※大学生設定

※お酒はハタチになってから





暑い。梅雨はもう迫り来ていて、じわじわとした暑さは汗を滲ませた。あつい。むせるような込み上げた雨上がりの空気はとても息がしづらかった。どんよりとした泣き出しそうな灰色の空は全ての星をこの世界から隠した分厚い膜だ。
背中には私と同じくらいの熱があった。さっきまでいた居酒屋の、煙草とお酒の匂いと、滲んだ汗。随分と細身に見えた身体も、ずしりと重かった。


「仁王くん、大丈夫」


うんー、と語尾の伸びた頼りな気な返事がした。大丈夫ではないようだ。あつい。息がしづらい。仁王くんの腕がまわされた首はじんわりと汗をかいていた。いわゆる肩をかすという体勢で、雨上がりの人通りの少ない夜道を、何故私は仁王くんと歩いているのだろう。歩くといっても仁王くんの歩みはあまりにも拙い。幸村くんの共通の友人として彼に出会って、ずっと片思いをしている私にはこの状況は地獄のようだ。
珍しくふらふらになるまで酔ってしまった仁王くんを、家が近いという理由で私に送るように命令した幸村くんは、お節介でとても意地悪だ。せめて、タクシーでも使わせてくれれば良かったのに。タクシーに乗るならタクシー代は自腹、そんなのしがない学生にしか過ぎない私は無理に決まっているのを、幸村くんは知っているのだ。だって、歩いて15分に距離なのに、わざわざ700円も払うなんて馬鹿らしいではないか。学生の一人暮らしをなめきった発言だ。金持ちめ。実際に言えなかった言葉を頭の中で反芻した。意気地無しなのは知っている。

半ば引きずりながら仁王くんをなんとか歩かせた。
女の子にだってそりゃ勿論性欲だのなんだのはあるわけで。熱い身体をした仁王くんがこんなにちかくにいて、仁王くんの匂いがこんなにちかくにあって、ドキドキしないわけがないのだ。熱い。仁王くんがいるからみっともない姿は見せられないと我慢して控えたお酒も、仁王くんのアルコールで酔ってしまっては意味がないのだ。

じんわり、泣き出しそうな空を見上げた。せめて月が出ててくれていれば良かったのに。
よろめいた仁王くんの身体を支えて、不意にかかった仁王くんの熱の篭った吐息が首にふれて、じんわり。なんて熱い夜なのだろう。


意気地なしな私は健気なふりをして仁王くんを家まで送りとどける。いっそのこと、雨がふればいいのに。



アメアメフレフレ



仁王くんの体温や声でいちいち泣きそうになるのは、私が弱虫で意気地なしだからだ。

(幸村くん、意地悪)






* * *


暑かった。梅雨はもう目の前だ。ここ頻繁に降り続いた雨は今日も漏れなく降り注ぎ、やっと止んだかと思えば、むしかえる暑さだ。ぼんやりと薄めを開けて見上げた夜空には星ひとつ浮かんでやしなかった。空は灰色一色に染まっていた。


左側には小さな熱があった。普段は柔らかな匂いのする髪からは、今日は煙草の煙りとアルコールの匂い。じんわりと汗ばんだ首筋が目に入ったら目眩がしそうになったので逸らした。

俺の体重を必死で支えてはよろめく小さな身体、苗字さん。


「仁王くん、大丈夫?」


恐る恐る、小さく尋ねた声が雨上がりの濡れた道路に吸い込まれた。うんって適当に返事をしておいた。彼女の中では俺は、大丈夫か訊かなくてはいけないくらい酔っ払っているということになっているのだ。肩をかして、家に送りとどけなくてはいけないくらいの酔っ払い。実際は、そんなに酔ってはいない。こうしてきちんと物事は考えられるくらい。でも、彼女とこういう状態で逃げ出さないくらいにはどうやら酔っているようだ。

大学で、学部は違えども幸村との共通の友人、ということで苗字さんと出会った。友人と呼ぶには彼女とはいまいち距離感がつかめていないけれど。出会ってから何年もたつし、こうして一緒に(集団でだけれども)飲みに行ったり遊びに行ったりはするが、友人というよりは、友達の友達止まりだ。独り暮らしの立海生が多く住んでいる駅近い地域に、俺も彼女も奇跡的に住んでいるというチャンスだって今の今まで活かされた事はなかった。幸村や柳生に何度じれったいだのいい加減にしろだの文句を言われたって、俺には彼女に近づく術を思いつかないのだ。だって、苗字さん可愛すぎるんじゃもん。どうしていいんか分からん。
彼女に長年片思いをしている身としては、この状況は正直、辛い。
帰りになって急に仁王が酔っ払ってひとりで帰れない、と家が近いことを理由に苗字さんに俺を託した幸村は意地が悪かった。確かに俺はじれったいかも知れないが、唐突すぎたしあまりにも乱暴だ。投げ出されたのだ、俺は。どうにかしろという無言の圧力だ。だが、断ることも出来たのにそれにまんまと乗っかって酔ったふりをして彼女のそばにいる俺はもっと意地が悪くて、おまけに意気地なしだ。


彼女のうっすらと濡れた背中に身体が触れている。酔った頭はどうしようもないことばかりを考えた。幸村は言ってた、苗字は酔うとやばいだのなんだの。俺と飲みに行くときは苗字さんはあんまり飲まないしいたって冷静だ。ブンちゃんは苗字さんは俺といるときは無理して飲まないでいると言われても、そんなのはあんまりにも悔しいじゃないか。幸村は俺の知らない酔ってはっちゃけた苗字さんを知ってるだなんて。俺だってみたい、ずるい。絶対一線引かれてるんだ、悲しい。
でも、そんなことをいってもこんな騙すようなことをしなくては彼女に近づけない自分は一体なんだ。むせ返るような雨の匂い。そしてアルコールのなかにほのかに香るのは彼女の匂い。もっと本当に酔ってしまえばよかったのだ。そうしたらもしかしたら彼女を帰さない勇気くらいはでたのかもしれない。もしくは、ちゃんとひとりで帰ればよかったんだ、初めから。そうしたら、きっとこんなことには。


視線を下ろしたら少しのアルコールにうかされて赤く染まった苗字さんの目の縁と頬が見えた。なぜだか少し泣きそうに見えた。彼女が俺を送りとどけるのにあまりにも必死でその視線に気がつかないので、ずっと見ていた。ら、演技でもなんでもなく本当に足元がもつれて躓いてよろけた。苗字さんが心配して慌てて支えてくれるから、なんだか俺も泣きそうになった。酔っているんだ。


とてもあつい。
彼女を抱きしめて思い切りキスをしたい。キス、できたら。でもそんなことはできやしなくて、こんな俺を健気にも投げ出さずきちんと送り届けてくれる彼女はとても愛しいのだ。いっそのこと、雨が降ればいいのに。



アメアメフレフレ



それでも雨は降らずに、俺達は無事に何事もなく、家に辿り着くだろう。せめて、そのときにありがとうを言って、そして好きで好きでどうしようもないと言ってしまいたい、言ってしまえたら、どんなに。

20090515
20101209 加筆、修正
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