久しぶりに夢を見た、彼女の夢だった。中学の卒業式で最後に見た時よりもその姿は心なしか幼く、俺の隣を歩いていた。隣というよりは、厳密に言うと半歩後ろを小さな足で追いかけてくるような、そして俺の服の裾をそっと掴むような、そんな感じだ。俺の名前を呼び、ちょこちょこと駆けて寄ってくる。俺はそれに対して歩調を緩め、受け入れる。そうしてやると、彼女は年齢よりも幾分か幼く見える笑顔を見せた。再び、俺の名前を呼ぶ。そこで俺は、ああ、これは夢だとはっきりと意識する。まだ、彼女が俺の傍にいた時の淡い記憶だ。記憶の軸を辿る夢なのだと気づかされた。気づかないで浸れればいいものを、彼女の無邪気に向けられる俺への笑顔が、今目の前の出来事が現実でないことを嫌でも俺に知らせる。


(そうだ、もう、ずっと見ていない)


情景は蒸し返るほど暑さと緑の濃い青い夏。俺達はそんな中をわざわざ歩いて帰っている。木陰を探してその下を通って。汗ばんだシャツが張り付くのが不快だと言ってまた笑う。何故そこで笑うのかなんて疑問はとうに失せてしまった。こいつはなんでだって笑うんだ。いつだって、笑っていた、(そう、あの時までは)。

ジージーと蝉が鳴く。その音ばかりが妙に生々しく頭に響く。「ねえ」ふいに思いついたように彼女は声を上げた。「なんだ」「ねえ、初めて会った時のことって、覚えてる?」、そんなこと、当たり前だ。
昔のことだが、夢の中だって、現在でだって、昨日のことのように思い出せる。当然のことだった。なんでわざわざそんな事を俺に問い掛ける意味がわからなかった。ひとつの不安が過ぎった。「…お前は?」彼女はすこし考えるような素振りを見せた。記憶の糸を手繰り寄せる時の繊細な仕種とは到底思えないようなものだ。「…それがね、どうしても、」彼女は言った。たかだかその一言が、俺を苛立たせた。俺は覚えてるというのに、彼女は忘れてしまっている、ふたりが会ったあの時を。
なんて女々しいことだとも思う、たかだか出会った時だとも。なにせふたりは随分と幼かったし、もう何年も昔のことだ。言い換えればいつと分からないときからふたりでいると言えば、そちらの方が美しいかも知れない。だが、どうしても俺だけが覚えているということが、何故だか許せなかった。

あの時の俺は、この感情に名前があることを、知らなかった。



「俺も、覚えてない」



そっか、と言った彼女はどこか寂しげで、そしてまた笑った。そんな顔をさせたのが俺だと思うと心底腹立たしくなる、俺自身にだ。こいつの前ではいつもうまく立ち回れない。うまいことを言ってやれない。どうして忘れた振りなんかしたんだろうか。ちゃんと、素直に覚えていると言ってやれば良かったんだ。
ジージー、蝉が鳴く、一層大きく声を張り上げた。渦を巻くようにその声はすべてを飲み込んだ。俺をみた彼女が口を開くが、その声は掻き消されて聞こえない。唇が形を変えるけれども届かない、聞こえないんだ。唇の動きが止まり、そして彼女はゆっくりと微笑む。それがなんの意味を持つのかは俺には分からない。距離がもどかしい。こんなに近くにいるのに。(いたのに)。
どこからか吹いた風が彼女の氷帝学園中等部の制服のスカートを揺らした。歩き出した彼女を見て、引き止めたい気持ちでいっぱいになる。このまま歩き続ければ、どうなってしまうのかを俺は知っている。彼女は失われてしまうのだ、俺の元から。いや、本当に失われてしまっているのなら、きっとこんな夢を今更見るはずもないのだ。けれど、その時の俺は知る由しもない。ずっと続くと思っている、俺の隣には必ず彼女がいるものだと思っているのだ。でも、どうして、彼女が離れてしまうことが想像出来ようか。

