白黒ノクターン

 今日も陽射しがきついようだと朝のニュース番組で聞いた。そんなことは私にとって、大して重要じゃない。大学4年の私には、「卒業論文の提出」という壮大な課題が出されているのだから。
 4年間も一人暮らしをしていると、完全に自立している気がしてくる。しかし実際は、バイトはしているものの親の仕送りをあてにしているのだから、やはり自分の考えは甘いんだと思う。
 付けたままだったテレビから、女の人の声が聞こえた。
「9時20分をお知らせします」
「ヤバイ!今日は二限からだった!」
 パンを頬張り、コーヒーを飲み干す。早く出ないと……万に一つ間に合わないかもしれない。
「うう〜……頼むよ、相棒?」
 自転車のサドルを撫でて愛車に跨がる。ここからなら、遅くても30分あれば大学に着く。いける。そう確信した私は、勢いよくペダルを漕ぎ始めた。


なんとか大学に到着し、乱れた髪をトイレで軽く直す。もし私が美術科でもあれば相当ファッションには気を使うだろうけど、幸い私は工学科。お洒落を気にする人なんてほとんどいないから、センスのない私としては大助かりだ。
「おはよう、ゆっこ。また自転車ぶっ飛ばしてきたの?」
「あ、ともこおはよう!そのおかげでなんとかセーフだよ」
 "ゆっこ"というのは、私のことだ(本名は月島雪子という)。
 親友のともこは、同じ工学科の4年で、卒論も一緒に仕上げようと思ってる。化粧をしなくてもすごく可愛い。
 話しながら廊下をぐだぐだと歩いていると、予鈴が鳴った。


「ゆっこ、今日の講義ってこれで終わりだっけ?」
 四限を終えたところで、ともこが話しかけてきた。
「そうだよー」
「一緒に買い物行かない?」
「ああ、今日ちょっと研究室いかなきゃいけないんだよね」
「そっか。じゃあまた明日ね!」
「うん、ごめんねともこ」


 買い物にも行きたかったけど、仕方なく研究室に足を向けた。講義室と研究室は棟が違う。というか、研究室は一つ一つ小屋のようになっている。
 教授はまだ来ていないようで、私は目についた少し汚れたソファに腰掛けた。
 ふと、目に留まった。"処分品"というシールが貼られた段ボールの中には、壊れたロボットが入っていた。見たところ、このロボットが動いたような感じはしない。きっと試作途中に壊れてしまったのだろう。
 私は勝手に触ってよいものかと思いながらも、研究室を片っ端から漁り始めた。愛着とはすぐにわくもので、このロボットを動かしてあげたいという衝動にかられた。
 昔から後先考えないタイプの私に、決断の時間はそうそう要らなかった。


 研究室ともあり、動かすために必要そうなものはだいたい見つかった。しかし、ロボットを作ったことなどあまりない。せいぜい授業で作る簡単なものくらいで、しかも私はグループの仲間が作っているのを見るばかりだったから、作ったことなどないに等しいものだった。
「ネットで検索でもしようかな……」
パソコンを起動してカタカタとキーボードを何回か叩くと、それらしい文献を見つけた。幸い講義は真面目に受けているので、操作は理解できそうだ。ついでに人工知能も組み込んでやろう。
 それから数十分後、とりあえず起動できそうな状態だったので[ON]を押した。
――ヴヴン……
「やった!ついたかも!」
しかし、今更気が付いた。何のために私はこのロボットを起動させたのだろう?数十分を無駄にした気がする。
そこへ教授がやって来た。
「おう月島、もう来てたんか」
「あ、はい……あの、勝手にそのへん漁っちゃいました。」
「なんで?」
「えっと、そこのロボットを起動させようと思って」
怒られるかもしれない。反射的に身構えた。
 しかし教授の反応は私の予想とは逆だった。
「なあ月島、どうやった?」
「……へ?」
 予想外の言葉に、変な声が出た。
「すごいなお前、俺がめんどくさくなって匙投げたようなやつを起動したん?」
壊れていたわけではなく、教授の面倒臭がりのせいでこのロボットは棄てられようとしていたんだ……教授を軽蔑した目で見てやった。
「で、結局どうやって作ったん?」
「覚えてません。パソコンの画面を見ながら無我夢中でやってました」
「は?そんな簡単な話ちゃうで?」
でもそれが事実なのだ。何も覚えていない。むしろ私が聞きたい。
「あーあ、作り方覚えとったら卒論として提出できたかもしらんのに」
それはもう少し早く教えてほしかった。
とりあえずロボットは私のアパートに持って帰ってきたけど、正直すごく邪魔だ。小脇に抱えることはできるけど、狭いアパートではかなりの範囲にロボットが鎮座する形になっている。
「もうちょい細くならないかな……」
 ――ヴヴン
……細くなった。勝手に。
「ちょっと右に動いてくれないかな……」 ――ヴヴン
 だんだん楽しくなってきた。
「料理してくれないかな……」
 ――ガガッ ピーー
 無理みたいだった。
「てか私、言葉識別するプログラムとか組み込んだっけ?人工知能は入れたけど……まあいいや。それより、直接話とか出来たらわかりやすいのにね。今度付けてあげようか?」
 ――ヴイイン
 何の変鉄もないただのロボットだけど、私には嬉しそうに鳴いているように思えた。


 しばらく話していて、気が付いた。明らかにオーバーヒートしている。「壊れる!!」
 そう思ったのも虚しく、ロボットは急に静かになった。そう言えば冷却装置をつけていない。
 ああ、ショートしたんだな……なんだか気が滅入りそうだ。気晴らしにコーヒーでも作ろう。そう言えばロボットに夢中で、昼御飯も晩御飯もまだだ。どうりで腹の虫が治まらないわけた。


 晩御飯を食べて根気よく待っていると、いきなり音を出し始めた。
 ――ピピッ
 突然、私が取り付けた小さな白黒ディスプレイに文字が浮かび上がった。
「かいじょコードにんしきにしっぱいしました?」
解除コード……何のことだろう。
 さらに文字は続く。
「にんしきにしっぱいしたので……このプログラムは、はきされます!?」
 いきなりすぎやしませんか?
 ――ヴイイイ……
「ちょ、ちょっとストップ!止まれ!」
 ――ピピッ
 またディスプレイに文字。
「ありがとう……ござい、ました?」
 最後の力を振り絞るように映し出された文字は、とても儚げに見えた。そのあと、ロボットはだんだん静かになっていった。
 私はずっと待った。再び起動するんじゃないかと思っていた。しかし、そのロボットは二度と音を立てることはなかった。
 私の頬を、何かが伝った気がした。それを両手で拭うと、私は立ち上がった。ロボットを解体し、部品を丁寧に外した。ただ一つ、ディスプレイを除いて。
 このディスプレイを、私は数年たった今でも持ち続けている。彼との数時間はあっという間に風化し、あのときのことはだいぶ忘れてしまった。ただ、この旧型のディスプレイは、私にとってとても大切なものだった気がする。
 彼はもう、教授に廃棄されてしまったのだろうか、それともまだ、次のマスターが見つけてくれるのを待っているのだろうか。そんなことも、今となっては考えても無駄なことなのだろう。
 今思うと、彼と私は似た者同士だったのではないかという気もする。特に理由はないけど、ただ何となく、そんな気がするのだ。
 たまに大学の近くを通りかかったとき、研究室はすごく小さく見える。たまに窓が開いていて、中から少し黒ずんだクリーム色のカーテンがひらひらと舞っているのが見えるとき、私はいつも彼の最後の言葉を思い出す。




「ありがとう」


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