(side むかひ)

今日もいつもとなんら変わりのない部活風景だった。中学の時からほぼ変わりのないメンバーが春の終わりに近付くにつれて強さを増す日差しを背に黄色いボールを追いかける。
コートを取り囲む歓声も派手な部長のパフォーマンスも相変わらずであれば、長年を過ごしたチームメイトも慣れたとばかりの平静な態度。今年のなにが去年と違うのかといえば、こうして部活として活動するのが本当に最後というだけだ。毎年、惜しくも達成することの出来なかった悲願ともいえる、全国制覇。それを成すべく地区予選を控えた今、熱の入りようは凄まじいものがあった。

その中で、ほんの些細な変化ともとれるのは、うちの部活の、いや、学校の名物カップルと呼べる日吉・苗字だと思う。
まずことの始まりは若の調子がもの凄く悪くなったことからだった。
俺なんかは中等部から結構テニスの調子に関してはムラッ気があり、好調不調の波が激しかった。人間は誰しもそうだろうけど、良い時があれば必ずしも悪い時がある。けれども、それに影響されにくい人間もいれば、若も跡部や侑士みたいな自分のテンションに左右されにくいタイプだと思っていた。
けれどもなんというか、あからさまなくらいに上手くいってないことが目に見えていて、校内の練習試合でも若はボロ負けしてしまった。ぶっちゃけダブルス専門の俺にまでシングルスで負けてしまった。これは由々しき事態だった。
若はシングルスでは跡部、侑士に匹敵するくらいの実力だし、なにより次期部長とうたわれていたからだ。
氷帝ほど、部員の多い部活になると、実力がないものは上に立ことは出来ないし、いくら校内の練習試合だとはいえ、こういった些細な綻びから若の部長としての器は問われて疑われるのだ。現に、簡単に若の不調は噂のネタになっていたらしい。クラスのやつに聞いた。そんな中の俺に敗北、こいつは大変やばい。



若が中学で、跡部から引き継いで部長になった時にも同様のいざこざがあったので、これは早急に対処せねばと、若がグランドを走っている間にレギュラーメンバーに話を持ちかけたのは、俺だった。亮や長太郎は乗ってくれた、樺地も。ジローも眠らずに話をきいてくれた。だがしかし、跡部は勝手にさせろの一言で会議は締めくくられた。侑士に至っては進路の相談とかでまだ部活にすら来てなかったし。


なんて薄情なんだ!と、腸を煮え繰り返らせていて、若の件はもう俺がなんとかしてみせる!くらいの意気込みをしていたわけだが。走り込みの後、どこかへと長い時間いなくなっていた若が帰って来た頃には、先程までの不調やなにか喉に使えたような色をした浮かない表情もどこかへ吹き飛ばしたような清々しいものだった。

劇的なビフォーアフターに頭を捻るものの、いつもは気にしないコートを取り囲むギャラリーの一点を見つめた若の視線で全ての合点がいった。そこにあったのは、どこか予想していた通り、苗字がそこにいた。


これもまた、驚くべきことだった。他のやつらもそうだろう。あの滝も、驚いていたから。あいつらカップルは長いこと付き合っていて、仲がいいのにも関わらずどこか一線を引いてるような感じだった。いや、多分、一線を引かざるを得ない、というのが正しい表現なんだろうけど。どういうわけが、苗字は若の練習は見なかったし、試合にも応援に来なかった。若が、それを望んでるってきいて、全くおかしな話だと思ったんだ。
侑士がそのことについて「好き過ぎるってのも大変やなぁ」と零していたが、意味がよく分からないし。ただ、何となく、素直になりきれない気持ちだけは分かった。俺だって、好きなヤツの前では格好つけたいと思えば、どこかで無理をしてしまうし。それの延長なんだろうか。それが、あいつらカップルだと思うし、そういうもなんだと勝手に納得していた。


なのに、苗字が、テニス部を見に来ている!それも、清々しい笑顔で。若も若で、今までのあれはなんだ、と、問いたくなるくらいの快調っぷりに、開いた口が塞がらない。あいつらに何があったかは知れないが、まあそれが良い方向に向かうのなら、なにも言うことはない。