そうして、俺と彼女は歩き始める。あの夏の日からゆっくりと。もう戻らない夏の日を。



* * *



目が覚めた。
しばらく自分が目を覚ましたことに気がつかないほどに、急激に与えられた暴力的なまでの目覚めだった。現実に無理矢理引き戻された。じっとりと汗をかいている。鎖骨の窪みや額に汗が流れるのを感じて不快感が込み上げた。雨に濡れたみたいな汗だ、そう思ったところで窓の外からパラパラと水の粒が零れる音がしていることに気がついた、雨だ。通りで息苦しいまでの圧迫感と頭痛がするわけだ。低気圧の所為だ。だからおまけに、夢見まで非常に悪かったのだ。


ベッドから降りて一息ついた。そうだ、夢を見た。既に曖昧になりかけているその様子を思い出した。そして思い出してぞくりと身体の芯の部分が震えた。それは汗が冷えたからかそれとも別の理由からか、はたまた両方の要因によるものなのか。逡巡する間もなく想像するに難くない。朧げな夢を追う、いや、あれは夢と言うよりは過去の情景だ。確かに覚えていた。中学2年の夏だ、ふたりが最後に過ごした夏だ。その時の様子を今の俺が見ているといった夢だった。だから夢にしては恐ろしく生々しく、今年はまだ来ぬ夏の匂いが未だに鼻腔に張り付いていように感じられた。夢というにはリアルすぎる、だってまだ梅雨入りしたばかりだ。


外を見て、降り注ぐ雨を眺めた。もう雨が降り続けて3日目になる。飽きることなく雲は世界に覆い被さり太陽は見えない。たかだか3日でも、テニスをしていないとなるとそれは一週間にも一ヶ月にも等しく感じる。部員たちの、特に傲慢で我の強いレギュラー達のストレスが上昇しているのは火をみるより明らかだ、いい加減晴れてくれなければ言われのない批難を俺が受けることになるだろう。跡部グループの力で天気を操る機械を造れ云々とむちゃくちゃなことを言うやつだっている。そんなお伽話みたいなことを真剣な顔をして言うもんだから端から見たら笑い話だ。今度あいつにその事を話してやろう、そうすると、笑って「でも本当に出来ちゃいそうだよね」なんて彼女までそんなことを言うのだ。そう考えて、自分の失態に気がついた。ああ、そうだ、もう、あいつは俺の傍にいないのだ、と。こんなくだらない日常を話すことなどもうないのだ。
俺からは失われていた。なのに完全には失われない。こうして不意に足元からはい上がるようにして迫りくる。


夢に毒されたようだった。もうずっと考えることをやめていた(やめようとしていた)彼女の姿が鮮明に瞼の裏にちらつく。小さな身体に柔らかな眼差し、彼女と離れてもう2年になるが、いつだって忘れられはしない、いつだって傍にいた彼女。しかし、あんなにも笑っていた印象だったのに、今となって笑顔は思い出せやしなかった。夢で見たばかりの笑った表情も、もはや朧げで曖昧だった。最後にちゃんと向かい合った時の俺を責めるような同時に怯えるような目と、泣き顔しか思い出せなかった。あんなにも笑ってばかりのやつだったのにだ。こんなに簡単にも忘れてしまった。写真などを見ればた易いかもしれない、だがそれはどうにも出来なかった。勇気がないとなれば、なんとも情けない話だが、事実だ。例え夢であったとしても、久しぶりに見た彼女の笑顔はまるで太陽のように眩しい、眩しい故、俺は目を曇らせた。


駄目だ、ズキズキと頭が痛む。こめかみを押さえてなんとか痛みをやり過ごすも、それは慢性的な疾患のように巣喰っている。雨の日にはどうにも弱い、何故だかは考えずとも分かっている。痛む頭を抱えて、タオルと制服を持ってバスルームへと向かう。こんなにも制服が重いと感じるようになったのは、いつからだろうか。



* * *



学校に着いても空は相も変わらず雨模様でそして頭痛は酷くなるばかりだった。雨は世界の色を洗い流してしまったようで味気なく色気ない景色がずっと広がっていた。全てが均一で全てが同等だ、何もなければ何も感じない。何かに傷つくこともなければ何にも感動しない、これが良いことか悪いことかははっきり言って、分からなかった。

