※曖昧な社会人設定



汗でしめった柳くんが隣に倒れこんで、両の腕が私を包んだ。それはいつものことなのに、私はどうも恥ずかしくなってしまって、柳くんに背を向けた。ベッドの上で裸でふたりして壁を向いてねっころがっている。なんだかおかしな図だ。名前、柳くんは呼んで、私の首とか肩にキスをした。こっちを向けと言わんばかりにさらさらな髪の毛が私の肌を撫でた。それでも私は柳くんのほうをむかなかった。今日くらいはこういうことをしないで一緒に手を繋いで眠ろうか、なんて言ったのに、結局空気に負けたのは、私だった。


「名前、どうした」

「なに」

「なにかあったのか」

「なんで」

「気づいてないわけがないだろう、なにがあったんだ」


柳くんの手が、さっきとは違う意味を持って私の躯を撫でた。観念して柳くんのほうを向いた。電気もついていなくてカーテンも閉じられた空間だけど、柳くんの表情はなんとなく読み取れた。困ったように笑ってる。柳くんの肩越しに、暗闇に浮かぶデジタル時計の緑色の数字をながめた、もうすぐ24時を迎えようとしていた。随分と夜が深まって、そして朝が近づいてきていた。朝が近づく度に喉が渇いて目が冴えた。

柳くんが夜の暗闇に溶けて真っ直ぐな目だけが浮かび上がっていた。切れ長で、真っ直ぐで、恥ずかしくなって、見ていられなくなってしまって布団の中に隠れてしまった。


「どうしたんだ、本当」 

「なんでもない」

「ないことはないだろう」

「ないってば」

「…そんな態度だと、流石に俺でも、傷つく」


そっと顔を上げたら、困ったような悲しそうな笑顔があった。静寂の薄い膜がふたりを包んだ。夜の帳に囲われた、ふたりきりだった。静かな空間のほうが私たちよりも大きく支配しているので、声は飲み込まれて自然と小声になった。


「まるで明日が嫌みたいだな」

「ちがうよ、そんなわけないよ」

「じゃあ何故そんなに寂しそうな顔をするんだ」
「寂しくなんか…」

「あるか」

「あるかも」

「そうか」


そう言った柳くんは、やっぱりどこか寂しそうだ。そんな顔をさせてしまったのは私なのだけれども。そんな顔をさせてしまうほどに私はひどい顔をしているのだろうか。柳くんを不安にさせる要素がぐるぐると宙を舞っている。
よりにもよって、こんな大切な日に限って、私は無口になってしまった。上手く言葉を紡ごうとしても、一向に上手い言葉なんて出てきやしなかった。おかしな話だ、だって、20年も生きてるのに、自分の感情を綺麗に伝える術だって持ってないのだから。


「違う、違うよ、柳くん」

「なにが違うんだ」

「違うの、寂しいけどそれは違くて」

「じゃあ、どうして寂しいんだ」

「それは」


それは。
続きを促すように柳くんの手が私の頬に触れた。上手くまとまらない言葉をゆっくりと繋げて私は話し始めた。

それは、まるで知らない場所に放りだされたかのような気持ちになってしまうからだった。思い返して見れば嫌なことだって沢山あったし、泣きたくなるようなことだって沢山あったし、人には話せないような醜い部分も沢山あった。好きな人に上手に気持ちを伝えることすら出来ないのだ。そんなちっぽけな人間なのだ。それでも、苗字名前として生きてきたのだ、ずっと。その時間には大切なものとかが詰まっていて。沢山の人に出会って、大切な人に出会って、そして柳くんに出会って。その時間を生きてきた苗字名前が明日にはいなくなってしまうことが、無性に悲しくなったのだ。ひとりの人間が失われてしまうのだ。変な話だ、私はいなくなりは、しないのに。


「おかしいな」

「自分でも、分かってるよ」

「お前がいなくなるわけじゃない」

「それでも、もうそうやって呼ばれることはないんだよ」

「そうか、そうだ」

「病院とか、柳名前さんって呼ばれるんだよ」

「そうだな」

「それで、自分のことだってしばらく気づかないで何回も呼ばれちゃったりするの」

「妙に具体的だな」

「友達の体験談」

「そうか」

「それとね」

「ああ」

「明日には私は、柳くんのことを蓮二くんって呼んで、時々柳くんって間違えて呼んじゃって柳くんに怒られて。丸井くんとか赤也くんにはにやにやしながら私は柳さんって呼ばれたり、幸村くんには蓮二の奥さんって呼ばれたり」 

「ああ」

「毎日柳くんの帰りを待って、休みの日にはふたりで出掛けたり、手を繋いだり、ぎゅっとしたり」

「ああ」

「健やかなる時も、病めるときも、柳くんとずっと一緒にすごして、いずれはパパとママになって、一緒におじいちゃんとおばあちゃんなって、それから」

「ああ」

「そんなことを考えてたら、柳くんの傍にいられて、幸せだなぁって、思ったら、胸がいっぱいで苦しくなって、寂しくなって、」


私のうまくまとまらなくて拙い話をずっと柳くんは聞いていてくれて、そして優しく抱きしめてくれた。語彙が乏しくて、表現する術も持ち合わせていないことに私はいつも堪らなくもどかしい。胸は相変わらず苦しいままだったけど、それでも柳くんのにおいが広がると、安心してゆっくりと呼吸ができた。


「全く、お前は」

「うん」

「お前が本当に明日が嫌なんじゃないかと、心配した」

「ふふ、ごめんね」

「後悔しているんじゃないかとか」

「しないってば、そんなこと」

「紛らわしいことをしないでくれ」

「もしかしたら喧嘩とかしちゃったりしてもさ、」

「ああ」

「そんなことも、柳くんとならいいと思うの」

「…そんなことばかり言ってたら、また元気になになる、」

「えー」

「いやか、まあもう手遅れだがな」

「ふふ」

「なんだ」

「柳くんらしいなぁって思って」

「なんだ、それは」
「ううん、私もしたい」

「相思相愛だ、な」


柳くんは今度はちゃんと笑った。ふわりと。横にふたりで並んで向き合ったまま、柳くんの唇が沢山降ってきた。きっといっぱいの愛情が注がれるころには明日は今日になっていて。そして私はさよならするのです。


一夜にして生まれ変わるということ

(明日は手を繋いでふたりで歩こう)(大丈夫、きっと明日は晴れるよ)

20091028
20101128 加筆、修正
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