第六話;異形なる親愛
「おはよう」
朝一番に、梨由へと掛けられた優しい声。
その優しさはまた一本、あたたかい針となり心をひやりと突き刺した。
アパートまで鉄太が迎えに来ることなど、今までに一度もなかった。
ぎこちなさを隠そうとするほど、余計にぎこちなくなっている気がしながらも、梨由は笑って「おはよう」と返す。
蒸し暑い日だというのに、身体の内側はひんやりとして、伝う汗は暑さによるものではなくその確かな冷たさからくるものだった。
「昨日、大丈夫だった?」
心配そうな問いかけに、鉄太からの不在着信があったことを梨由は思い出す。
同時に、DVDをレンタルしようと二人で選んでいたというのに、自分が彼にどれほど酷い仕打ちをしてしまったのかも、よくよく思い出せていた。
消すことのできない過ち。
兄と確かめあった、熱が背筋を這い上がる。
目の前には鉄太がいるというのに、躰は兄のぬくもりを、感触を匂いを囁きを、息づかいを、ありとあらゆるものを憶い出してふるえそうになった。
「昨日は……ごめんね?」
梨由は俯き加減に、謝る。
謝りながら必死になって言い訳を探す自分を、責めてばかりいる自分はうまい言い訳を思いつくことができない。
「いや、梨由が大丈夫だったんなら、俺はそれでいいよ?」
鉄太は安心したように微笑むと、それ以上は昨夜のことには触れず彼女と共に歩き出そうとした。
「朝から一緒に歩くのって、初めてだね?」
彼の髪を目映いほどの陽が照らし、梨由は眩暈を覚える。
胸の内で渦巻くこの罪悪感が、せめてもの贖罪になってくれるのなら――と、考えてしまう自分は最低の人間だと思うことで、梨由は崩れそうな自分を何とか保とうとしている。
「うん、そうだね」
未だ兄の記憶が全身を蝕んではいるが、梨由も鉄太と共に歩き出そうとした。
バス停までの道のりを、恋人同士で歩く、それは何もおかしなことではない。
こちらのほうが、日常なのだから。
「今日も暑いね」
「ほんと、やんなっちゃうよ」
と他愛もない会話をして、彼氏と寄り添い歩き出した彼女の背中へと突然、
「梨由」
いつも一番に聴いていたくて、今は一番聞きたくない声が掛けられたのだった。
「おはよう」
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