テニス部は全国大会へ駒を進めた。高等部の2年になり、1年には樺地や鳳、日吉など中等部のときに共に戦ったメンバーが集い、昨年も逃してしまった全国制覇への大きなチャンスとなる大事な時期だった。泣き通しの空への不満への理由は部員の少しの焦りもあるのかもしれない、それもそうだ。俺たちはずっと、同じ夢を見続けてきたのだ。それはテニス部だけではない、氷帝学園全体の悲願であった。そう、あいつだってそれを望んでいた、そのはずだった。


俺がイギリスでテニスをしていたことをあいつは知っていた。スクールや大会でのことを手紙や電話で話していた。彼女もテニスを見ることが好きだったこともあり、強豪の氷帝へと入学していた。日本に戻る時、彼女と同じ学び舎を迷うことなく選べたのは有り難かった。俺が勝つと彼女はとても喜んだ、俺自身の勝利への執着と共に、そんな気持ちも少しあったのかもしれない。しかし、彼女は今やもう、氷帝にはいないのだ。外部進学をしていた、高等部の入学式には彼女の姿はなかった。

テニスに対する情熱は変わらない、試合に臨む気持ちも勝つことへの拘りも。しかし、戦いが終わると観客席に、彼女の姿を探してしまう自分がいることも気づいてしまっていた。全身に浴びる歓声の中に、彼女の、控えめに俺を呼ぶ声を、求めていた。そして、いるはずがないことを思い出してはあの日の、俺が泣かせてしまったあの日の彼女を思い出す。そうだ、まるで雨の様にないてぐしゃぐしゃだった、だから雨は嫌いなんだ。



手のひらから簡単にこぼれ落ちてしまう雨粒、薔薇色に染まっていた頬を濡らした涙、ふたつを結びつけることなど安易でしかないはずだ。しかし記憶の糸は簡単にも沈めた記憶を引きずり上げた。しかも狙って、泣き顔ばかりだ。本当はもっと笑っていたはずだし、表情のころころ変わるやつだったから、もっと沢山の顔を俺は知っているはずだ。しかし俺の中の彼女は泣いたまま、止まってしまっている。
きっと現実ではそんなことはないはずだ。相も変わらず無駄に笑っては幸せそうに頬を染めているのだろう。泣いている訳がないのだ。だって彼女を泣かせたのは俺自身で、そして俺と彼女は今は離れている。彼女が泣くのは俺の事ばかりでだった。俺がイギリスに行く時、たまに帰国してはまた離れてしまる時、一緒に氷帝に通えることになった時、中学1、2年の頃氷帝テニス部が負けた時。そして、俺を拒んだあの時。泣いているはずがないんだ。それなのに、俺がいないのに笑っている彼女が存在していることが、うまく想像出来ない。ましてや、泣いていればいいなんてどこかで思って、いる。



今日はどうしてこんなにもあいつのことばかり思い出すのだろうか。
放課後、未だ泣きっ面の空に目を向けた。生徒会の会議で幾分か部活の開始時刻に遅れてしまった。校内に生徒はほとんどいなかった。こんな雨の日にいつまでも残る物好きは殆どいない。部活に所属している者はそれに足早に向かい、それ以外は家路についたのだろう。

梅雨の匂いは濃くなった。天照大神は岩戸に隠れ閉じこもってしまったのだろう、分厚い雲は何もかもを隠してしまう。夢で見た、むせ返るような緑の匂いは欠片もない。
あの時は二人はなにも知らない子供だった。永遠にあのままでいれたら良かったなんて思ってもいないが、せめてもう少しだけでも続けば良かったとも思う。そう、せめて、彼女への気持ちが何なのか、気づけるまではそのままで。そのままでいられたら、もしかしたらふたりは違わなかったかも知れなかった。たら、とか、れば、だらけの希望的観測にしかすぎないが、考えてしまう。もし、俺が彼女に抱いていた気持ちが妹を思うような庇護欲でもなければ、心良き友人への親愛でもなかったことに早くに気がついていれば。もっと違う道があったのでは、と。
あの日、俺が彼女を傷つけたあの日に、彼女が俺ではなく他の男を選んだ事に対しての激情を上手く昇華出来たのかもしれない。あの時無意識に彼女を押さえ付けて、彼女にキスをしていた。無性に腹が起った、小さな頃から彼女を知っていてずっと俺の後ろを付いてきた小さな女の子。その女の子が別の男のものになるなんて、俺以外の隣にいるなんて、考えたら行動せずにはいられなかった。彼女に泣いて抵抗されて、初めて自分がなにをしでかしたか気がついて、そして彼女が俺から離れて初めて彼女への思いを、自分の愚かさを、知った。


