ざあざあ、外は仕切に水の音がして止む気配を見せなかった。雨、雨、雨。もうこれで何日目だろうか。校舎の外に広がる深い灰色の空を眺めてはため息が自然と零れ落ちた。

冬場の雨はいい、乾燥した空気が雨によってひんやりと冷やされては空っぽだった器が満たされていくみたいで心地好いんだ。だが、この時期の雨はいただけない。ジメジメと肌に纏わり付くような粘着質な暑さに気持ちは陰欝になる。放課後になり空調の切れた教室なんてまるで地獄だ。
床、机の湿った木特有の匂いがする。立海なんて海が近い学校の梅雨はより薄暗く感じる。潮風が壁からすべてをベタベタにしていく。これから夏本番だなんて、有り得ない。既にもう暑さの限界だ
。暑さに気持ちが滅入る、どんより曇天、いつもの活気のあるグラウンドには人っ子ひとりいやしない。雨で霞んで外は滲んでいた。半袖に衣更えを済まされた制服の衿元を気休めに仰いでみたけど、本当に気休めにしか過ぎない。じわりと肌の上を汗が滑るのを感じた。梅雨の身体の内に篭るような湿っぽい熱に、芯から怠くなる。私でさえこんな、状態だ。目の前のこの暑さに滅法弱いこの男、仁王雅治は一体どうなってしまうんだろうと、ふと、考えた。


私が座る席の前の席を陣取った彼は、椅子を横向きにして身体だけこちらに向いて、私の机に突っ伏している。その様子と言ったら、地球温暖化にともない年々疲弊していく白熊といったところだろうか。もしくはただ夏にだれてる犬みたい、な。襟足でちょこんと結ばれた銀色の髪はやる気のないしっぽに見えた。


「仁王」

「…んー」

「部活、行かなくていいの」


天下の立海大付属高校テニス部レギュラー様が、放課後の部活真っ盛りの時間に教室で突っ伏してるなんて、いいのかい。確かに彼が暑さに弱いことは普段の生活を見ていればわかる。同じクラスになったのは中学から含めて2回目だったし、夏のときの彼の気怠い具合と言ったらなんとも言えない。年中サボり間であったり授業中寝てはいるけれども、その頻度で言うと夏に非常に多くなるのだ。
外で見かけてもいつも日陰にいるし、野外の運動部のくせに肌は恐ろしく白かった。幸村くんみたいな健康的に白いのではなく、明らかに不健康な白さ。人間と日光仲良くなくては生きてはいけないのに。強くなる日差しを極端に避けているためか驚くほど白いのだ。白くてしかも男子には似つかわしくないほど柔らかそうだしキメ細かい。
夏が近づくにつれてもとから細い食もどんどん細くなる。だからそんなにいつも怠いのだよ、といいたくなるけれど、本人は食べる気がないらしいからきっと無駄だろう。

友人は、この夏に溶け込まない物憂げな仁王くんの色気は他の時期よりも3割増しだの、気怠い表情がセクシーだの言うが。私としては真田くんくらいきっちりお米を食べて年中元気!ってくらいの方が清々しくて好きだ。


面倒くさそうな緩慢な動きで視線だけを上げて私と向かい直った仁王の目には明らかに「暑いです疲れました」と書いてあった。


「暑い、もう、無理じゃ」

「わかるけど、みんな部活してるんでしょ」

「ずっと雨じゃからずっと室内練、無理、もう無理」

「わかるけど」

「昨日まで俺頑張った、もう無理。あんな室内の篭った空間に暑苦しい男・男・男、真田、無理」


…分かるけど。
確かに先週から引き続き今週も雨がずっと続いている。なのに暑い。私もこの暑さには参っている。わざわざ残ってまでいるくせに進まない問題集は、仁王が机を占領しているから、ということにはしているが。きっと仁王がいなくても進んでない。汗ばんで湿ったノートが手に着くのが不快だし、なんだかどうも私も、怠くてやる気が起きないのだ。


「それなら仁王、図書館とか空調整ってるところ行きなよ、ここよりかは幾分か増しだよ」

「人多い…、無理」

「まあ、確かにね」


彼ではないけれど、確かにこの気候にも参った。学校全体が疲れた雰囲気だ。みんな外を見てはため息が漏れる。雲の切れ間の太陽を探していた。女の子は髪の毛のくせ毛を気にするし、雨で濡れる靴に憂鬱を感じる。校内も気持ちも曇り空だ。


