* * *



その日はいつもあるはずの鍵があるべき場になく、俺は無駄足を踏まされたことに多少の苛立ちを感じていた。
本来なら、鍵一本借りればいい話が、それがないのでわざわざある程度権力がある教師にまで事情を話してマスターキーを借りなくてはなからなった。そもそも、一生徒が簡単にマスターキーを手に入れることに問題を感じるが、それは俺が生徒会長やテニス部部長としての長年の信頼を勝ち得ているからだった。

6限目、レポートの授業で図書室を利用する生徒は少なかった。どちらかといえばパソコンの方が調べるのもまとめるのも楽だからだろう。俺はといえば、もうとっくにレポートを仕上げて暇を持て余していた。部活や生徒会の資料をまとめても良かったんだが、最近は部活に力を入れすぎていた所為かどうも気持ちが乗らない。
なので、時々立ち入らせてもらっている図書準備室へと向かうことにした。普通の生徒は入れないし、入ろうとも思わない場所だ。
とかろが、どうだ。



マスターキーを使って準備室の扉を開けてみたら、中に人がいやがった。しかも、よく見知った人物が、ふたりも。


「日吉に、苗字か」


ふたりして床に並んで座って、頭を寄せ合って眠っていた。近くに弁当があることから、まさか、昼休みからこのままってことなのだろうか。そのまさかだとしたらなんておめでたいヤツらなのだろうか。思わずため息だ漏れた。


高い本棚で囲まれた狭い通路、人が通れないようにわざわざ塞ぐ形で寝てやがる。それも幸せそうな顔をして。
日吉もこんな顔を出来るのかとふと思った。そもそも居眠りなんかするのか、と。
テニスをしているときは気を張っているのか基本的に無表情だし、しても小馬鹿にしたような生意気な表情だけだ。部室でも達観しているようにどちらかといえば聞き手側だろう。そんな奴だからこそ、こんな無防備なところを見ると、余計に幼く感じた。全く餓鬼だな、もうひとつため息をついたら、日吉が身じろいで目を開けた。


「弛んでんじゃねぇぞ、日吉」

「…え、跡部、さん」


一瞬、事態が理解出来ないと辺りを見回して、俺をみて、隣でもたれかかる苗字をみて、思い出したかのように目を見開いた。
そして、咄嗟に緩んだ顔をして未だに眠り続ける苗字を身体で隠した。


「…別に興味ねぇよ」

「…それもそれで腹が立ちます」

「……、面倒ぇな」

「なんでいるんですか、跡部さん」


それはこっちの台詞だ。きっと、なくなっていた鍵はこいつらの仕業だろう。


「お前らこそ、もう6限だぞ、分かってんのかよ」

「え、6、え、6限!?」

「…昼休みから寝てたのか」

「…すいません」

「まあ、別に部活さえしてりゃ、俺はなんとも言わねぇよ」

「はぁ、」

「ひとつ言うとすりゃ、ここで妙な気起こすんじゃねぇぞ」

「な、ななにいって!!」


なんともからかい甲斐のある後輩だ。すぐに真っ赤になった。
そしてこれだけ話していても未だ起きない苗字になんだか気持ちが削がれて読書をしようなんて気持ちが消えてなくなった。


「鍵はきちんと返しとけよ」


来たばかりの道を引き返して扉を閉めた。



* * *



頭を抱えた。跡部さんに見られた。いや、別になにをしていたわけではないが、見られてしまった。
普通生徒がやって来ない場所だからと油断していたのか、ぐっすりと眠ってしまっていた。腕時計に目をやると、成る程、もう確かに6限目も半ばの時刻だった。
変わらず眠る名前さんを見た。さっき、咄嗟に跡部さんに無防備に眠る名前さんを見られたくなくて庇った所為で彼女の身体はずるりと俺の腿辺りに倒れ込んでいた。これは所謂逆膝枕というやつだろうか。…確かに、なんだか、妙な気持ちになる体勢だ…。
まあ、ここまでぐーぐー眠られたらなにもしようがないのだが。


「…名前さん、」


呼びかけても起きない。凄い、なんだこの才能。大体、俺が眠ってしまったのも悪いが、名前さんまで眠ってしまうことないじゃないか。ふたりして眠ってしまうなんて、なんておまぬけな話だ。
空になった弁当箱が横でさみしげに佇む。俺の足の上で幸せそうに眠る名前さんを見た。俺とは全然違う、柔らかな頬に人差し指を突き刺してみた。ぷにぷにしてる。やはり全く起きる気配はない。


無防備すぎやしないだろうか。
今日だって、あんな風が強いなかに短いスカートで平気で出て行こうとするんだ。氷帝はもともとのスカート丈の短いデザインで。これ以上長くしろとは言えやしない。けれど名前さんの白い足が簡単にも世の中に晒されていると思うといい気持ちはしない。それなのに名前さんは下着まで俺以外に見せようというのか…!


ここの鍵は、最近図書室を利用しない俺達を見て、司書の先生が直々に貸してくれたのだ。
司書の先生は、図書室の怪奇本全て制覇した俺と、長い間放課後の図書室を利用していた名前さんを贔屓してくれていた。ところが、名前さんは部活が終わるのを教室、今ではテニスコート付近で待つようになったので、図書室はご無沙汰だった。

個人的に図書室を使った授業中に、司書の先生に「ふたりが図書室来てくれないと寂しいから」と鍵を手渡されたのは今日の午前だ。
有り難い話だった。中庭は過ごし易かったけれど、様々な理由で使えなくなることが多かったのだ。中庭が使えないとなると、仕方なしに校舎内を使わざるを得ない。名前さんといられれば文句はない、とは綺麗事で。
俺としては空気を揺るがすこともなく直接俺の鼓膜を振動させて欲しいと常々思っているくらい、ひとつも余すことなく彼女の言葉を逃したくないんだが。学食もどこも如何せん邪魔が多い。彼女の言葉を霞めさせるし、友人やら先輩やら後輩やらが声をかけてくるのが疎ましい。別に嫌いというわけでもなんでもないけど、名前さんといる時にはやはり障害となり得る(ニヤニヤしながら話しかけてくる忍足さんとか向日さんとか忍足さんとか忍足さんとか)。
これからくるであろう梅雨には、そんな日々が増える。この準備室は俺にとっての救いだ。



彼女の顔に掛かった髪の束を指で除けた。ふたりきりでいたい。ずっと思ってる。もう6限目もサボってしまおう。今更戻ったってどうにもなりやしないだろう。夏が近づけば、きっと一緒にいられる時間は少なくなる。更にいえば、今年が終わってしまえば、彼女は大学に行ってしまうのだ。学生として、ふたりで一緒にいられるのは今年が最後なんだろう。彼女は、分かっているのだろうか。

「名前さん」もう一度呼ぶが反応はない。名前さんがなかなか起きない人にしても、ここまで起きないのは珍しいことだった。俺と、ふたりきりだから安心出来たからとか、言ってくれたらこの一人取り残された退屈な時間だって許せる。きっと名前さんはそんな可愛らしいことは言わないだろうけど

俺は、普段自分の慣れない場所では寝れないし、ましてや人が来たら気配ですぐにわかる。それすら気づけなかった。自分でも驚きだ。何が原因でそうなったかとはあえては言わない。なんとなく悔しいのと、言わなくてもきっと、バレバレなんだろう。


伏せられた瞼に口づけてみた。眠っている彼女に一方的にというのは気恥ずかしいし、なんだか悪い気持ちもしたけれど。
早く起きてほしいという気持ちを込めてみた。


春はもうすぐ終わる。



グットバイ・マイラストスプリング

20100831
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