後日、あれから毎日若を見に来る苗字と、日に日に調子のよくなる(調子に乗ってる)若にリベンジのシングルスでボロ負けしたのには、それはそれで物凄く腹が立ったのは、別の話で。



今、部活前で早めに部室に来て、ひとりユニフォームに着替えてぼーっとしてた。掃除をサボったから、みんながくるまでにはまだ時間がある。こんなときに限ってジローは部室にいないし。

ふと、若と苗字のことを考えた。テニス部の中では結構重大な事件のうちのひとつであろう、中学部長引き継ぎ事件のことを思い出したからだ。

うちは元々テニス部は強かったし、有名ではあったが、ここまでのレベルにのし上がったのは俺達世代からだった。跡部の入部が大きな要因であることは明らかだった。
跡部に憧れてテニス部を志望する後輩が沢山いた。そんなやつらからすれば、きっと誰が部長を引き継いだって不満の種になるだろうことは目に見えている。なので、次期部長を誰にするかについては俺達は頭を抱えたものだった。長太郎じゃ優し過ぎるし、樺地は部長タイプではない。では他には誰がいるだろう、悩む俺達を尻目に、まだ準レギュラーで、しかもフォームをオリジナルのものに変える前の若を目に付けたのは、紛れもない跡部だった。
若は物静かだし、準レギュラーとはコートも部室も違うから、正直俺はピンと来なかった。だが、若はメキメキと力を付けたし、演舞テニスに変えてからはレギュラーにまで上りつめた。

跡部とはタイプは全然異なるが(派手なパフォーマンスとかは嫌がるタイプだし)、俺も若なら部長としてやっていけると思った、が。実際はそんな簡単な話ではなかった。
若の実力を知りながらも、跡部と比べて批判するやつはいたし、なによりも若が部長という座に納得出来ていなかった。

当然といえば、当然だろう。あれだけ、下剋上に燃えていたのに、それが叶わぬまま頂点の場所だけがぽっかりと明け渡されたんだ。若が、それに納得できるわけがなかったんだ。
俺達が引退してからというもの、上手く回らなくなってしまった。俺や亮は、お節介にも放課後に指導と称して毎日通ってはいたが、跡部は放っておけの一言。あの時はなんて薄情なんだ、と思ったが今思えば、跡部が出てなんとかしたんじゃ、今まで跡部が部長だった頃となんら変わりがなくなってしまうから、跡部はそうしていたんだけど。

普段と変わらないふてぶてしい態度を取りながらも、若が随分と疲れた様子なのが見てとれたので、俺と宍戸と滝とで若を励まそうの会を結成した。
放課後、部活が終わった後に自主練に励む若をメシにでも連れ出そう、なんて無計画に近いものだったが実行することにした。
男3人、いまかいまかと機会を伺いながら、壁打ちする若を影から覗き見る。とても怪しい。
タイミングを見計らう内に、若に近づく女子に気がついた。俺や宍戸は誰だか気がつかなかったが、滝だけはそいつを知っていた。誰であろう、若と付き合ったばかりの苗字だった。
若が3年と付き合っている、という話は聞いたことはあったけど、苗字をみたのは初めてだったし、言ってしまえばどこにでもいそうだと思った。
滝は同じクラスになったことがあるらしくて知っていたようだけど。

そんな苗字が、うまくいかない、苛立つ若に近づくのを固唾を呑んで見守った。
穏やかに見えて割と内面は激しい人間である若が、せっかく出来た彼女になんか言ってしまって関係が悪化したらどうしよう、とハラハラしたもんだ。ところが、展開は予想もしないものだった。

苗字が現れてからというもの、若はずっと俯いたまま、顔をあげなかった。若が俯いているなんて珍しいことだったので苗字はよっぽど怖い女なのかと思った。が、若の前で苗字は、若の頬を触って顔をあげさせた後に、手をぎゅっと握った。それは、恋人同士というよりは友達みたいな触り方だった。そして「私は、そのままのひよが一番好きよ。日吉くんなのが、一番格好いいから」そんなようなことを言った後、そのまま脱兎の如く走り去った。まるで嵐みたいだった、

