第十話:沈む細波








 残酷な別れ方をして、短く浅い眠りに就いた梨由は、夢を見た。
 とても優しくて美しくて、とても恐ろしくて汚らわしい夢だった。



 目映いくらいに感じる淡い夢の中、梨由は愛する人に抱かれていた。
 真っ白な、教会の床だと思われる場所にふたりが脱ぎ散らかしてあるのはウェディングドレスとタキシードで。
 うっすらとだけ、誓いの言葉を交わしたのだという感覚がつき纏っていた。

 彼女を抱いているのは、鉄太ではない、正しい恋人のはずの彼の姿はどこにも見当たらなかった。
 ここには“ふたり以外”だれもいなかった。


 「……お兄ちゃん……」
 梨由はか弱い声で、自分を抱いているひとを呼ぶ。
 夢の中でも快感はどこか現実味を帯びて、躰を責め立てていた。
 熱くなった子宮がどんどん疼いて、肌が濡れる。

 「言っただろ?もうお兄ちゃんじゃないって……」
 微笑みを落とし、武瑠は腰を動かした。
 「あ…っ、あ…っん」
 喘ぐ梨由は彼の言葉の意味がわからなかった。
 鉄太と別れられなかったことをなじり、恋人同士のように寄り添って眠りに就くことは赦されなかったはずだ。
 なのにどうして、兄は夢の中ではこんなにもあたたかく寄り添ってくれるのだろう。


 「おまえのお兄ちゃんは……死んだんだよ、もうこの世にはいない……」
 妹の頬を両手で包み込み、くちびるにくちびるを近づけた武瑠は囁いた。
 確かにそこにいるくせに、いないと言い聞かせる言葉の意味も梨由にはわからない。
 「あん…っ、……奥…っ」
 何もわからないままキスできそうな雰囲気に呑まれ、甘ったるい声を上げた。
 まるで現実で、兄としているような堕落した感覚。
 不埒な水音を立てて、深く結ばれている。

 「だから俺たちは結婚できたんだろ?」
 頬をゆっくりとさすると、武瑠は彼女が感じた奥を何度も突いた。
 「は…っあっ、ああ…っ」
 梨由の上げる嬌声は反響していた、不思議なくらいに透き通って聞こえる。



 「…――――――もうすぐ迎えに行くから、待ってろ」
 ふっとくちびるをやわらかくくっつけた武瑠は、怖いほどに妖しく口にした。
 吐息のような声に乗せて、愛撫のような視線を絡ませて。

 「海に消えたら迎えに行くから……」









 はっとして、梨由は目を覚ました。
 パジャマがぐしょぐしょに湿っている、汗だけではこんなに濡れない場所まで。
 心臓がおかしな速さで脈打っていた、兄の言葉だけがしっかりと耳の奧に残っている。

 「……お兄ちゃん……?」
 梨由は震える手を、傍らに置いてあったスマートフォンに伸ばした。
 妙な胸騒ぎがしている。

 二件、入っていた鉄太からの不在着信を無視した梨由は慌てて、兄に電話を掛けた。

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