私はそれなりに地位のあるそれなりに名家の一人娘だった。そんな私には生まれたときからの婚約者がいた。まあ、それは仕方のないことなのだと思う。しかしその人物が問題だった。あの、有名な、チーシャンの領主の、ジャミルなのだ。ジャミルと二歳違いで年も近かった私は幼い頃よく彼と一緒に遊んでいたような気がする。当時の彼は優しくて暴力的じゃなくて人間を差別しないで扱っていた。今となってはそんな彼を思い出すことは不可能なわけだけれど。確実に私はそんな彼に惹かれていた。容姿端麗、優しい、お金持ち、正に完璧に近い年上のお兄さんに惹かれるのは自然の流れだろう。多分、私の初恋だった。彼も私のことが好きだったと思う。甘やかしてくれた。いつも一緒にいた。
しかしそんな彼は変わってしまった。それは“先生”という存在が来てからだった。両親を愚かな人間だと思い、奴隷を苛め抜くことがうまくなった。彼は、可笑しくなった。そんな中でも彼は私を愛してくれた。愛するということを忘れないでいてくれた。そんな彼を、私は今までと同じように好きだと云うことは出来なくなっていた。奴隷を殴る度、奴隷を蹴る度、奴隷を殺す度、血に汚れていく彼の手を見るのが嫌だった。淀んでいく目を見るのが嫌いだった。この恋心に、そっと蓋をした。
『…ジャミル』
「どうかした?」
『おやつがあるんだ!早く行こう』
「アリスは食いしん坊だなあ。そうだな、アリスがそう云うんだったら早く行こう」
奴隷を殴る手を止めて笑みを浮かべる彼を直視出来なかった。倒れている奴隷を見て心の中で謝ってからそっと目を伏せてジャミルの服の袖を掴んだ。彼の血に濡れた手に触ることは、私には出来なかった。

いつか神様になって皆を苦しめるわ
(どうか、誰か彼を救って下さい。彼が本当に独りになってしまう前に)

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