しばらく呆然と苗字の去った後を眺めていた若と、そんな若を眺める俺達。予想外の展開にどうするか考えていたら、滝に肩を叩かれた。
「帰ろう、きっと、もう俺達の出番はないよ」そう言った。確かに、そうだった。若の雰囲気というか、まとう空気が変わったことに、誰もが気がついただろう。こうして、若を元気づけようの会はなんの活躍もなくひっそりと解散した。


翌日、部活で若は憑き物の落ちたような晴れやかな姿で現れたかと思えば、いつものように不満ながらに練習に参加する部員達に言い放つ。
「俺は確かに跡部さんとは違う。だからこそ、俺は俺のやり方で氷帝を全国制覇に導く。安心しろ、俺は不満ばかり口にするお前らの誰よりも、強い」そう言ったときの、意地の悪い笑みといったら。若はそれから、部員の誰と試合をしても負けなかった。跡部のカリスマ性とは確かに違うけれど、みんな若を部長と認めた。


若もすごかったけれど、あいつをあんなにもいい顔に出来る、苗字も凄いと素直に思った。


その後から、若と苗字が一緒にいるところを頻繁に見かけるようになるのだが、そのときの若のふにゃふにゃな具合といったら言葉が出なかった。あいつのことだから、素っ気ないんだろうという予想は見事に裏切られる、ドロ甘っぷりは瞬く間に学校中に広がることになる。
なにはともあれ、若と苗字はお似合いだというわけだ。




「お疲れ様です、向日さん」

「なんや早いなぁ、岳人」

「おお、お疲れ。侑士に若」


そこまでひとしきり思い出したころに丁度、若と侑士が部室にやってきた。
この二人の組み合わせで思い出してしまうのも、やはり苗字だ。つい先日まで、若と侑士はお互いに挨拶程度にまでしか口をきかないくらいぎくしゃくしてたが、その原因はやはり苗字だろう。それしかないだろう。


鞄をロッカーにしまい、早速ユニフォームに着替えながら雑談を交わす二人を見て、また元通りになってよかった、と思う。ふたりのダブルスパートナーを勤めた俺にしてみれば、ふたりが喧嘩するのはいい気がしない。


「本当、よかったよ」

「?、何がです」

「いや、お前らふたりが仲良くなって」

「別に仲良くないですけど」

「…日吉は相変わらず辛辣やなぁ。あれやで、喧嘩しとった訳やのうて、ただ単に日吉が俺に嫉妬してたんやで」

「誰がですか」

「ホンマのことやん」


確かに、侑士と苗字は同じクラスに何回もなったことがあるらしくて、しかも今も同じクラス。割と仲良いらしくて若が心配するのも分かる話だ。



「でも、もういいのかよ。若が会えない間、クラスで侑士は苗字と一緒なんだぜ」

「がっくん引っかき回すようなこと言わんといて。こいつホンマに目怖いんやから!」

「まあ確かに、腹立たしい部分もありましたが、もういいんですよ」

「もういいって?」



あのドロ甘っぷりをみる限り、他の男が苗字に近づくのをあからさまに嫌がっている。例えそれがテニス部員だろうと。なんでだろう。やっぱり取り持ってくれた侑士は特別なんだろうか。
俺のそんな疑問を読み取ったように若はニヤリと笑った。

「名前さんがね、言ってたんですよ」

「なんて?」

「忍足さんは話し方も的確だし、冷静だし、相談事も頼りになる」

「え、信頼されてんじゃん侑士。それでいいのか若」

「まあ信頼されてまうのはしゃあないわなぁ。あれやろ、親友みたいなもんやね」

「そうですね、ある意味、親友でしょうね」

「?、ある意味」


「名前さん、忍足さん頼りになるお姉さんみたいだって言ってましたから」



若は堪えきれない、と言ったように笑いながら言った。俺も吹き出して笑った。侑士だけが、あからさまに肩を落とした。



とあるカップルについての考察


「ええわ、こうなったら日吉なんか及ばんほど苗字と女子として仲良うなったる!」

なんて訳のわからない意気込みを見せる侑士は置いておいて。若が元気になって良かった。
これからも、このお騒がせなカップルをひっそりと見守っていこう、と俺はひとり思うのであった。

20100726
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