第七話:無二の累卵








 梨由は嗚咽を漏らすこともせず、静かな涙を頬に幾筋も伝わせながら兄が残していった精液を拭き取っていた。


 絶対に越えてはいけない一線を、お遊びと銘打ちつつも越えてしまった。
 梨由は兄とのお遊びを始めたあの日に、計算をしてあったために知っていた、幸い今日は危険日ではなかった。
 鉄太と付き合い始めてからは一度も、危険日の計算などしたことがなかった。
 ティッシュに染みてゆく白濁液のように、梨由の心には背徳感が沁み込んでゆく、それはどうやっても拭うことができないものだ。

 日付はとうに変わっている、今日は何が何でも病院でアフターピルを処方してもらおうと梨由は心に決めた。
 念には念を……と思っている自分が、あまりにも浅はかだった。
 ふたりが愛しあうことは避けられなかったとしても、その愛の代償とも呼べる責任を新たな命に押しつけてしまうのは、あまりにも浅はかすぎる。

 武瑠は快楽に身を任せるように、お遊びだと割り切らせながら妹を抱く、まるで恋人のように。
 彼に抱かれている最中は、ほんとうの恋人同士になれたかのような錯覚に梨由も陥ってしまう。
 いけないことだと頭ではわかっていても、躰が兄を欲しがってしまう。

 もう、こんな危険なお遊びは止めようと、思うほどに涙は溢れて止まらなかった。
 自分で選んだ独り暮らしの部屋のはずが、知らない場所に置き去りにされた気分だった。
 幼い頃のような、兄とひとつのベッドでただ寄り添って眠るような幸福は二度と戻っては来ないのだろうか。

 好きになってしまったから、あの小さなあたたかさを失ってしまったのだろうか。

 「……っぐっ、う…っ」
 梨由は噛みしめたくちびるから、ようやく、嗚咽を漏らすことができた。
 涙は尚も止め処なく、ポタポタと落ちて皺だらけの布団を濡らしていった。


 好きで好きで仕方がないのに、好き過ぎて狂いだしそうなのに、不毛な関係でしかいられない。
 武瑠に優しくされるたびに、愛を囁かれるたびに、悦びに支配される躰のなか、心では漠然とした孤独が増してゆく。
 せきを切ったように泣き出した梨由は、自分の衣服から仄かな煙草の匂いを感じ取った。

 どうして、この匂いに安堵してしまうのだろう。
 兄がまだ近くにいるような、愛おしさを覚えてしまうのだろう。
 自分は今こんなにも、ひとりぼっちだと言うのに。


 薄暗い部屋の中で、煙草の匂いがする乱れた衣服に顔をうずめて、梨由は泣き声をひたすらに飲み下した。
 逃げる者も追う者もいない、おいかけっこはまだまだ終わってはいない。

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