an ax


 狂おしいほどに、貴方が好き。
 私のこんな想いに、貴方は気づいてくれますか?
 ――あぁ、貴方の両足が、無ければそばにいられるのに―――


 真夜中の高層ビル。その最上階で私は、今宵も見知らぬ誰かに抱かれる。
 「あッ…、イイっ…!」
 そんな声を出してみたり。
 「可愛い子猫ちゃん、もっと欲しいのかい?」
 そう言い私にまたがるのは、名前も知らない中年男性。高級腕時計なんかをつけた、いかにも嫌みなヤツ。
 「うん、もっと、して……」
 甘い声で私は、男に腕を伸ばす。男は高揚した顔を私に近づけてきた。異様な臭いが、鼻をつく。
 「おぉ、おぉ、可愛い、僕の子猫ちゃん」
 男は私に、激しくキスをする。私もそれに応え、舌を絡める。男は私に体を押し付け、私たちは交わった。ベッドも何もかもが乱れ、まるで波のようになる。
 私はこうして毎晩、違う男に抱かれる。それは全て、あの人のため。
 あの人のものになるため、いや、あの人を私のものにするため、私は毎晩自分のカラダを、売りさばく。
 これが私の運命なら、喜んで受け入れようと思った。


 あの人を初めて見たのは、同じ夜の街。
 私は両親の熟年離婚とそれまでの父親の暴力から、自暴自棄に陥っていた。
 そして自分を売り物にして稼ぐために、夜の街を徘徊していたのだ。恐怖や躊躇など、とうの昔に消えていた。自分などどうなってもいい、それしか頭にはなかった。
 夜の街には、自分のカラダを売る者もいれば、ドラッグに手を染める者もいる。ここには秩序なんてものはない、欲望が渦巻く混沌――。

 そこで、彼を見た。

 彼は私と同じように、夜の街を徘徊していた。
 周りの誰にも表現できない、悲しみのオーラを纏って。

 何とも言えない、美しい人だった。ラフな格好をしていたが、開いた胸元が妖艶な雰囲気を演出している。私は彼に、釘付けになった。
 私の視線に気付いたのか、彼はこちらを見た。視線と視線が、宙で交わる――――。
 すると、彼がこちらに近づいてきた。ゆっくりと、静かに。私までもが、彼の悲しみに染まる。
 彼は私の目の前に立つと、優しく私の頬に触れた。あまりの感触に、私は身震いをする。
 そして私に顔を近づけると、耳元で囁いたのだ。何とも言えない甘美な香りが、私を包み込む。
 「俺、仲間には手を出さないんだ……」
 優しく色気のある声だった。今までに聴いたことのない、懐かしい声―――。
 ふと、彼がわたしから顔を離し、瞳を見ながら、こう言った。

 「いつか、俺を殺してくれる?」

 と―――――。

 呆気にとられている私に微笑むと、彼は歩いて行ってしまった。例えようのない淋しげな笑顔を、私の心に残して。

 彼の言葉が、わたしの頭に響き渡る。
 ――いつか、俺を殺してくれる?――――
 なぜ私に、そう言ったのか?その意味なんて、到底理解できなかった。
 しかし、私はその時に、固く決心をしたのだ。
 いつか彼を、私が救い出そうと。
 彼を救い出すために、私は自分を犠牲にすると決めた。彼のために、私は悪魔になると。
 そして私は、また夜の街を徘徊した。高額で私を買ってくれるなら、誰に抱かれても構わなかった。

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