうが息切れてんだよ……」
「もそもそ、もそ」
「お疲れふたりとも、すごい迫力だったよ。ケガはないかい?」
「私は元気だぞ! まだまだ動き足りないくらいだ、せっかくだしランニングを――」
「もそ、もそそ」
「なんだ長次、ああそうか、そういえば試験前だったな。すっかり忘れてた!」
「もそもそ」
「よし、では学園に戻って校庭で少しだけランニングだ! それならいいだろう」
「もそ」
「体を動かすのは楽しいな! あっはっは!」
「か、勝った気しねえ……」
「小平太ってほんと底なしだよねえ……」

 しかし勝ちは勝ちだ。これだけの実力があれば、静江を守れる。拳を強く握りしめ、よし、とつぶやく。
 走って山を下りていった小平太と長次を見送り、歩いて学園へと戻る道すがら、先ほど転んだばかりの伊作が問いかけてきた。

「……それで、夫婦になろうって伝えるのかい」

 覚えていたのか。少し驚いたが、納得する。伊作はそういうやつだ。

「ああ。強いからって好きになってもらえるとは思えねえけど、何もないよりましだ。なにより守ってやれるしな。とりあえず気持ちをぶつけてみる」

 思えば一度も本音を話したことがなかった気がする。でもそういうのっていまさらだしな、という感じもする。このときいまさらだと思わずきちんと話し合いをしていれば、遠回りせずに済んだのだろうが後の祭りだ。

「留三郎、大丈夫だよ。恰好いいよ」
「そうか?」

 伊作が目をやわらかに細くした。

「うん。僕が転んだらすぐに手を差し伸べてくれるじゃないか、おまえのその手、すごく恰好いい」

 思わず自分の手を見る。まめが潰れたあとや古傷が残る手は、むしろ不格好だ。だが俺なりの努力がにじむ手は、自分でも気に入っている。この手で静江に触れたら痛い思いをさせないだろうか、その部分だけが気になった。

「留三郎の手は、いつだってひとを引き上げてくれるんだ」
 そんな手を持つおまえだから、大丈夫だよ。

 ひなたのような笑顔で告げられて、自信を持てないやつなどいるのだろうか。俺はうなずいた。
 ひとつき後、俺は村へ帰って静江に求婚する。たとえ静江が嫌だと言っても離さない。静江に他に懸想する男がいようと知ったことか。伊作が大丈夫だと言ってくれたこの手で、静江をつかんでやる。

 初恋に付随したままの感情は思いのほかずいぶん激しく、厄介なものなのだと知った。




初恋とそれに付随する感情・おわり

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