大学生活も二年目に突入して少し。初年度に授業を詰め込んだおかげか、今期の授業スケジュールは比較的ゆったりしたものになっている。朝一で講義室に駆けていってうとうとしながら講師の話を聞く、という時間が減って喜んでいる山口は、その少し余裕ができた時間を幼馴染みと過ごすことが多かった。

今日も、午後一番の授業のために昼前に学校へ来て、まだ空いている食堂でのんびりと親子丼を食べていたのだけど、ふと顔を上げると、食堂の入り口へ勢い良く駆け込んできた女子生徒が、きょろりと食堂内を見渡したあとこちらを見てぱあっと表情を明るくするので、山口は思わず隣の幼馴染みに視線を向けた。


「やばいやばいやばいやばい蛍!!ちょっと聞いて!!」

「…うるさいな。今度は何をやらかしたの」

「は!?私がいつもなんかやらかしてるみたいに言わないでくれる!?」

「自覚ないの?」

「はぁ!?」

「あぁ〜っと、空閑さん?一体どうしたの?」


出会い頭に言い争いを始めそうなこのカップルの間に入ることは、この一年でずいぶん慣れてしまったな…と山口は苦笑する。この二人、きっと相性は良いはずなのに、お互いに素直じゃないというか天邪鬼な一面があって、出会った当初に仲良しなんだねと微笑んで、どこが?とそろって低い声で凄まれたのにそうゆうところが…と返さなかった山口は、危機感知能力と空気を読む能力になかなか長けていると自負している。


「そう!山口くんも聞いてよ!今度のライブ当たったのすごくない!!?」

「ええ!?すごいね!!」


くるんと表情を変えたるりかがぴらりと差し出したのは、我らが地元宮城ではそこそこ有名なインディーズバンドのライブチケットだった。活動開始から数年でファン数も増えて来たにも関わらず、小さなハコで不定期にしかライブを開催しない彼らのチケットは年々入手困難となっており、長年のファンだというるりかですらライブに行くのは数年ぶりだという。


「しかもこれ!なんとペアチケットです…!!」

「へぇ〜ヨカッタネ」

「え!?蛍行かないの!?行くと思ってペアにしたのに!」

「………は」


適当な相槌をうってカフェオレを飲もうとしていた月島は、勢いよく隣に座ったるりかの勢いに黒色のストローを咥えそこなった。いつもならそれを目聡く指摘してけらけらとからかうはずのるりかは、きらっきらの少女のような瞳で月島を見上げて、無意識にかぐいぐい身を乗り出して迫っている。


「蛍もこのバンド好きって言ってたよね!?だから次ライブあったら絶対一緒に行こうって決めてたの!」

「はぁ?なに勝手に、」

「特に初期の曲好きなら絶対生で聞くべきだって!絶対!もっと好きになるから!!私が保証する!!」


るりかの圧と勢いにやられたのか、あまりにも楽しそうにプレゼンして来るから面倒になって折れたのか、まぁたまには良いかと思ったのか、ため息一つついてわかったよ行けばいいんでしょと了承した幼馴染の様子に、山口はそっと笑みを浮かべながら自分の気配を消すことに集中していた。二人とも楽しそうだなぁ良かった。






―――――――







ぎゅうぎゅうと小さなフロアにひしめき合う人々に酔って、月島は遠い目をしていた。…こんなに、人多いとか、聞いてない。ステージ付近、上手側壁際の程良き場所を確保して、人より頭一つほど高い身長でなんとか息苦しさは感じずに居られるが、ライブがはじまってしまえば観客は少しでもステージに近付こうと前に押し寄せるだろうし…楽しみ半分憂鬱半分でいる月島の袖を、ちょっとグッズ見て来る!と席を外していたるりかがくいっと引いた。


「蛍」

「ん?あぁ、おかえり」

「はいこれ!」

「なに」

「タオル!ライブでは必需品でしょ!」


がさがさとるりかがビニールから出した青いタオルにはバンド名が書かれていて、頼んでもいないのに月島の首にそれをかけたるりかは、同じデザインの、けれど少しくたびれた赤色のタオルを自分も首にかけた。