もしくは、今こうしていること自体が夢なのかも知れない、頭痛が酷い。もうずっとだ。制服が重い、ユニフォームが重い。そう、重い。言葉には出さないが、忍足は気づいているだろう。奴だけではない、滝や、向日、宍戸あたりも何かを言いたげにこちらを見ている時がある。樺地は、あいつは良くも悪くも知りすぎていた。彼女のことも俺のことも。知っているからこそ、樺地もなにも言わないのだ。誰も何も変えられない、もし、変えられるのであれば、俺か、彼女しかいないことを。




止まない雨音。

部室へ向かう。黒い傘を広げた。
彼女のことを思った。ずっと守りたいと思ってきた彼女。今でも思っている、もし今もこの雨空のように泣いているのだとしたら、守るという体のいい口実で彼女の傍にいられるのだろうか。しかし、今の俺にそれが出来るのか。彼女のいない2年間で俺は完璧であり続けた、生徒会長として、部長として、テニスプレイヤーとして、跡部家の人間として。中等部に来た時のように、俺に不満を抱いて楯突くような人間はもはやいなくなった。そういう人間を認めさせる人物に、俺は近づいているんだろう。
氷帝中の人間の期待を背負い、跡部財閥の跡取りとしての道を歩み続けている。すべては順調だ、何も間違ってはいない。テニス部は今が大事な時期だ、迷ってる暇も止まってる時間もない、それでいい。

彼女はいなくなってしまった。俺を避けて、拒絶した。そうされてしまえば、俺は何も出来なかった。考えたら、彼女はいつの間にか俺のそばにするりとやってきて、余りにも自然に俺の隣にいた。
昔は放課後、部活が始まる前の時間にやってきては他愛もない会話をした。そのまま部活を見学していくこともあったし、先に帰って俺の家でくつろいでるなんてこともあった。俺も何度も彼女の家にお世話になった、家族ぐるみでの付き合いだった。例えば男女での幼少の頃からの付き合いが、ある程度の年齢になると疎遠になるというのもあるかも知れないがそんな事は一切なかった。あまりにも自然すぎたのだった。

彼女から離れてしまえば、俺には術が失われてしまった気がした、そんなことはないはずなのに。どうとでも出来たはずだ、拒まれても、きちんと真っ直ぐ向き合えたら。しかしそうはしなかった。彼女の泣き顔が、俺を見る怯えた目がまた向けられてしまうのではないかと思うと、何も出来なかった。彼女が傍にいなくても時は経って季節は過ぎた。彼女は氷帝学園中等部を卒業して、どこかの公立高校に進学したと聞いた。

もう2年にもなる、彼女のいない2年は、あっと言う間だった。




雨は変わらず降り続く、息苦しい、雨が弾む音がずっと鳴り響いている。人は疎らで、いつもは聞こえる部活動に励む運動部の声が聞こえないと余計に人の気配は乏しくなる。
部室では俺の到着をレギュラー達が待っている、言われる文句を少しでも軽減すべきと足を速めようとした直後、目の前に一人の女がいる事に気がついた。


氷帝の生徒ではない、見知らぬセーラー服だ。全てが灰色にくすんだ景色の中、鮮やかな青い傘がやけに鮮明に浮かび上がっていた。顔は傘に隠れて見えない。
何故だか傘を握る手に汗が浮かんだ。テニス部部室を向いていた女は、セーラー服の裾を翻し、こちらを向いた。

顔が見えた、一瞬、雨音が止まった気がした。
彼女、だった。顔は少し大人びた、記憶の中の泣き顔よりも。しかし、髪型は変わらずあの時のままだった。俺の知らない格好、成長した姿、でも、彼女だ。変わらない髪、思い出の中の彼女と今現実にいる彼女が短い間で錯綜して、俺の思考も停止した。


どうして、だとか、なんで、だとかそんなことを考える間もなく視界に映る彼女の顔がくしゃりと歪んで、鮮やかな青が投げ出されて崩れるように駆け出した。「・・・っ跡部くん!」