「…今日、俺がここにいるの」

「え、」

「誰も知らん」

「教室だよ、普通分かるんじゃない」

「参謀のデータの裏をかいたんじゃ、だから誰もここは探しに来んよ」


そう、仁王は口許だけで笑った。今日仁王の笑った顔を初めて見た気がした。いや、最近ずっと笑ってなかった気がして、右下にあるホクロが妙に目に入って、私は慌てて目を逸らした。

もう仁王はうつ伏せていなかくて机に肘をついて興味深そうに私を見ていることに気がついた。仁王は、時々観察するように人を眺めた。
視線を感じるものの、目を合わせるのに気まずさを感じて行き場のない目をさ迷わせた。とにかく仁王の顔をみないようにしようとして行き着いたのが、暑さ故か普段よりも開けた彼のワイシャツだ。ネクタイなんかかろうじてぶら下がっているような哀れな布切れになって同情を煽る。
誰も知らないだなんて、私という人物がいるのに。まるでふたりきりだというのが強調された風だ。第二ボタンまではだけただらしのないシャツ。彼のパートナーとして知られる風紀委員の几帳面な柳生くんがみたら小言のふたつやみっつなどが降り注ぎそうな乱れた格好だった。白い肌はじんわりと汗を滲ませていて、真っ直ぐに肩に伸びた鎖骨のラインは艶かしく光る。私の目の前は急にくらくらと眩みだした。全く、なんだ、これ。身体が無性に熱くなって、なんだか、恥ずかしい気持ちになった。
日の光で焼けていない肌に、首筋に小さなホクロが何かの印のようにぽつりと佇む。なんの道標だ。鎖骨の下にひとつと、あとワイシャツの止められたボタンで隠れるかどうかのぎりぎりの場所にもひとつ。妙に映える、そして何故だか妙にに色っぽく感じてしまうのは茹だるような暑さに私がやられてしまったのだろうか。濡れた首筋に銀色のキラキラした髪が張り付いていた。顎ラインを辿って汗が流れる。仁王も汗をかくんだ、なんて当たり前のことを考えてる自分もどこかにいる。
喉が渇いた、ごくりと喉がなって、それは自分が思ったよりも大きな音がした気がして、白い肌に浮かぶホクロに何かの啓示を見出だすように見つめた。ああ、暑い、くらくらする。なんだか、心臓までいたくなってきた、ぎゅうっと痛い。なんだ、これは。私は夏風邪でもひいてしまったのだろうか、



「…やっぱ、俺、階段行く」

「…え、」



唐突に立ち上がった仁王は、自分が勝手に座っていた椅子を元に戻すことなくふらりと歩き出した。なんで急に、彼のことは本当にわからない。事態についていけない呆然とする私を目の前にして、そして、ふと、何かを考えついたかのように再び口の端を上げて仁王は上手な笑みを浮かべた。私の側で立ち止まる。席に座ったままの私に屈んでそっと囁く。


「ここだと、誰かさんの視線で溶けてしまいそうじゃからの」


右耳にそっと、残すように。
私の熱は確実に上がり、先程よりも感じるのは息苦しいくらいの暑さ。仁王はこの纏わり付くような暑さの中を、平素な態度で歩いては何事もなかったかのように廊下、入口付近の自分の机から鞄とテニスバッグを肩にかけた。


「まあ、苗字、お前さんのが、溶けてしまいそうだけどな」


ひらひらと手を振って教室を出た仁王。残された私の身体は熱い。これだから、夏は嫌なんだ。彼の銀色の髪も、季節に置いてきぼりにされた白い肌も、それを覆う汗も、近づいたときに感じた少し大人な匂いのする香水だって。全部が頭の中を目まぐるしく回って、篭った熱で右耳にくすぐったくなる。
ああ、仁王のことを考えてこんなにもドキドキするなんて、全て雨と暑さの所為だ。



雨の日の木曜日の憂鬱

ふと外を見て、なんども探した果てなく続く雲の切れ目。明日は晴れたらいい、けど。雨でもいい、なんて思う私はきっとなにかを期待しているんだ。


20100704
肌が白い人ってホクロが結構あるような気がしてならない。
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