ドニー・ダーコに愛をこめて





自身の荒い呼吸と笑みの形に引き攣る唇を感じながらぼんやり目を覚ますと、何も変わり映えしないクリーム色の天井が見える。完全に日が昇って少し暑くなってきた部屋の気温を感じながら昴は布団からゆっくりと抜け出した。あくびをしつつ、体を伸ばして。特に何かをしているわけでもないのにごきりとなった肩をぐるぐると回して部屋の外に出る。静まり返った廊下を歩くと微かに軋む音がした。昴と同じように歳をとっていくこの家も、そろそろ微かにガタが出始めているらしい。それをなんだか悲しく思いながら居間へ。昴のために用意された少し遅い朝食をとるために足を運んだはいいが、食欲がないのはいつものことだ。自分に対する怒りや両親に対する不甲斐なさが、家族の団欒の象徴であるこの場所へ向かうと必ず蘇って昴の胃を重くする。一方で閉じた部屋の中ではそんなこともない。だが昴があえて自室に引きこもり、逃げようとしないのは両親が昴のことを責めるわけでもなく、同情するわけでもなく、ただ穏やかに一緒にいてくれるからだった。

「・・・相変わらず、お母さんのつくる飯はバラバラだな・・・」

温めて食べてね、とのメモ書きと一緒に、洋食なのか和食なのかいまいちわからないラインナップの朝食がラップをかけられて卓に乗っていた。苦笑しつつそれらを手に取って電子レンジの中へ入れる。ぶぅんと鳴る電子機器独特の重低音を聞きながら、冷蔵庫から牛乳パックを取り出して一気飲みをする。もともとあまり入っていなかったので直接口をつけて、飲み干した後は洗って折ってゴミ箱へ。

「・・・・・、」

牛乳、買いに行こうかな。とふと思った。ただ家にいるだけで、じっと過ごしている息子のために色々を気を配ってくれる母親のために。牛乳をよく飲む父親のために。そろそろスーパーも空いている時間帯だろうと時計をチラリとみて、電子レンジの中でゆっくりと回っている朝食を置いてまた自室へ。放り投げてあった財布と、ジャージを手に取って戻ってくると丁度チン、と軽やかな音を立てて程よく温まったところだった。





ジャージに着替えた。財布も持った。なのに玄関で立ち尽くしたままの昴の脳裏に浮かぶのは、知人に出くわさないかということだった。こんな昼間に菜月さんちの昴くんが、と両親の知り合いたちの噂にならないだろうか。学校もいかずに、だらしないジャージ姿で。どうせ同級生たちには会わない。皆学校に行っているからだ。ただ、父と母に降りかかるかもしれない想像上の妄想が怖くて、昴は未だにドアノブに手をかけられずにいる。たった一歩、たった数センチ手を伸ばすだけで外界へとつながる扉が開くと言うのに、ありもしない想像が完全に足を地面に縫い留めてしまった。

「・・・・っは、」

夜ならまだいい。深夜にバイトをしている知人なんていないし、コンビニやスーパーの店員も来る客に無関心だ。だから昴も何事もないようにいかにもそこら辺の一般人ですという素振りをして外出ができる。街灯がついてはいるものの辺りは暗く、通りすがる人の顔もしっかりとはわからない。明日も平日だし夜更かしをしている高校生なんてほんの一握りだろう。

そんなことをぼんやりと考えながら、微かに震える手を扉に向かってそっと伸ばした。金属の冷たい温度が手のひらに伝わって、でもそれをやけに冷たいなとは感じなくて、自分の手が酷く冷えていることを自覚する。荒くなりつつある呼吸は肉体の防衛反応だ。なさけない、と、昴自身を否定する非常な5文字が脳を埋め尽くしていく。

人格者で偉大な父と、穏やかで優しい母から生まれたこんな自分がなさけない。

「へ、」

外へ向かう。近所のスーパーで牛乳を購入する。「それだけ」としか言いようがないことすら出来なくなった思考に自嘲の笑みが漏れた。

これなら、と思う。今日の夢が現実になればよかった。昴が死ぬ夢だ。得体のしれない何かに追いかけられて、殺される夢。酷く辛くて苦しかったのに、なぜか夢の中の昴は笑っていた。泣きながら笑って、ああこれでやっと自由になれるのだとそう何かから解放されたような穏やかな思考で目を覚まして現実を見た。何も変わり映えしない毎日を覚醒した脳で受け入れて深く絶望した。菜月昴が「菜月昴」である限り、永遠に逃げ出せない今に喘いだ。

こんなこと、誰にも言えやしない。特に両親には、絶対に。

ぺたりと床に尻をつけて、蹲って顔を覆う。大声で泣き叫びたい気持ちにも関わらず涙は不思議と出なかった。カチ、カチ、と時計の針が静かに響いている音が聞こえる。時計ですら動いているのに自分のこの体たらくはどうだ。価値がない、ただ生きているだけだ。では一体どうすれば良いのだ。何を始めればいい。何をすれば昴は変わることができるのか、それはきっと、両親がそっと指し示してくれているはずなのだ。なのに、・・・。

どこかが麻痺したようになった体と感情を憎らしく思いながら、何もせずに、ただ何かが変わるのを、ありえないと分かっていても菜月昴は静かにそれを待ち望んだ。
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