懐かしい声、雨音にかき消されない、どんな歓声の中でも見つけてしまう響きだ、変わらない。俺もいつの間にか傘を放り出して、駆け寄った彼女を抱きかかえた。小さな身体だ、前よりももっと小さく感じる。彼女を、抱きしめた。夢ではないだろうか、いや、それとも今までが長い夢だったのかもしれない。感触がする、匂いがする、ああ、慢性化した雨に濡れてあっという間に身体は凍えるが、腕の中の彼女だけが温かく、それが本物の姿だと教えた。幼い戯れで触れ合うことはあっても、こんなにキツく抱きしめたのは初めてだった、なのに、あの夏のように酷く懐かしかった。
遠慮がちに、なにかを探る様に「跡部くん」と彼女は言った、しかし、そうではなかったはずだ。
些細なことだった、全部。ふたりが違ってしまったあの道、それまで彼女は小さな手で俺の背中を支えてくれていた。氷帝のテニス部の、生徒の期待を背負う事は誇らしく、その中に彼女もいることが嬉しかった。彼女がいるだけで俺は強くなれた、俺が勝っても、・・・そうならなくても、俺が俺であるだけで幸せそうに笑ってくれた。それがどんなに、どんなに必要だったのかなんて、ずっと知っていた。
俺の背中が好きだと言ったアイツに対して、どうして自分自身の気持ちに気づかずにいられたのだろうか!こんな気持ちが、妹や心良き友人への想いな訳がないのに!


雨が降っている、泣いている、びしょびしょで分からないが彼女も。自分もみっともないくらいに濡れている、そして心はかき乱れている。
まるであの日の続きだ、最後に見た泣き顔にそっくりで時間が引き戻されたかのようだ。しかし、もうあの時とは違う、俺はもう分かっているんだ、だからそんな、記号みたいに俺を呼ぶんじゃねえ。お前はそうだった、ずっと。氷帝学園の生徒会長でも、テニス部部長でも、跡部財閥の跡取りでもなんでもない、そんなことより前から傍にいた俺のただ一人の。



「…景吾くん、」



名前。
ああ、そうだ、名前だ。
いつもそうやって呼んでいた。長い事失くしてしまっていた彼女が戻ってきたんだ。忘れた振りなんて出来るはずがなかった。存在を確かめるように、名前を感じる様に触れたら、名前も応えるように抱き返した。
ずっと思っていた、どうしてあの日、あんな事をしてしまったんだって。しかし後悔などは出来なかった、何故ならそれは遅かれ早かれ起こるべくして起こった事だったからだ。きっかけはどうであれ、名前への気持ちを誤摩化すことも見て見ぬ振りをする事も出来る訳がない。雨に濡れた名前と目が合った。本当は名前と会ったら言いたいこととか、沢山あった気がしたが、どれも今は相応しい気がしない。頬に触れたら、言葉なんかなくても自然と引き寄せられるようにキスをしていた。
名前が何も言わなくてもそれだけで、全てが分かった気がした。お互いが、お互いを求めていたんだ、ずっと。


雨はまだ止まない、しかし少しずつ世界に色が戻る様に、泣いている名前の頬や目の淵の赤みが鮮やかに見えてとても愛しかった。でも、俺がみたいのはそんな顔じゃなくて、もっと。


「笑って、名前」


そうして頭を撫でたら照れた様にはにかんだ顔。
その時ふと、お前が覚えてなかった出会った時の話を今度してやろうって思った。あの夏の日と同じ、緑の濃いとある日の事。俺の家をお城みたいってといって喜んでいたあの時のお前。あまりにもこちらをじっと見つめるものだから使用人に言って招いてやった。気まぐれと言えば気まぐれだったのかもしれないが、もしかしたらあの時から名前の笑顔を望んでいたのかもしれなかった。そう教えてやれば、お前は喜ぶだろうか。

いつの間にか長い事悩まされていた頭痛も消えて、ああ、長かった雨はもう終わるのだろう。彼女は厚い雲すらかき消してしまうほど、俺のそばで笑ってくれるから。




太陽を探す旅

でも、やっぱりこれだけはちゃんと言葉にして言いたかった。
ずっと、好きだった、名前。俺だけの、太陽。

201401006



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