「多分使うとしたら中盤から後半入ってからだから、それまで失くさないでね!」

「……はいはい」


……勝手に買っといて…っていうかそんな短時間で失くさないし…など、いろいろと言いたいことはあったけど、フロアに集まりつつある観客とステージをそわそわと見詰めるるりかに、あぁそろそろ時間かと適当な返事をして諸々を飲み込んだ。
それから数分後、ぱっと照明が落ちたステージに人の気配がして、それぞれ楽器やマイクを持つその人影に客席がざわめく。それを鎮めるようにカツカツとドラムスティックを鳴らす音がした直後、スポットライトがギラギラとステージを照らすと同時に、ぎゅるんとギターをかき鳴らしてライブが始まった。










『ラスト一曲!いきま〜す!』
『せっかくだから、みんな聞きたいやつ叫んで!教えて!それ歌お!』

叫んで、汗をかいて、はしゃいで、会場の熱気が最高潮になった勢いのまま、ライブは間も無く終わりを迎えるらしい。熱気に酔ったハイテンションなボーカルがアドリブを効かせた提案をした途端、客席がわっと盛り上がって、みんな口々に自身のお気に入りの曲名を叫んでいた。


「ちょっと蛍は!?最後何が良い!?」

「は?こっから声が届くわけないじゃん!」

「大丈夫だよきっと聞こえるって!」


隣に居る人間との会話ですら少々声を張り上げなければ聞き取れないほどの喧騒の中、るりかは月島にもそれを促す。まぁ確かに、今日のライブのセトリに月島が一番好きな曲は組み込まれていなかったけど、ここで声を枯らすほど叫んでまで聞きたいかと言われると、いや…そこまでなら遠慮します大丈夫ですと、月島は思う。だけどるりかはそうゆうわけにはいかないらしく、大きく息を吸い込むと、両手をメガホンのようにしてステージに向かって力の限り叫んだ。


『おっけーみんな!なんかよくわかんなくなってきたけど!』
『お前のせいだろ!』
『泣く泣く今日のセトリから外したあの曲の名前が聞こえたんでそれにします!聞いてください、"――――――――"』


ボーカルが告げた曲名を聞いて、月島ははっと息を飲んだ。それはすぐにギターの音にかき消されたけれど、隣にいるるりかにははっきりと聞こえたらしく、にまりとドヤ顔で月島を見上げている。聞こえるって言ったでしょうと言わんばかりのその表情に、ちょっと悔しさは混じりつつもすごいなぁと素直に思えて、だけど、ありがとうと告げる前にボーカルが歌い初めたので、月島は静かに頷くだけで返した。








「さて月島クン、大好きな曲の生歌はいかがでしたか?」


建物の外までこぼれているような熱気を背にして会場を後にしながら、るりかはくるりと振り返って月島をつついてきた。結局、記念にとTシャツまで購入した月島が思いのほかライブを楽しんでいたことは、ずっと隣に居たから何となく知っているけれど、いつも素直じゃない月島の口から楽しかったの一言でも聞けやしないだろうかと、るりかはちょっとだけ期待していた。


「……楽しかった?」

「…うん、楽しかった」

「ふふ、そうでしょう?」

「…ありがとうるりか、連れてきてくれて」

「へ?」


楽しかった、の一言を、誘導する形であれ聞き出せたことに満足していたるりかは、少しだけ口角をあげてほほ笑んだ月島に礼を言われて、ぽかんと彼を見上げてしまう。そんな、ちょっと間抜けな顔を晒してしまったら、すぐにニヤリと嫌な笑みを浮かべて見下してくるはずの月島は、何故かそっと手を伸ばしてるりかの頬に触れるから、るりかは暫しぴしりと固まったまま、顔に熱が集まるのもどうすることもできない。

その隙に、るりかの左頬を覆うように手を添えた月島は、今日一日、ずっと無邪気な笑みを浮かべていたるりかの、ちょうどえくぼがあったところをするりと撫でて、まぁ、らしくもなく思い切り楽しんでしまったのは、ずっと隣にあの笑顔があったからだろうなと、絶対に口にするつもりのない気持ちを飲み込んで、未だに硬直したままのるりかの手をぎゅっと握って帰路を歩き始めた。








"ホワイトデイジー"










  

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